第7話◆一方その頃――公爵家長男の下っ端秘書の場合①
「次、別邸の方の報告を」
「別邸の件はそこの新入り君に任せていたな。報告を」
広い執務室の大きな窓を背に配置された豪華で横長の机と座り心地の良さそうな椅子。
その椅子の上で、白みの強い金髪の男がふんぞり返っており、その横には茶髪のヒョロヒョロ男が書類を手に白金頭の男に言われたことをそのまま俺に振る。
この部屋の主とその側近筆頭なのだが、部屋の主である白金頭様の言葉を横で復唱するだけなら茶髪君の存在って必要?
なんてチクチクとした思考が出てきたのは、ここに配属されまだ日が浅いため雑用を押しつけられまくりのパシリにされているからだろうか。
とある筋の紹介によりシャングリエ公爵家で働くことなり、真面目に働いて一年程した頃に働きっぷりを認められ、学園卒業と共に領地に戻られたアグリオス様の側近に抜擢された僕は、シャングリエ公爵家に仕えて日が浅いこともあり他の側近がやりたがらない仕事を押しつけられまくくっていた。
そのうち大トラブルが起こりそうな予感がするあの別邸の監視もそう。
椅子でふんぞり返っている白金髪の男――アグリオス・シャングリエは、ここエレジーア王国のシャングリエ公爵家の長男で、将来シャングリエ公爵となることがほぼ約束されており現在は領地運営に携わっておられる。
アグリオス様は先の冬に王都にある王立学園を卒業された直後、電撃的に婚姻が決定し領地に戻ることとなり、つい先日全ての手続きを終えて結婚式を挙げシャングリエ公爵領の本邸に奥様がやって来られたばかりだ。
この国の階級の高い貴族が学園を卒業した直後に、政略的に決められた婚約者と入籍することはそう珍しくない。
名家の跡取りとなると将来は約束されており、卒業と共に領地運営に携わることになり、その伴侶もそれをサポートする役目を担うのが一般的である。
なのでシャングリエ公爵家長男のアグリオス様が学園卒業後即結婚したこと自体は、エレジーア王国の貴族的には何の異例でもない。
異例なのはそのお相手と婚約期間がミリしかなかったこと。
そしてそのミリしかない婚約期間を経て結婚に至ることになった顛末と、結婚後のご夫婦の関係。
ええ!? 学生の色恋の縺れで国政に纏わる人事を弄っちゃって大丈夫なのか!?
しかもその中心が、将来国のトップに立つことになる王太子の采配!? 大丈夫か、この国!?
国益を考えて決められた王太子婚約者を、将来のために何年も掛けて育てた人材を、ただの色恋の縺れでその地位から外しちゃう!?
で、その人材をエレジーア王国有数の有力貴族であるシャングリエ公爵家に渡しちゃう?
それって国政を担える程の人材を貰ったシャングリエ公爵家は、相当ラッキーなのでは!?
なのにそれを嫁に貰った本人は学園時代の色恋感情の縺れを引きずって不服そうで、領地運営に携わらせないどころか、シャングリエ家本邸から離れた古い別邸に押し込めちゃったよ!?
いやいやいやいや、もったいない! すごくもったいない!
資料によれば幼少の頃から婚約が破棄されるまでの間、王太子妃教育を真面目に受け続け、学園では国政に必要な学科以外も積極的に取得され、その成績も常にトップ争いをしていた方らしい。
そんな方なら、捌ききれず積み上がっている領地の問題を処理する力になってくれたのでは!?
などという出来事に王太子や公爵家跡取りの正気を疑い、一連の資料に目を通し目玉がグルグルするほど目眩がした。
この国もこの公爵家、大丈夫か!?
と、思ったが僕は一介の雇われ役人だし、この国の政界の上の方々どころか直属の上司にさえペコペコするしかない僕がそんな心配をするだけ無駄である。
アグリオス様が零していた話によると奥様はすこぶる性格が悪く、自分が優秀であることを鼻に掛け王太子やそのアグリオス様を含む王太子の友人達を見下していたとか、元平民で貴族教育を受けた期間が短いため学園の授業についていけない腹違いの妹を馬鹿にして虐めていたということだが、僕が独自に集めた社交界の情報によると妹の方が成績が悪いのは遊びほうけて勉強をしていないだけで性格も男好きでたいがいだったようだった。
ま、アグリオス様はその妹にベタ惚れをして相当入れ込んでいたようだから、恋愛補正で現実とは大きな乖離がありそうだ。
いや、実際かなりあるんじゃないかなぁ……思い込みで現実を見ることを放棄して大丈夫なのかなぁ?
