第15話◆わたくしと抜け穴

 良い道草があれば摘もうと持ってきていた軍手を付け、同じく持ってきてきた小さなバスケットに摘み取ったワラビやゼンマイ、その他食べられる野草を投げ込みながら奥へ――シャングリエ公爵邸とその外を隔てる石壁が見える方へと進んでいく。


「あら……あらあらあらあら? うふふふふ……うっかり見つけてしまいましたわ~、っていうかやっぱりって感じでわ~。お庭の手入れを怠ってはいけないという証拠ですわ~」


 そして見つけてしまった。


 土の中で伸びた木の根が老朽化した石壁やその基礎を傷付けヒビが入り、月日と共にそこから朽ちてポロリと崩れ落ちてできた小さな穴。

 そこに低木が侵入し、穴をくぐった状態で成長しながら壁を傷付け穴を広げる。


 パッと見壁から生えているように見えるそれを掻き分けてみれば、石壁が地面に接する部分にポッカリと穴が。

 その植物を時間魔法で枯れ落ちさせ土に還し、地面を土魔法でちょこっと掘り返してみると予想通り石壁の基礎の部分にまで穴が広がっており、地面の上の部分と合わせてわたくしくらいの体格ならくぐり抜けられそうだった。


 ……穴があったらくぐりたくなるのが生き物ですわ。

 ……こんな所に穴があるのが、敷地の手入れを怠っているのが悪いのですわ。

 ……つまりわたくしがこの穴をくぐって外に出ても、何も悪くありませんわ~!


 というわけで、少々失礼して穴をくぐらせていただきますわ。

 わたくしが身に付けているメイド服はほつれたり破れたりし難い素材が使われており、汚れ防止の付与も施されているので少々土が付いたり木に引っかけたりしても問題ない。

 しかもわたくしが動きやすく使いやすく改造して、追加で付与もしてある優秀メイド服である。


 穴をくぐって石壁の外に出ると視界が広が……らなかった。

 石壁の外側にも木が植えられており、こちらも内側と同様に小規模な森のようになっていた。

 そしてこちらもやはりあまり手入れはされていないのか、低木が茂り放題で歩きやすいとは言えない状態で、逆にそれが侵入者避けの垣根の役割になっていそうに見えた。


 その歩きにくい森の中を抜けると――今度こそ視界が広がり、シャングリエ公爵邸の外周に沿って走っていると思われる道に出た。


 道の向こうに見えるのはなだらかな斜面と、それに張り付くように広がる市街地。

 正門方面ほど建物の密度は高く、裏門方面に行くにつれ建物は疎らになり緑が多くなる。

 振り返ればシャングリエ公爵邸の敷地がなだらかな丘の上に広がっているのが見えた。


 その光景に、シャングリエ公爵家に嫁ぐ前に調べておいた公爵邸周辺の地理を思い出した。


 シャングリエ公爵領の領都ドゥリエにあるシャングリエ公爵領本邸は、なだらかで裾野の広い丘の上にある。

 この丘の中腹より上が公爵邸の敷地で、丘の裾野からその先にかけてドゥリエの市街地が広がっており、公爵邸の正門側である南側が城下町ドゥリエの中心部である。

 市街地の外側には広大な田園地帯が広がっており、ドゥリエ市街地の中心部から遠い公爵邸裏門側は、公爵邸のすぐ近くにも田畑を見ることができる。


 こうして外に出て遠くの景色を見てしまうと世界の広さを実感したような気分になり、別邸に閉じ込められている現状が悔しくなり、だんだんと腹が立ってきた。


 義母と妹に散々な扱いを受け、父はそれを見て見ぬ振り、元婚約者は色恋に浮かれて後先を考えず婚約者変更、それだけならまだしも自分勝手な理由で他者の婚姻を指示し、嫁いでくればこの扱い。


 生活に困らないので別邸で大人しくしておりましたが、何でわたくしがあんなとこに押し込まれて行動を制限されることを我慢しなければいけないのでしょう。


 あー、もうキレましたわー。


 眼鏡君が頑張ったとしても、あの軟禁状態が少しだけマシな軟禁状態になるくらいでしょうし。

 いつかはまともな状態に戻れるかもしれないと漠然と思って今の状況を受け入れていましたが、アグリオスが公爵家を継いだら更に悪くなることも考えられますし、アグリオスが態度を改めたとしても――あー、無理無理無理無理ー!! どう考えても無理ーーーー!!

