第23話 誰だオマエは


「ケン! ちょっと聞いてるの?」


 僕はその声にハッとする。


「え、な、なに? かり、すと?」


「そうよ。なに、なんか顔についてる?」


「いや。そういうわけじゃ」


 どうやら僕は呆けていたようだ。

 テーブルを挟んで向こう側に座るカリストは僕の様子に腹を立て、可愛い頬を一杯に膨らませてそっぽを向いている。

 テーブルには豪華な食事が並んでおり、まだ誰も手をつけていない状態だ。

 食事を作った覚えも、並べた覚えもないのだが、誰がこれを……。


 カリストの様子に、隣の一番目ウーヌスは笑って、


「ダメよぉ? 好きな女の子の顔はいつも見てないとぉ。他に気を逸らしちゃだぁーめ」


一番目ウーヌス……」


「なぁに? 今度は私ぃ?」


 いつもの余裕そうな表情で、一番目ウーヌスはハテナを浮かべている。

 彼女の身体は特に問題はなく、いつも通りだった。

 一番目ウーヌスはぐぅーっと伸びをして、


「ま、お姉さんもそろそろワンコ君が靡く頃と思ってたわぁ」


「ちょ! な、何よそれ! ケン! 本当なの!?」


「仕方ないわぁ。大人の階段を登る時がきたってことよぉ」


「な! べ、別に私だっていいでしょ! 私にしときなさい、ケン! 最初に恥をかくなら付き合いの長い私の方が気が楽よ!」


「焦り過ぎて、凄いこと言ってなぁい……?」


 二人はいつものように揶揄いあっている。

 ここは見覚えのある室内だった。

 長方形に伸びた室内、石造りで連なる柱の奥には色とりどりのステンドグラス。

 そして僕らを見守る聖母の像。

 紛れもなく、第一支部ファーストの教会の中だ。

 十年も過ごしたのだから、間違いない。


 だけど、教会は確か……。


「痛……」


「なに? ケン、頭痛いの?」


 わざわざ向かい側の僕の元まで来て、額を優しく摩るカリスト。

 その所作はいつものカリストからは感じられない思いやりで溢れていた。


「大丈夫……。でもカリストが僕の心配をするなんて、明日は雪でも降るんじゃ──いたぁ!? 何で殴るのさ!」


「当たり前でしょ! 人の心配をよくも!」


「ちょ! 杖で殴るのは反則だって!!」


 顔の前で腕を交差して防御する僕に、カリストは容赦なく杖を振り下ろす。

 きっと生まれる前は鬼に違いない。


「こらこら。そこまでになさい。二番目デュオ三番目トリア


 そんなふうに戯れる僕らを静止する鶴の一声。

 僕は聞き覚えのある声に、ゆっくり、そちらを確かめるように振り向いた。

 そこには白と黒が基調の修道服を着た美人、シスターワテリングが立っていた。


 その瞳は深淵に染まっておらず、普通の白黒の瞳で。


「どうしたの、ケン。私の目に何か?」


「い、いえ! ただ目が渇いちゃって……へへ。と、というか、三番目トリアって、僕のこと?」


 そう。シスターワテリングは確かに、カリストのことを二番目デュオと。僕のことを三番目トリアと呼んだ。

 更にはシスターが手に持つのは蝋燭が刺さったケーキで、まるで何か祝い事をしようとしているような──


「ふふ、何を言い出すのかと思えば。これは貴方の三番目トリア襲名祝いのパーティじゃない」


「え?」


「それと新生第一支部ファースト記念の会でもあるわよね!」


「そうよ。全く、自分のことなのにこの子ったら」


 僕はそこまで言われてようやく思い出した。

 そうだったのだ。僕たちは何やかんやあって、シスターワテリングを正気に戻し、森に戻った。

 教会をカリストの力で立て直し、カリストはドゥルキュラとの戦いで生き残った功績から二番目デュオに。悪魔憑きの能力を発現させた僕は三番目トリアへとその位を上げたのだ。


