第5話〖大切な小さいメモ〗
「あらジュリー、早かったのね」
お母さんはいつものように店番をしていた。夕方ということもあって、お客さんはいない。
「お母さん、近いうちにこの辺で総攻撃があるんだってて……! だから早く避難してって、ガラ爺が」
お母さんは私の言葉に目を見開いて、息を呑んだ。
「ええ……、わかったわ。ジュリー、あなたもいつでも出発できるように荷物をまとめておきなさい。お母さんは村の集まりに言って伝えてくるから」
それだけ言って、お母さんは店の外へ駆け出して行った。私は店の奥である家の中に入って、荷造りを開始する。カバンの中に服やら小物やらを詰めている時、机の上に散らばる便箋を見つけた。私は黙ってそれを1枚だけ机上に残して、まとめてカバンの底に押し込んだ。
* * *
まだ日が昇っていない時間だと言うのに、村は今までで1番騒がしかった。昨日、夜遅くに帰ってきたお母さんによると、軍からも正式に王都の方へ速やかに避難をするように通達が出ていたらしい。だから村人達はみんな大きな荷物を背負って、ぞろぞろと村を出て行っているのだ。私ももうすぐ行かなきゃいけない。だから、早くこの手紙を隙間に挟みに行かないと。
「お母さん、ごめん! ちょっとガラ爺に会ってくる! すぐ戻るから!」
「ジュリー!? 何を言っているの!?」
帰ったら怒られるだろうなぁ……。でも止まる訳にはいかないんだ。
走れ、走れ。肺の中に凍るような空気が入ってくる。耳や手足がが冷えて冷えてしょうがない。だけど走らなきゃいけない。
朝日で赤色に色づく空の下にあるのは、もうすぐ壊されるかもしれない薄い土壁。同じ世界を割った憎い壁。ようやく見えてきた。一刻も早くあの隙間へ──。
「君、止まりなさい」
低い聞いた事ない声が私の思考を遮断した。止まろうと思ってなかったけれど、足が勝手に動かなくなった。
2人の兵隊さんが、私を見下ろしてる。
「ここで何をしているんだ。近隣住民には避難を要請したはずだ。……この壁に何か用でも?」
「っいいえ! ごめんなさい、落し物を、探してて、気づいたら……ここに……」
ああ、終わった。こんな状況で手紙を差し込めるはずがない。顔があげられない。勝手に震える手を、動揺がバレないようにぎゅっと握りしめた。
「落し物? どんなものだ?」
「えっと、おじいちゃんの、形見……です……。本当に小さいお守りなんです」
スラスラ嘘が出てくる。もしかしたら、まだチャンスはあるのかもしれない。
「ちょっとだけでいいんです。ちょっとだけ、探してもいいですか……?」
兵隊さんは顔を見合せて、頷いた。
「我々の監視下ならば許可しよう。さぁ、早くやりなさい」
許可を貰えた。しかし監視下だ。怪しい行動はとれない。これじゃあ何もできないじゃないか。
とにかく頭を下げて、あるはずも無い落し物を探して始めた。わざとよろめいて、手紙を差し込んだりしちゃいけないかな。ダメだ。もう諦めるべきなんだ。兵隊さんには見つからなかったって言って、もう戻ろう。
立ち上がろうとした、その時、何かが視界に映った。何も挟まってない壁の隙間のすぐ下に、親指ぐらいのサイズの、小さな紙の塊のようなものがあった。
反射的にそれを握りしめて立ち上がる。なんだか大切な物の気がした。
「お守り、見つからなかったので帰ります。お勤めご苦労様です」
口早にそう言って駆け出した。少し不審に思われたかもしれないけど、大丈夫。私は何もしていない。
壁からだいぶ離れたところで、紙の塊を丁寧に広げる。急いで書いたのだろうか、見慣れた優しい彼の文字が、少し崩れた形でしわくちゃになっていた。
『僕はもう行かなければいけません。どうか、また会えますように。〝泣かないで前を見て。僕たちは再会する〟』
ぎゅっと、メモを胸に当てる。暖かい。涙が込み上げてくるけれど私は泣かない。前を見る。だから、再会できますように。
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