第5話◆わたくしとスズメバチ
浄化魔法ですっかり綺麗になった厨房で作り始めた朝食が完成に近付き、コトコトと煮込んでいるスープと胡椒を振りかけたベーコンと卵の焼ける香りが厨房の中に広がり、開け放った窓から外へと流れていく。
着替えたり掃除をしたりで朝食には少し遅い時間だが、放置嫁のわたくしはどうせ一日暇なので何の問題もない。
厨房に設置されている大型の冷蔵庫には一週間分程度の食材、地下の食料庫には保存の利く食材や酒類が置かれており、食事には困ることはなさそうだった。
そこから食材を持ち出し、ベーコンエッグと野菜スープを作ることにした。
それにサラダとパンを添えれば、簡単で品数も少ないが実家にいた頃に比べれば十分豪華の朝食のできあがり。
貴族家の料理人が作る料理に比べれば貧相すぎるものだが、実家にいた頃は朝食が用意されていないことが当たり前で、朝食抜きがつらい日は雑草スープなんてこともあったから……それに比べれば豪華すぎる朝食である。
それに昨日まで用意されていた食事は、別邸に派遣されていた料理人の腕が悪いのか、それともただの嫌がらせなのか、味が濃すぎたり薄すぎたりとわたくしの口には合わないものだったので、貧相でもこうして自分の口に合うもの方がよっぽどかマシである。
「あら?」
朝食が完成しそのまま厨房のテーブルで食べ始めたところで、厨房の窓の外に人の気配を感じた。
職場を放棄した使用人が、わたくしの様子を見にたのかしら?
使用人がいなくて困っているところをせせら笑うために。
この程度の食事しか作れないので、それはせせら笑われても仕方ないのですが、それでも使用人がいなくても何も困っておりませんの。むしろ自由で気楽なくらい。
なので貴方方は必要ありませんし、食事中にコソコソ覗き見をされるのも気分の良いことではないので、ちょっと幻影魔法でも使って追い返してしまいましょうか。
「ホーネット・ミミック」
食事の手を止め窓の方を振り返ることなく視線だけそちらに向けながら小さく囁いて指を鳴らすと、窓の側にブンブンと数匹のスズメバチが現れた。
もちろんそれは本物のスズメバチではなく、わたくしが幻影魔法で作り出した偽物のスズメバチ。
攻撃能力はないのだが、スズメバチという見た目だけで人を脅すには十分な幻影である。
それを窓の外へと飛ばし、食事を再開する。
窓の外でくぐもった男性の短い悲鳴の後、ガサガサバタバタと音と立てて走り去っていく人の気配を感じながら。
護衛の騎士もいなくなり、女一人で暮らすことになったこの別荘の周りを誰かよくわからない者がうろうろしているのは物騒で落ち着かないですし不愉快でもありますので、自衛の策を講じなければなりませんわね。
朝食が終わればその片付けもあるのだが、やはりこれも魔法で楽をすることができる。 先に浄化魔法でざっと汚れを落としてから洗えば、食器も鍋もフライパンも簡単にピッカピカ。
魔力を消費するのでそれに伴う疲労感はあるが、使用人がいなくとも後片付けにも困らない。
不愉快な使用人と顔を合わせ気疲れするよりも、魔法を使って身体的に疲れる方がよっぽどかマシである。
魔法を使うことは好きだし、魔法を使えば使うほど魔力が増えていくのも楽しい。
というわけで、朝食も済ませたことだし邪魔な使用人がいないうちに生活環境を整えましょう。
まずは住まいの安全確保から。
おそらく仕事を放棄した使用人かアグリオスの部下辺りがわたくしの様子見にきた、もしくは監視にきたのだと思われますが、周りをコソコソとうろつかれるのは不愉快ですし、碌に仕事すらしなかったうえに職場を放棄するような非常識な使用人ならば何をしでかすかわからないので、念のための自衛をしておくべきでしょう。
表玄関はわたくしの部屋も食堂や厨房からも遠く、また扉も大きくて開けるのも手間なため、わたくしだけならこの玄関は使わず、厨房側にある勝手口を使うことが多くなりそうだ。
そもそも本邸には許可なく近寄るなと言われており、公爵邸の外に出かけるにしてもこの別邸から公爵邸の正門までは馬車に乗って移動するほどの距離があり、嫌われ者の放置嫁に馬車を手配してもらえるとは思えない。
つまり実質軟禁状態なので、正面玄関使って堂々と外出することなんてまずない。
ならば、使わない玄関など封印してしまいましょう。
ちょうど良いことに全くわたくしの趣味ではないリボンやアクセサリーが、公爵家が用意したものの中にたくさんありましたわね。