 すっかり忘れていた。何で忘れていたのか、思い出せないくらいには、完全に忘れている。


「あ、あはは! 本当ですよね! 困っちゃうなぁ……あ! 運びますよシスターワテリング」


「ちょっと。今日は貴方とカリストが主役なのよ。大人しく座っていなさい」


「で、でもいつもやっていたからその、身体が落ち着かなくて……」


 ポリポリと頭を掻く。

 シスターワテリングの前でテーブルに座りながら食事を摂ったことがないし、そもそもシスターワテリングに食事を運ばせること自体が初めてだ。

 とてもそわそわしてしまう。


「奴隷根性染み付いてるわねー」


「言い方よぉ、カリストちゃん」


「はいはい。悪ぅござんしたー」


 なんて二人は軽口を叩いて、四人だけのパーティが始まった。

 シスターと一番目ウーヌスが作法を守って小綺麗に食べるのに対して、僕は緊張で固まって上手くナイフが扱えず三人に笑われた。

 カリストもカリストで作法なんて気にせず食べるものだから、シスターと一番目ウーヌスに何度も注意されて、頬を膨らませていた。


 初めてこんなに笑ったかもしれない。

 教会では厳しい日々を過ごしていた。


 来る日も来る日も、毎日の料理に洗濯にシスターからの厳しい指導は心を壊して、正常な感覚を失わせた。

 だから、なのかもしれない。


「ケン? どうしたの、もう食べないの? まだケーキ残ってるのに……」


 僕は静かに食器を置いた。

 その僕の様子をおかしく思ったのか、三人もまた食事をやめた。


「そうよぉ。私も手伝ったのよぉ、このムニエルなんかすごい良い味付けになってねぇ。そんな私の料理が食べれないっていうのぉ!」


「何よその姑みたいな……」


「カリストちゃんとワンコ君がくっ付いたら、実質そうかもねぇ」


「あんたは私達の母親じゃないわよ!」


 二人のそのコントのようなやり取りにシスターは軽快に笑っている。

 僕の見たことのないシスター。

 いつも怒っている顔しか見なかった、シスターが笑っていた。


「ケン? あなた……」


「泣いてるの?」


 そう言われて初めて、僕は自分が泣いているのを自覚した。

 頬を伝う涙を指で掬い、込み上げる悔しさに顔を伏せた。

 こんな残酷なことがあって良いのか。

 神は一体なぜ────


「これは、夢、なんですね」


 僕の独白に三人は何も答えなかった。

 ただ唖然として、静かにコチラを見ていた。


「シスターは自分で食事を運ばないし、ケーキなんか作れないんです。カリストはシスターを誰よりも嫌っていたし、一番目ウーヌスさんは味の違いなんてわからないんですよ! 塩をつけた魚とそうじゃない魚の違いがわからないんですから!」


 僕は気づいてしまった。

 こんな幸せは────あり得ないまやかしと。


「シスター……僕は貴方を、殺さないといけないんですね」


「…………」


「出来ることなら、僕の手で殺したくは、なかった」


「………………」


「シスターは笑ってくれたこともないし、怒ってばっかりだし、いっぱい叩いてくるし、食事洗濯はやらないし、よく考えてみればあの十年よく耐えれたなって思うけど。それでも」


