第3話〖楽しい秘密〗

「ユーフォルビアの丘の上〟を歌う、壁の奥の人……それ、私……?」


 それは密告の文書でも、スパイ同士のやり取りでもなんでもなく、ただの、私に宛てた手紙のようだった。


『初めまして。故郷でよく歌われている童謡が聴こえて来たので、つい共に歌ってしまいました。気分を損ねてしまったら申し訳ないです。壁の向こうには化け物が住んでいると教えられていましたが、どうやらそれは嘘のようですね。いつかまた、可憐な歌声を聴かせてください。僕はここで待っています』


 最後の、『壁の向こうの僕より』という綺麗なサインをまで読み終えて、壁に手を当てる。


 夜の空気に冷やされた壁は、キンとした感触を教えてくれた。ゆっくり壁を見上げていく。大きな人が5人くらいいないと乗り越えられない位高い壁は、あっちとこっちを断絶していた。


 この奥に、この綺麗な筆跡を持つ人がいる。私の秘密の歌を褒めてくれた人がいる。なんだか、胸の奥がじんわり温かい。


 いいよね? この手紙、持ち帰ってもいいよね? だって私に宛てられたものだし、敵国の人からっていっても、挟まってて、偶然だし、いいよね? いいや、持って帰ろう。見つからないように服の中に隠して。


 さっと、袖の中に入れた。手紙が落ちないようにバスケットを持ち上げる。また、歩き始めた。歩いてるうちになんだか楽しい気持ちが込み上げてきて、走らずにはいられなくなって、思いっきり駆け出した。


 ほら見たことか! 壁の向こうには優しい人がいるんだ! 化け物なんていないんだ! 村の人達に叫んで、教えてやりたい!


 次の配達はいつだろうか。配達がなくても来ちゃダメかな? そうだ、返信をしないといけないかもしれない。便箋あったっけ。物資不足だからな、でもとりあえず何か書かなくちゃ。何を言おうかな。


 あぁ、どうしようもないくらい楽しい。


「〝空は青く、花が咲く! ユーフォルビアの丘の上で踊ろう! 空は赤く、花は散る!ユーフォルビアの丘の上で歌おう!〟」




* * *




「ジュリー、最近機嫌がいいのね。何かいいことがあったの?」


「えーっとね、ガラ爺の所に行けるのが嬉しいの! 行ってきまーす!」


 嘘じゃない。だって壁の近くを通ることができるのは嬉しいもの。


 今日も歌を歌いながら向こうの村を目指す。歩いて15分位の道。それがものすごく楽しい。あれ以来、お使いの日は歌を歌って、時々、偶然向こう側の誰かと歌声が重なったりしている。そしてなぜかいつも同じ壁の隙間に挟まっている紙を抜き取って、よろめいて壁の隙間に紙切れを入れちゃったりもしている。


 全部しょうがない。だってわざとじゃないんだもの。だからこれはスパイ行為なんてものじゃない。


 今日も壁の隙間に挟まっている紙を抜き取って、歩きながら読む。


『拝啓、壁の向こうの君へ。お元気ですか。僕は元気です。冬が深まってきました。どうか身体に気をつけてください。こちらもあちらも、気温は同じでしょうから』


 私たちは、お互いの名前を教えあっていない。もしこの手紙が国に見つかった時、関与している証拠をできる限り少なくするためだ。効果があるのかは微妙だけれど、こっちの方が安心できる。偽名も考えたけど、それはなんだか嫌だったので、お互い『壁の向こうの君へ』と宛名を書いている。


「〝冬になって、ユーフォルビアの丘の上でさようなら〟」


 壁の向こうから優しい少年の歌声が聞こえた。彼だ。私よりは少しだけ年上らしい彼は、壁の近くに住んでいるらしい。私が来ると気づいて、歌い始めてくれる。壁の隙間から覗いてみようとも思ったけれど紙一枚しか通れる隙間がないので不可能だった。いつか本当に会えたらいいな。


 「〝泣かないで前を見て、僕たちは再会する〟」

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