わたくしの趣味には合わないものだが、さすが公爵家が用意したものだけあってそれなりの質なので、付与に向いていない素材だとしても簡単な魔法くらいな付与ができそうだった。
付与とは物に魔法をかけ、その物に魔法の効果を持たせることで、魔力を多く含んでいる物ほど大がかりな付与ができる。
これも学生時代、魔法系の学科を専攻して学んだものだ。
本来なら付与にはそれに向いた素材を使うものなのだが、そうでないものにでも頑張れば何とか付与をすることができる。
ええ、妹がドッグウッド家にきてからは王太子妃教育で王城に上がる時以外は、妹のお下がりばかりを着ておりましたからね。
自分で手直しをしたり、手直しついでに付与をしたり。
もちろんお下がりのドレスもアクセサリーも付与向きの素材ではなくてたいした付与はできなかったが、付与に不向きな素材に付与するコツは何となく掴むことはできた。
その技術を活かし、リボンと宝石付のネックレスを絡み合わせたものに正面玄関を封印するための付与を施し、それをダブルドアの両方の取っ手部分の通してグルグルと巻き付けて、鍵を開けても少しの力では玄関の扉が開かないようにして、金属製の取っ手部分には強い衝撃を与えるとビリッ痺れる程度の雷撃の付与もしておいた。
女性の一人暮らしにはこの程度の用心は必要だと思いますの。
それに内側から封印を解除して開ければ安全ですので、訪問の際は先触れを出すか玄関の呼び鈴を鳴らしてわたくしが内側から開けるのを待っていれば問題ないはずですわ。
正面玄関はこれでよしとして、次は先ほど何者かがコソコソとしていた気配がある庭。
別邸にはそれなりに広い庭があるのだが、さっぱり手入れがされておらず草がボウボウと伸び放題。
草だけではなく元々庭に植えてあったと思われる植物も成長しまくって荒れ放題。
そのせいで別邸周辺の雰囲気はお化け屋敷のよう。
しかもここまで荒れていたら、庭に虫や蛇もたくさんいそう。
本物のススメバチがその辺に巣を作っていてもおかしくなさそう。 どうしましょうかこれ……。
風魔法を使って刈り取るのは簡単なのだが、それをやると蜂の巣を巻き込んだり、草の中に潜んでいる蛇が出てきたりしそうである。
……ま、いいか。
庭の見通がいい方がコソコソと隠れている者を見つけやすいですし、こうも庭木も草も伸び放題だと虫や蛇が恐いですからね。
庭いじりは好きですし、刈り取って綺麗にしてわたくし好みの庭にしてしまいましょう。
実母が花や薬草が好きで子供の頃はよく庭で一緒にガーデニングをしていたのですが、実母が亡くなり妹達が現れてからはそんなことはさせてもらえなくなりましたからね。
ふふ……せっかく使用人がいなくなって伸び伸びできのですから、やりたいことや好きなことはどんどんやることにしましょう。
まずは高くまで伸びすぎてしまっている庭木の枝をバサッと。
木を登って窓から建物に侵入される危険もあるので、窓に近い部分の木の枝は見通しが良くなるようにサクサク切ってしまおう。
そぉれ、ウインドカッターッ!!
魔力で風の刃を作り出し、頭上を覆うように繁っている木の枝へ向けて飛ばすと、木の枝が紙のようにサクサクと切れて、バサバサと地面に落ちてくる。
魔法さえあれば背の高い木の剪定だってサックサクですわ~。
こういう攻撃的な魔法は危険もあるので、日常生活ではあまり使うことがないため、思いっきり撃ちまくれるのはかなり楽しい。
ええ、すごく楽しいのです。
これはシャングリエ公爵家に来てから貯まりまくっているストレスを発散するのにちょうどいいですわ~。
この調子で建物の周辺の木は全てスッキリさせてしまいましょう。
後で何か文句を言われても庭を手入れしていないのが悪いのですし、そもそも別邸に嫁を一人放置するのが悪い。
そう悪いのはクソ夫やクソ使用人である。
というわけで、ストレス発散ウインドカッター乱れ撃ちですわーーーー!!
ボトッ。
「あら、何か落ちてきましたわ。こ、これは……蜂の巣ですわーーーー!!」
切り落とした木の枝と一緒に何か落ちてきたと思ったら蜂の巣ですわーーーー!!
しかもススメバチの巣でしたわーーーー!! そのうえ結構でっかいですわーーーー!!
あらあらあらあらあらあらーー!! スズメバチさんがたくさん出てきましたわーーーー!!
こういう時は――建物の中に逃げ込みますわーーーー!!
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