なーんて心配しても、それを進言できるような立場でもない僕は、指示された報告に専念する。
「はっ。使用人の話によりますと、昨日も仕事が気に入らないといって使用人達が別邸を追い出され、職務時間内に持ち場を離れたようです。別邸の人事担当を担当している執事に確認をしましたところ、マルグリット様が気難しく別邸に入られた当日から使用人に厳しく当たるため、別邸に配属できる者が減り続け現在は最低限の人数で回しているとのことですが、詳しい事情はマルグリット様にも確認をされた方がよろしいかと」
僕が把握していることはできるだけ手短に報告する。
あまり長くなるとアグリオス様が面倒くさがって話をぶった切るというか、奥様のことはあまり耳に入れたくない様子で別邸の様子を報告しても聞くだけで終わりである。
しかも奥様というとブチキレられるのでマルグリット様と呼んでいる。
今日もその短い報告だけで、アグリオス様とその横の茶髪君の顔が険しくなる。
報告しろ言うわりには、報告をすると機嫌が悪くなるのはやめてほしい。
というかこの報告は使用人サイドから上がってきた話だけだから、マルグリット様の話もできるだけ聞いた方がいいんじゃないかなぁ?
僕が会いに行ってもマルグリット様は部屋から出てこなくて会えないし、使用人もすんごく面倒くさがそうだから、アグリオス様が直接別邸に行く方が正確な現状を把握できて問題の早期解決もできると思うんだけどなぁ?
しかしアグリオス様の態度からは僕の進言に耳を傾ける様子なく、その表情からはいつかトラブルに発展しそうな別邸の様子とその中心におられるマルグリット様への嫌悪の感情しか浮かんでいなかった。
使用人から上がってきた報告はまるでマグリット様が我が儘を言って使用人を別邸から追い出しているような話だが、毎日別邸の様子を確認にいっている僕は知っている。
手入れのされていない庭、行き届いていない掃除、態度の悪い使用人。
おそらくアグリオス様がマルグリット様との初夜を拒否され、翌朝別邸に追いやったことで使用人達もマルグリット様を舐めて仕事の手を抜いているのだろう。
だが使用人はあくまで使用人であり、扱いがどうあろうと仕えるべき相手の方が立場は上なのである。
それをわきまえず改善しないのであれば、不適切と見なされて追い出されてもおかしくない。
普通なら即解雇案件レベルな別邸の使用人達の勤務態度なのだが、別邸の使用人を統括している者もまたアグリオス様のマグリット様に対する態度の影響か、この状況を改善しようとする様子はなく僕が見に行く度に別邸の使用人の数は減っており、そのことは別邸の使用人が減り始めたことに気がついた時点でアグリオス様に報告はしたが何も対応をする様子がないのが現状。
昨日の昼くらいの時点でもう片手で数えられるのではないかという程しか使用人が残っておらず、このまま減り続ければ別邸に使用人いない状況に……いやいやいやいや、さすがに公爵家の長男夫人を使用人も護衛の騎士も付けずに敷地の隅っこに放置とかないでしょ!?
――と思っていたのだが。
朝の会議でその報告をした後、別邸の様子を確認に来てみれば別邸の正門前にいるはずの騎士の姿が見えない。
ええ……昨日の昼の時点ではまだいたんだけど、もしかして護衛の騎士まで職務放棄をしちゃった?
それって貴族家に雇われている者としてどうなんだ? つーか、騎士の精神とは?
それよりなにより、騎士がそんなことでこの家の守りは大丈夫なのか!?
門番のいない門より別邸の敷地内に入り建物へ近付くも妙に静か。
この時間ならばマルグリット様の朝食が終わり使用人が働いているはずなのだが、全くそういった気配を感じられない。
まさか本当に使用人が全く来ていないのか?
いやいやいやいや、さすがに公爵家の使用人ともあろう者達がそこまで非常識なことをするわけ……いや、跡取りが恋愛脳で常識を窓から投げ捨てているから、その下で働く使用人達も……まさか、ねぇ?
いやいや、昨日から更に人数が減ってそれなりに広い屋敷に人が少なすぎて、正面から分かりやすい場所に人がいないだけかも?
建物裏手の使用人用の通用口側へ行けばいるかもしれない。
そうだ、厨房や洗濯場は建物裏手だからきっとそっちに誰かいるはず……いるよな!?
