第8話◆わたくしとメイド服
簡単に昼ご飯を済ませ、別邸の二階にある自室で昼寝をしていると、庭の方が騒がしくて目が覚めた。
もしかして使用人が来たのかしら?
正面玄関も封印していますし、建物の裏にある使用人用の出入り口も魔法で封印してから部屋に戻りましたから、建物に入れなくて騒いでいるのかしら?
たった半日で職場放棄を諦めるなんて、根性が足りていない使用人ですわね。
貴方達が始めてことなのですから、やるならとことん最後までやりなさい。
その方がわたくしも伸び伸びと過ごせるので。
それにしても何をそんなに騒いでいるのかしら。
ベッドから起き出してカーテンの隙間からそっと庭を覗いて見ると、麦わら帽子を被ったぽっちゃり体型の男性と、ヒョロリと背の高いスーツ姿の黒髪男性が何かから逃げるように正門の方へ走っていくのが見えた。
彼らが背にしている方向にはわたくしが午前中にさっぱりさせた庭木。
うっかりスズメバチまで一緒に落っことしてしまった辺り。
あの辺りには巣を落とされて気が立っているスズメバチがブンブンしていそうですし……なるほど、スズメバチから逃げているのかしら?
彼らの風貌からして麦わら帽子の方は庭師で、スーツの方は庭師を連れてきた使用人達を管理している立場の者だろうか。
もしかして荒れ放題だった庭の手入れにきたのかしら?
あらあら、でしたらわたくしが余計なことをしてしまったかもしれませんわね。
そのせいで落っこちたスズメバチの巣は…………不幸な事故ですわ!
それにしても少し困ったことになりましたわね。
スーツを着ている方、執事達との制服と違うのでおそらく管理職の方――この別邸の管理を担当している方ででしたら、現在ここに使用人がいないことに気付かれてしまうと再び使用人を寄こしてきそうで面倒くさいですわね。
しかし使用人ではなく庭師を連れてきたということは、別邸に使用人が全くいないということには気付いてなさそうですわね。
荒れたまま放っておいてもあまり問題なさそうな別邸の庭に庭師を入れるなど、多少はやる気のある方のようですが、そのやる気はありがた迷惑……というわけでもございませんわね。また風魔法で木の枝を刈り取ってスズメバチの巣が落ちてくるのは嫌なので、庭はわたくしが安全に弄れる程度まで綺麗にしていただけたら助かりますわ。
わたくしが切り落とした木の枝を片付けるのも面倒くさいですし、戻ってきてついでに片付けておいてくれないかしら。
魔法を乱射するのは楽しいですが、片付けは面倒くさいですわ~。
切り落とした木の枝は腐蝕魔法を使って土に還してしまうつもりでしたが、後片付けを他人に任せて楽ができるならその方がいいですわ~。
”できる”と”すすんでやる”は別物なのですわ~。
しかし戻ってきた時に使用人がいないことに気付かれてしまうのは面倒くさいですわねぇ。
どうしたものでしょう。
そうですわ! わたくし、すごくいいことを思い付きましたわ!!
「あら、これは案外悪くありませんわね。使用人の服に良質の生地が使われているのは、さすが公爵家といったところでしょうか。なるほどこのカチューシャは飾りだと思っていましたが、髪の毛が前に落ちてこないために付けるのですね。ほほほ、これでわたくしも使用人に見えますわ」
使用人の控え室に置かれている姿見の前でクルリと回って自分の装いを確認して納得。
そこに映るのは使用人の服――メイド服を身に付け長い銀髪は二つに分けて三つ編みにしたわたくし。
昼寝するために化粧を落としたままのノーメイク。
これだけでも十分いつもと雰囲気は変わって別人のようなのだが、ついでに目元の印象が少し変わって見える変装用眼鏡も掛けてみれば、どこからどう見てもただのメイドですわ。
王太子の元婚約者たる者、変装道具の一つや二つくらい持っていますし変装くらいできて当然なのですわ~。
これならわたくしのことをよく知らない者、つまり公爵家の方々にはわたくしだとバレないはずですわ!!