 アレを夫婦生活の再構築とか、生理的に無理ですわーーーー!!


 色ぼけ男の今までの所業を思い出すとどう考えても無理ですわ。

 このまま仮面夫婦にでもなるのだろうと漠然と思っておりましたが、大貴族の本家故に跡取りのこともありますし、おそらくそれはシャングリエ家の親族からも言われることでしょうし……あ、無理。生理的に無理。


 愛人でも作って適当におヤりになって下さいと思っても、それはそれで家庭環境がクッソ面倒くさいことになること待ったなしで、その場合わたくしへの風当たりも強くなって精神的負担も増えますし。


 万が一アグリオスが今後態度を改めるようなことがあっても、やはりあの色ぼけっぷりと初夜に見せた態度が取り繕っていない本性。

 ……やっぱり無理ですわね。


 空を見上げれば初夏の晴天がどこまで続いている。

 広い空の下緑の香りを含んだ風が駆け抜け、遠くに鳥が舞う姿が見える。


 いつもと違う景色が、いつも同じ景色ばかりを見ていたわたくしの欲求を刺激する。


 放置され自由にすると決めたのだから、本当に自由にしましょう。

 生活に困らないならよしと思っていましたが、やはりこうしてどこまでも続くものを見てしまうとそれが羨ましくなってしまいますわね。


 しかし今のわたくしにはすぐにその自由を手に入れる術がない。

 このまま逃げだしたとしても、暮らす場所もなく手持ちの現金も僅かしかないため、最低限の生活すら続けられるか怪しい。

 そうですわね、もう少し様子を見ながらどうにか現金を貯めてから考えましょう


 そう、現金! 現金がほとんどないのです! せっかく外に抜け出せる穴を見つけたのに!

 貴族のお買い物なんて、上位の貴族家ほど商人が屋敷に商品を持ってくるのが当たり前で、店で買い物をするにしても家門と繋がりのある店で後に請求書を家の方に送るという形が一般的で、保護者や配偶者に支払いを任せがちな女性は特に現金を持ち歩く習慣がない。


 わたくしもその例に漏れずなのだが、学生時代に魔法系の学科を専攻していたため教授の伝手で時々ポーション作りや簡単な付与のバイトを紹介されることがあり、親には内緒でこっそりと小金を稼いだ経験があるので、お金の使い方と稼ぎ方には問題なく僅かながら現金も持っている。


 そしていざとなったら、大きな町には必ず町にある冒険者ギルドへいって日雇いの仕事をすればいいということも知っている。


 そういえば冒険者ギルドに登録すると貰える冒険者カードいうカードは、身分証にもなるのでしたわね。

 言葉さえ分かれば誰でも登録できるので誰でも簡単に身分証を手に入れることができる。

 ただし誰でも登録できるという点で信用の問題があるため、ランクの低いうちはただの名札みたいなもので、ランクが上がるほど身分証としての価値も高くなっていく仕組みだ。

 また魔力による認証がされるため一度登録してしまうと、別名義で登録することはできず、冒険者として活動した記録は全て冒険者ギルドに登録される仕組みとなっている。


 身元の保証のない者達に身分証を与える冒険者ギルドは、仕事に困った者達の受け皿ともなる機関で国や地域の支配階級とも繋がりがあるが、国境を越えた組織であることにくわえ、冒険者という武力も集まっているため上位階級者達からの圧力には比較的強い。


 もちろんシャングリエ公爵領の領都でもあるドゥリエにも冒険者ギルドはある。


 そうですわね、せっかく抜け出したのですしお散歩ついでに町に行ってみましょうか。


 そしてついでに身分証を作りましょう――謎のメイドさん、マルガリータという名前で。

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