とりあえず裏手に回ってみよう。
正面から行くよりいきなり裏からいった方が、使用人達の素の働きぶりが見られるし。
「ん? これは……」
建物の裏手に回りながらあまりの静かさと人の気配のなさに、もしや本当に使用人がきていないのではと不安になり始めた頃、厨房の方向からふわりと漂ってきた香りに安堵の息が漏れた。
それは料理の香り。
くたりと煮込まれた野菜のスープを連想する香りと、胡椒の掛かった何かが焼ける香りに胃の辺りが良い意味でキュッした。
マルグリット様の朝食にしてやや遅い時間。しかもこれはどちらかというと庶民的なシンプルな料理の香り。
マルグリット様の朝食が終わって、使用人が厨房で朝食をとっているのだろうか?
手入れが行き届かず雑草だらけの通路をサクサクと草を踏む足音をさせながら勝手口の方へ進むと、厨房の換気用の窓が開いているのが見えそこから食欲を刺激する香りが漏れ出してきており、中からは確実に人の気配がした。
ようやく第一使用人発見!
厨房から感じる気配は一人だけだろうか?
それでも最低一人は別邸で仕事をしていることにホッとして安堵のため息が漏れた。
冷静に考えれば次期公爵夫人が住まう屋敷に使用人が一人というのはあり得ないことなのだが、アグリオス様や使用人の振るまいのあり得なさと別邸の静かさにすっかり感覚が麻痺しており、一人でも使用人がいるだけマシという感覚になり気が緩んでしまった。
残っている使用人はどんな人物なのだろうか。
今まで別邸で遭遇した使用人は態度の悪い者ばかりだった。
アグリオス様の側近としては下っ端なんだけど、別邸で働いている使用人よりは上の立場なんだけどなぁ?
やっぱシャングリエ公爵家の使用人ってすんげー質が悪くないか!?
残っている使用人もまたそのような者の可能性が高いし、だとすると食事中に声を掛けると嫌な顔をされそうだし、食事中ということは休憩中でもあるので僕の対応をさせるのも悪いので、とりあえず換気用の窓から覗いて顔だけ覚えて帰ろうと少しだけ開いている窓に近付き中を覗き込もうとした。
ぼうぼうに生えて散らかしている雑草をサクサクと音をさせながら踏みつけて窓に近付くと、窓の中に高い位置で纏められた銀色の髪の毛が揺れているのがチラリと見えた。
その頭の大きさと位置ですぐに女性だと分かった直後だった。
ブーン。
ものすごく嫌な音がすぐ近くで聞こえた。とてもハッキリと。しかも複数。
その音の大きさと力強さでものすごく嫌な予感がした。
そりゃ、こんだけ手入れをしていない庭ならいるよねー!!
嫌な予感と共に羽音の方を振り返るとやっぱりいたーーーー!!
スズメバチだーーーー!!
スズメバチがいち、にー、さん……いっぱいだーーーー!!
刺されたらたまらないと厨房に逃げ込もうとしたのだが、僕がそちらに行くのを阻むようにスズメバチに回り込まれ、仕方なく来た道を戻り屋敷の表方面から雑草に埋め尽くされていない敷地の外まで撤退。
スズメバチは何とか振り切ることはできたが、この庭は早急に手入れをしなければいけないな。
ここに住まうマルグリット様やここで働く使用人に何かあってはいけない、そしてここの様子を見に来る僕に何かあってもいけない。
下っ端だけど一応アグリオス様の側近だからね! ちょっぴり権限もあるからね!
決定! とりあえずここの庭を綺麗にすることを決定!!
と心に決めて、即庭師を手配して昼過ぎに別邸に戻ってきたら何故か知らないけど、先ほどまでボッサボサだった木々が、別邸の建物周辺のものだけではあるが高い場所の枝まで刈り取られスッキリとしていた。
刈り取られた枝が地面に落ちたまま放置されているのは、作業途中だからだろうか。
庭木の剪定ができる使用人が残っていたのか?
となると、先ほどの銀髪ちゃんとは別の男性の使用人か?
相変わらず静かな屋敷の方を見上げながら首を捻っていると、足元に転がっていた何かを蹴飛ばし感覚がしてカサカサとそれが転がる音がした。
ブーーン。
何だろうなぁ……このデジャヴ。
ややややややややっぱりスズメバチだーーーーーーー!!
本日二回目。
スズメバチに追われ、別邸から戦略的撤退をすることになった。
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