「……………………」


 思い出す。

 初めてシスターと出会ったあの日。

 雪にカリストと一緒に埋もれ、寒さに震えていたあの日。

 たまたま通りかかったシスターが差し伸べてくれた暖かい手を。

 あの時、笑いかけてくれた優しい顔が今でも忘れられない。


 もう今は見ることができない彼女の顔だけれど、鮮明に思い出せる。

 僕の記憶にいる彼女はいつだって、優しい顔ができるのだ。


 例えその後の彼女が笑顔を見せなくなったとしても。


「私は私が間違っていたとは思っていません」


「え?」


 世界が暗転する。

 暗闇の中で、僕とシスターの二人が立っていた。


「貴方の中には、確実に才能があった。何百、何千という子供達を見てきた私にはわかります」


「そう、なんですか?」


「ええ。でもそれの発現の仕方は分からなかった。色々試したわ。薬や祈祷術に魔術、気術、最終的に辿り着いたのが命の危険だったけれど、貴方は存外頑丈だったわね」


「ぜ、全然笑えないですけど」


 淡々という彼女が冗談を言っているようには思えなかった。

 そういえば、そもそもシスターは冗談を言うような人ではなかった。

 そんなことさえも、僕は忘れていたようだった。


「だから、貴方が私にどんな思いを抱いても、私はそれを全て受け止める覚悟があります」


 シスターは瞳を閉じて、静かにそう語る。

 と、言われても僕はシスターに対して恩しか感じていなかったし、シスターが覚悟するような思いは何一つ抱いていないのだけれど。

 でもシスターにはシスターで思うところがあるようだ。

 ならば僕はその思いに答える義務がある。

 そして唐突に、一つ言わなきゃいけないことを思い出した。


「ありがとうございました」


 僕の言葉にシスターは目を丸くして狼狽する。


「な、にを」


「ずっと言いたかったんです。あの時、積もる雪の中で僕たちを救ってくれた感謝を」


「──────」


 あの時、彼女が差し伸べた手は義務からなるものだったのかもしれない。

 魔殺しの子供達ベナンダティを集める、シスターとしての仕事だったのかもしれない。

 でも裏に何があろうと、僕らを救ってくれたのは事実なんだ。


 そこ・・は誰にも覆すことができない事実だ。


「だから僕はここまで成長出来ました。カリストも。だから、だから僕は」


 決意する。

 これはきっと僕がやらなければならない責務なのだ。

 だから、この言葉を口にする。

 決して、有耶無耶にしないために。


「貴方を殺します」


 確かな殺意を持って、僕は初めて貴方に相対する。

 たった一週間の別れだったけれど、きっと今の僕は昔と違う。

 そんな気がした。


 僕のその言葉に、シスターはふ、と、久しぶりに微笑んだ。


「受けて立ちます。貴方の成長した姿、見させてもらいましょう」


 その笑顔に少し驚いて、僕も笑った。

 本当なら、■■の形としてこれは歪なのだろう。

 でも歪だからこそ、決着はつけない時が来たのだ。


 だから、これはきっと。

 僕の人生最後の──────反抗期だ。



 —



「オマエ──ごときに」


 シスターワテリングの腕力は岩をも砕く剛腕だ。

 一度掴まれてしまえば、複雑骨折は免れないその握力。

 シスターは惜しみない力で持って、ケンの首を掴み持ち上げている。


 ケンの意識は既に刈り取られ、白目を剥き、泡をふいている。

 そんな彼の現状を見て、異形とかしたワテリングは呟いたのだ。

 オマエ如きに、と。


「ハナは、ワタシが貰う」


 視線の先、瀕死のカリストと首だけになった一番目ウーヌスが転がっている。

 カリストはまだ全身に血が行き渡っていないのだ。

 ワテリングの注入する血の量が、カリストの抵抗する力を上回れば十分に眷属として生まれ変われる。

 一番目ウーヌスは、頭だけになっても死にはしないからゆっくりと様子を見れば良い。


 そんな考えで、彼女らを一瞥し、再びケンに視線を戻す。


 ワテリングは不思議に思っていた。

 目の前にいる男のことを自分は知らない。

 知らないのに見れば見るほど腹が立って仕方ない。

 この不可解な現象に名をつけるならば、理不尽な苛立ち、だろうか。


 才能をこよなく愛する自分が、まんまと魔人にやられ、手塩にかけて育ててきた子供達もそのほとんどを失った。

 その喪失感は言葉では表せず、心の奥で血涙と共に慟哭した。


 そのとき得た力はきっと神が自分に与えた子らを救う力なのだ。

 だからこそ──今度こそ自分が、子らを守らねばならない。

 才能ある若き花々を、悪しき者らに踏み荒らされないように保護しなくてはならない。

 自分の管轄下において、目に見えるところにおいて、服従させて、盲目に、従順に、猛烈に、絶対的に。

 自分が管理しなければ。


 そうしなければまた同じ悲劇が繰り返される。

 そんなことは許してはいけない。


 だから────眼前のオマエを殺す。


「オマエを殺す」


 改めてシスターは宣言した。

 強い意志を持って。

 そして、今、初めて気付く。


「誰を殺すって? っはぁ!」


 確かに気絶させた相手が、こちらを覗いていたことを。


「やってみろよ!! クソババァがっ!!」


 直後、シスターの顎が真下からの蹴り上げで粉砕する。

 軽やかに吹き飛ぶシスターは、宙で何が起きたか理解出来ていなかった。

 猫のように宙で身を翻し、重力を感じさせない着地を見せる。


 視線の先、見据える敵の姿は、


「始めようぜ! お母様ァッ!!」


 先程の少年より少し成長した青年だった。


「誰ダ、オマエは」

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