第9話◆わたくしと眼鏡君
焼き上がったスコーンをオーブンから出すと、厨房を満たす焼き菓子の甘く香ばしい香りが更に濃くなり、ほどよく空いた小腹に心地の良い刺激を与えてくる。
これから庭を手入れして下さる貴方方にもスコーンに香りをお裾分けいたしますわ~。 公爵家に来ていらい散々な扱いを受けてきたので、このくらいの仕返しをしても許されると思いますの。
散々な扱いをしたのはこの方々ではないので、スコーンの香りくらいで勘弁して差し上げますわ~。
おっと、それよりメイドとしてこの者達に対応しなければいけませんわ。
わたくしがマルグリットであるということがバレないようにメイドを演じきって、ついでにこの別当に使用人はこれ以上不要だとアピールしておきましょう。
「そうです、わたくしはキッチンメイドですわ! キッチンメイドですが掃除も洗濯もできますわ! お庭の手入れも多少はできますが、蜂の巣が恐いので専門のお方にお任せいたしますわ! どうぞ、やっちゃって下さいませ!」
見なさい! この完璧な演技力を!!
貴族たる者、悪意渦巻く社交界を渡っていくためにこの程度の演技力は身に付けていて当たり前なのです!
「………………あ、はい。庭の方は今日だけで終わらせるのは無理ですので五日程度かけて整備した後、定期的に庭師に手入れをさせる予定です。そうですね、蜂の巣は危険ですからね……本当にっ! ところで、マルグリット様にお会いすることはできますか? こちらの現状や必要なものなどをお聞かせ願いたいのですが。それと使用人が非常に少ないようですが……」
右手で眼鏡のツル抑えチャキチャキとポジションを調整ながら、さりげなくスコーンを目で追っているスーツ男。
別邸にいた使用人達よりは多少はまともなようですが、今のわたくしにとってそのやる気は逆に邪魔なものなのですの。
しかしこの男、やはりそれなりに立場が上の者のようなので、これはチャンスでもある。 上手く誤魔化して、使用人を追加されないようにしましょう。
それにわたくしは目の前にいますが、やはりわたくしの変装と演技が完璧なのでお気付きではないようですわね。
「ほほほ、マルグリット様はこちらの環境にまだ慣れずお部屋でお休みになられておりますわ。何かお伝えすることがございましたら、わたくしが承っておきますわ。それと使用人。そう、使用人! ほほほほ、確かに使用人の数は減りましたが、少数精鋭でやっておりますので、何の問題もございませんわ~!! そう、少数精鋭!! やる気がなくて使えない方が来られて邪魔になるより少数精鋭ですわ~!!」
少数精鋭!! わたくし一人ですが少数精鋭であることには間違いなし!!
わたくしは体調が優れないと部屋に篭もっていることにして、わたくしがわたくし宛ての言伝を聞いて置けば何の問題もありませんわね!
何という完璧な返答。
これは間違いなく誤魔化せ……。
「え……あ、はい。少数精鋭? 他にも使用人が? まぁ、仕事をしない方はいるだけ無駄なのはわかりますね。しかし使用人の方は少数でまわるならそれでよしとしても、今見たところ警備がいないのは問題がありすぎなので、そちらは手配しておきますね。マルグリット様は相変わらずお休み中ですか……ならば仕方ありませんね、しかしここに来られてからずっと部屋に引き籠もられているようですし、あまり体調が優れないようでしたら医者を手配しますのでお知らせ下さい。というか、すぐにでも手配できますよ? その辺りはアグリオス様の承認がなくても僕の権限でもできますから」
あああああ~~~~、無駄に仕事熱心な眼鏡ですわね!
真面目で悪い人ではなさそうですが、今のわたくしには質の悪い使用人よりも厄介ですわ。
わたくしに対する気遣いも今さら不要! 警備は仕方ないとしても、わたくしめちゃくちゃピンピンしておりますから医者は不要ですわ!
ここまで放置したのだから、庭のスズメバチの手入れが終わったら、これからも放っておいて下さいませ!
「そ、そうですわね。警備の者がいないのはさすがに不用心ですわね。マルグリット様は体調よりもお気持ちの方ですかね。しばらくそっとしておいて差し上げるのがよろしいかと。それより庭の方をお願いいたしますわ~、もうスズメバチがブンブン飛んでいるのが恐くて恐くて。ささ、焼き上がったばかりのスコーンを差し上げますのでお庭の方をよろしくお願いいたしますわ」
使用人や警備を増やす話やわたくしの話にこれ以上触れられる前に話を逸らして、庭に追いやってしまいましょう。
話題の切り替えは貴族の嗜みですわ~。
賄賂を渡して厄介払いも貴族の嗜みでですので、非常に遺憾ですがスコーンを分けて差し上げますわ~。
「あ、どうもどうも。何回も走り回ってちょうど小腹が減っていたんですよね。では庭の方の作業を始めますね。それにしても、メイドさんにしては随分お上品な話し方ですねぇ。もしかして結構いいとこの出身の貴族だったりします?」
「ふぇ!?」
庶民出身のメイドを完璧に演じていたつもりが、やはり癖というものはどうしても出てしまうようですわね。
ついうっかり、貴族モードの口調で話していたようですわ。
そこを指摘されて思わず変な声が漏れてしまいましたわ。
「なるほど! そうですよね、公爵家の使用人ですもんねぇ。貴族家のお嬢様が使用人として働いていてもおかしくないですよねぇ」
「そ、そうです! そうですわ! 作法の勉強を兼ねて、高位の貴族のお家に仕えることは珍しくありませんからね。そ、そう! お家のこともありますので、わたくしはこうして真面目にマルグリット様にお仕えいたしておりますので、別邸の家事はお任せ下さいまし!」
驚いて思考が停止しているうちに、眼鏡君が勝手に一人で納得してしましたわ。
そう! ちょうど良いのでそういう設定にしましょう!
無銘の男爵家の令嬢で、学園卒業後すぐに結婚をしないでシャングリエ公爵家に奉公に上がっているという設定でいきましょう!
名前を聞かれたら……そうですね、マルガリータと名乗りましょう。
メイドになりすますなら設定は大切でした。
調べればすぐにバレそうですが、バレたらバレたで開き直ればいいでしょう。
ここはわたくしの住む場所ですし、職場を放棄した使用人が悪いだけでわたくし何も悪くないですし。
ちょぉ~っと、使用人がいないのを良いことに放置嫁生活を満喫したいだけですわ~。
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