思い付いたとても良いことというのはこれ。
使用人の控え室に保管されていたメイドの制服を拝借して、メイドに変装してみましたわ~。
もう一度先ほどの方が庭の手入れに来られたなら、メイド姿で接触をして、別邸に使用人がいると見せかけましょう。
勤務表を見ればすぐにバレそうな誤魔化しですが、使用人全員職務放棄なんてさすがに上にバレれば解雇レベルの事案で当事者達が隠蔽工作もしていそうですし、しばらくバレないことに賭けることにしましょう。
まぁバレたらバレたで、使用人が全員職場放棄したことには変わりないのでそれを盾に、使用人は最低限にしてもらって放置嫁生活を満喫することを目指しましょう。
それにしてもこのメイド服、思ったより軽くて動き安くて着心地も良いですわね。
ゴテゴテしたドレスよりも、わたくしが実家から持ってきた安物のワンピースよりも、遥かに快適ですわ。
しかもただのメイド服かと思いきや軽量化や耐久性アップや防汚効果が付与されていますわ。
それに加え、メイドの仕事中に巻き込まれやすい事故を考慮して、耐火、耐水、物理耐性まで付与されている様子。
使用人の制服に気合いが入りすぎで驚きですわ。ですが、その気合いのうちの一ミリでも使用人の教育に向けていただきたいところですわ。
しかしこのメイド服、あまりに快適すぎるので使用人がいないうちはこれを着て過ごしてもいいですわね。
後でちょこっとわたくし好みにリメイクして。付与もして。
使用人の控え室には新品のメイド服の在庫がまだありましたから、着替えにも困りませんわ~。
……と、メイド服に着替えてみましたが、先ほどの方々が戻ってくるかはわかりませんし午後のティータイムの準備でもしましょう。
お茶菓子にスコーンでも焼いて、ハチミツをたっぷり付けて食べましょう。
実家では優雅にティータイムを過ごすことなんて、わたくしには許されていませんでしたからね。
あの親子が実家に入り込んでからは、優雅なティータイムなんて王太子妃教育で登城した時や、学園の部活やサロンで嗜むくらいでしたからね。
こちらに来てからのティータイムも、嫌がらせなのか本当に下手クソなのかわからないしっぶいお茶と、すっごく微妙なお茶菓子が続いておりましたからね。
わざとやっていたのなら、食べ物を弄ぶ愚か者がいつかその報いを受けますように。
厨房でティータイムの準備を始め、スコーンがもうすぐ焼き上がるという頃。
換気窓から外へと流れ出していく香ばしく焼けた小麦の香りとバターの濃厚な香りに誘われるように、庭方からこちらに近付いて来ている足音が聞こえた。
手入れがされていない庭に生え散らかる雑草をサクサクと踏む足音が二つ。
聞こえてくる音の響きから、音の主の体格と履き物の質の違いがはっきりとわかり、おそらくは先ほどの二人であろうとほぼ確信したあたりで、スコーンの焼き上がりを知らせるオーブンのタイマーがチンと鳴った。
足音から注意を逸らさず体も視線もオーブンの方へ向け、オーブンの扉を開き中から焼き上がったスコーンの香りがいっきに広がりでたタイミングで、すでに封を解いておいた勝手口をノックする音がしてわたくしが返事をする前にガチャリを開かれた。
「すみませーん、誰かいますかー? いますよねー? あ、いきなり失礼しました。庭にスズメバチの巣があって危ないので、それの除去と庭の手入れにきましたー。いやー、それにしても良い匂いですねー。マルグリット様のティータイムの準備ですかぁ? 使用人が減ったとか聞いてましたけど、メイドが菓子の準備まで? ああ、キッチンメイドさんかなぁ?」
ものすっごいヘラヘラした男が勝手口を勝手に開けて姿を見せた。
ヒョロリと背の高い黒髪ショートヘアーのスーツ男。先ほど二階から見た時は後ろ姿だからわからなかったが、銀縁の眼鏡を掛けニコニコというかヘラヘラとした笑顔を貼り付けている。
その後ろには麦わら帽子を被った中肉中背の初老男性。
先ほどスズメバチに追われて帰っていった二人に間違いない。
先ほどと違うのは、分厚いポンチョを羽織っているところ。きっとスズメバチ対策だろう。
わたくしは彼らの存在にまさに今気付いたような驚きの表情でそれを迎える。
使用人用の勝手口ですし、このヘラヘラ男はメイドや庭師より上のものでしょうから、こちらの返事を待たずに扉を開けたのは気にしないことにしますか。
別邸の使用人が減っているのはある程度知っている可能性もありそうですし、抜き打ちで使用人の様子を見に来たという可能性もありますからね。
しかし、わたくしのことを「奥様」ではなく「マルグリット様」と呼んだ点はほんのちょびっとだけ好感が持てますわね。
使用人達は当然のようにわたくしのことを奥様と呼んでいましたけれど、あのおクソ夫の奥様なんて呼ばれるのは非常に不愉快ですからね。
そしてオーブンからスコーンを取り出すわたくしの手元をものすごく物欲しげに見ているのは――愉悦ですわね。
ほほほ、これはわたくしのおやつですので分けてはあげませんことよ。
しかしこのヘラヘラ男、どこかで見たような……。
アッ! 思い出しましたわ!!
わたくしがシャングリエ公爵邸に来た日に、おクソ夫の近くにいたのを思い出しましたわ!!
大丈夫……会ったのはその時だけですから、わたくしの完璧な変装がバレるわけありませんわ!!
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