第10話 強くなりたい

 僕に突如、起きた異変。


 犬の耳が頭の上に生える、なんてことは勿論今まで一度もないし、そんな魔術を修得しているなんてこともない。


「なんで……」


 当たり前ながら、僕の動揺は隠せないものであった。

 対して、客観的に見た二人はどうだろうか。

 驚く、真似する、興味を持つ、或いは可愛いとか言っていじるかもしれない。

 だから、


「なんでそんなに距離を取る・・・・・んですか……?」


 彼女たちが警戒態勢に移る理由が、分からなかった。

 カリストは杖を構え、一番目ウーヌスですら飄々とした態度をやめていつでも動けるような態勢になっている。


「あれ、悪魔憑き、よね? 全然気配感じないけど」


「……なんで犬耳なのかしら、十中八九吸血鬼のせいだと思うけれど、あの子何かされた?」


 一番目ウーヌスの言葉に、一瞬の沈黙。

 時計の針の音が聞こえるような静寂の後に、カリストは青ざめた。


「……言い忘れてたけど、一時期屍人グールになってたわ」


「嘘でしょ!? じゃあなんであの子普通に生きてるのよ! 屍人グールから人に戻った事例なんて数件……それも高位の司教の力って特例よ。何かない限りそんなことは」


 理由を一番目ウーヌスが考察する中、更に項垂れるようにしてカリストは白状する。


「そういえば、ドゥルキュラの血をケンは吸ってたわ……」


「ちょっ、なんでそんな大事なこと先に言わないのよ!」


「しょーがないでしょ!! 忘れてたのよ!」


「信じられない、貴方それでも数字持ちなの? 悪魔に関する報連相疎かにするなんて」


「あーごめんなさい! 私が悪かったです!」


「あのー……」


 一頻り二人での結論が出たところで、僕は静かに手を上げた。


「何か問題が……あったり、するんですかね?」


「大アリよ」


 苛立ち混じりに頭を掻くカリストの代わりに、一番目ウーヌスが溜息を吐いて、


「悪魔憑きはまぁ、悪魔の被害者に良く見られる現象よ。二種類いて、一つ目が悪魔そのものが人に取り憑いた場合。こっちは共存さえ出来れば問題ないけど、悪魔から出される契約如何いかんによっては、身体を乗っ取られる危険性もある。貴方は二つ目の方ねぇ」


「悪魔の能力、或いは呪いが被害者に取り憑き、効果を発揮している場合よ。あんたは今、ドゥルキュラの力がその身に宿っている状態、だと思う」


「ま、魔人の力が、僕に?」


 ドゥルキュラの力はこの目で目撃している。

 強力な魔力は教会そのものを吹き飛ばし、僕の仲間のほとんどを殺してしまった。

 最終的にカリスト以外が殺されて、僕さえも死にかけた。

 その力が、僕に?


 思えば昨日の夜からおかしかった。


 狩なんてしたことないのにうさぎの動きは手に取るようにわかったし、二人の鼓動までもが僕の鼓膜を震わせた。

 更に今日は不可視の魔物の姿を暴き、更には負傷を負わせる芸当までやって見せたのだ。

 片鱗は既に僕から顔を覗かせていたのだ。


 不謹慎かもしれない。

 不適切かもしれない。

 悪い、ことかもしれないが。


 少しだけ、期待してしまう僕がいるのを、僕は否定できなかった。


「なんだか少し嬉しそうな顔してるけど、油断出来ないわよ」


 それを見透かすように、カリストは釘を刺す。


「う、うん。でも一つ目の事例でないってことは悪魔本体が僕の体にいるわけじゃないんだよね? そしたら別に……」


「悪魔の力そのものが体内にある状態なのよ。つまり、力に飲まれれば貴方は悪魔に変わる・・・・・・のよ」


 カリストは真剣に告げた。

 僕の身体にあるのはいつ爆発するのか分からない不発弾があると。

 つまり彼女はそう言った。


「悪魔そのものに……?」


「思ったよりも落ち着いてるのね」


「だって二人共構えてないから……」


 そう。既に彼女達は警戒を解いて楽な姿勢になっていた。

 それはつまり、緊急性を要する事態ではなくなったという事を表す。


「ふぅ〜ん。周りを見れる冷静さはあるのねぇ」


 その言葉に一番目ウーヌスは感心したように笑った。


「貴方の言うとおり、今、早急に対応しなければならない事態ではないわぁ。でも、今から対処しないと、貴方は悪魔になる。これは確実ね」


 元の調子を取り戻したように、一番目ウーヌスはねっとりとした口調で言う。


「面白いわぁ。今日から修行をしましょう♪」


「修行? 一体何を……」


「ふふ、それを今から調べるのよぉ。それとも貴方、強くなりたくはないのかしら? 今までのように、後方で惨めに女の補助をしていたいと?」


 女の補助。

 その言葉に、教会での生活が蘇る。

 朝から晩まで掃除、洗濯、食事の用意、間にシスターからの教育を挟む。

 特段、掃除洗濯が嫌いだったわけではないし、料理は好きだった。

 けれど、いつも恋焦がれていたのは窓の外の光景だ。

 時折空に放たれる一筋の線、英雄の帰還が如く仲間達に祝われる数字持ち達。


 傷がなかったことはない。彼らの勇姿は決して、羨ましいの一言で片付けるにはあまりに厳しいものであり、途方もない努力の果てに辿り着いたものであることも知っていた。

 更にいえば、望んだ場所ではないことも。


 僕らは皆、等しく孤児だ。

 親に捨てられ、明日を生きるのすら困難だった僕らがシスターに拾われて、悪魔退治の専門家になった。

 だから人によっては悪魔退治をしたくないものだっていたはずだ。

 その子からすれば僕の姿はさぞ羨ましく見えただろう。


 僕をいじめていたあの子も、もしかしたらそうだったのかもしれない。


 もう戦いたくない。

 もう傷つきたくない。

 死にたくない。


 そんな思いを僕にぶつけていたのかもしれない。


 だけど、僕は。

 それでも。


「女にばっかり働かせて、悪い子ねぇ」


 一番目ウーヌスの言葉で炎が灯る。

 心の熱は、思わず言葉に変わり、


「強くなりたい。もしその可能性があるなら、少しでも僕は、強くなりたい!」


 そう、一番目ウーヌスに告げた。

 彼女は今まで見せたことのない笑みで口の端を上げる。

 僕はその時初めて、


「是非、協力するわぁ」


 彼女が笑ったのを見たかもしれない。

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