第3話◆放置嫁なので好きにやらせてもらいます

「あら? あらあらあらあら? これは楽しくなり……いえ、困りましたわねぇ」


 誰もいない別邸の食堂、当然のように食事など用意されていないテーブルの前でわたくしは、思わず頬に手を当てコテンと小首を傾げてしまった。

 あまりにも楽しくてテンションが上がり過ぎて。




 あのおクソみたいな初夜の翌朝、朝早くから叩き起こされまして朝食すら済まさぬまま、態度の悪い使用人達に馬車に乗せられ連れてこられられたのは、シャングリエ公爵邸の敷地内の隅っこの隅っこの隅っこにある古い別邸。


 そう、わたくしが新婚早々押し込まれた別邸は馬車で来なければいけないほど本邸からは離れており、シャングリエ公爵邸の敷地はそれほどの広さがあるのだ。


 やる気なくだらだら進む馬車に揺られること数十分、あまりに隅っこすぎてわたくしの部屋から公爵家の敷地とその外を区切る石壁を見ることができますわ。

 しかもこの辺りは敷地の隅っこすぎて手入れが行き届いていない辺りのようで、別邸そのものも別邸の周りの小さな庭も、別荘の周囲に見える別の建物や公爵家の敷地を囲む石壁も老朽化や劣化が目に付き、それらの周辺には雑草がぼうぼうと生え、別邸の庭など雑草に蹂躙されてしまっている。


 そんな明らかに公爵家の長男夫人を住まわせるような場所ではないところに追いやられて一週間ほど過ぎた今日、朝になっても誰も起こしにこないで自分で身支度を調え、食堂にきてみるとこれ――朝食が用意されておらず使用人の姿も見えない。

 それどころか、妙に静かで建物の中に人の気配すら感じない。


 王太子の元婚約者たる者、いつどこで物騒な事案に巻き込まれるか分からない故、周囲の気配に対して常に注意を払い、それを探る術くらい身に付けていて当然なのだ。


 ……と、王太子妃教育係の担当だった者の指導によりちょっとだけ気配には敏感なのだ。

 周囲の気配を気にするようになってからはちょっぴりそれが楽しくなって、王家からこっそり付けられている護衛の方を探すのに嵌まっていた時期もあり、プロの方々には及ばぬものの周囲の気配を探るはちょこっと得意な方なのだ。

 業務に支障をきたすからやめてくれと護衛の方に言われて以来あまりやらないようになりましたが、あの時の技術が今ちょこっと役に立ちましたわ。


 ええ、だから分かりますわ――今この別邸にはわたくし以外誰もいないでしょう!


 それに気付いて思わず楽しくなってきて、ポロリと独り言が溢れてしまいましたわ。



 結婚当日の夜、用意された夫婦の寝室とは別の部屋で寝た夫、初夜の痕跡のないヘッド、結婚式翌日に敷地の隅っこの別邸に追いやられた夫人――使用人に侮られないはずがない。


 別邸に移った当日は少ないながら使用人がいて、護衛の騎士もおり、食事や風呂も用意されており、雑ではあるが身の回りの世話もされた。

 その態度はとても使用人のものとは思えず公爵家の品性が疑われるものだったので、その場で強めに使用人達に注意するをしたら、元々少なかった使用人が翌日には更に少なくなり、食事や身の回りの世話が更に雑になった。

 それを再び注意すれば腹いせなのか、その翌日には更に使用人の数が減り仕事の雑さも酷くなった。


 その繰り返しで日々使用人の数が減り、使用人の人数の少なさもあって仕事は更に雑になり、ついに昨日あまりに仕事が雑過ぎて自分でやった方がマシなので自分のことは自分ですると告げると、食材だけ置いて本邸に引き上げていった。護衛の騎士も一緒に。

 そして今朝、使用人も騎士も別邸に来なかったようだ。


 公爵家の使用人と騎士の質の低さに多少は驚きはしたが、ぶっちゃけこちらを見下した態度の使用人も護衛騎士もいるだけで不愉快なので、全員引き上げてくれたのは逆にありがたかった。


 彼ら的にはわたくしが使用人がいなければ何もできないと思い別邸に来なかったのだろう。

 使用人がいなくて何もできなくて困る、わたくしをせせら笑うつもりだったのか、それともわたくしが困って夫に泣きついて、あのおクソ夫に面倒くさそうに対応されるのを見て満足したかったのか。


 まぁ、どちらでもいい。

 わたくしにはその方が都合がいいから。


 こうなることをある程度予想してからこそ、わたくしを見下し横柄な態度を取る使用人に強めに、そして何度も注意をしたのだ。

 こちらの態度が気に入らなければ、仕事をサボったり手を抜いたりするだろうと思っていたが思った以上に質の低い使用人だったようで、来なくなった人員が補充されず減り続け結局一週間ほどで誰も来なくなるとは、使用人達の行いを咎める者もいないのだろう。


 実家で散々蔑ろにされていたおかげで、自分の身の回りのことくらい自分でできるわたくしにとって、仕事をしない使用人なんていない方がいい。

 使用人達の目がない方が好き勝手できるから。


 使用人の質は家門を映す鏡。

 この使用人や騎士達の態度は普通の貴族家なら即解雇のような行動だが、アグリオスの感情任せの短絡的な行動を思えば、使用人の質も納得はできる。


 王都で暮らしてらっしゃるアグリオスの父、現シャングリエ公爵は宰相の地位にあり仕事のできる方の印象があったのだが、王都暮らし故に領地の使用人まで目が届いていないのかもしれない。


 宰相であるシャングリエ公爵が王都から離れることができないため、領地の運営はほぼ親戚や部下に任せている状態にあり、領地の運営をアグリオスがわたくしと一緒に行えばいいと、あのあんぽんたん王太子が国王陛下に進言し、当初は王都で王太子の側近になる予定だったアグリオスは王都から遠く離れたシャングリエ公爵領に移ることなったのだ。


 確かに使用人がここまでつけあがるほどには、領地の運営には手が回っていないようなので、次期シャングリエ公爵の地位がほぼ確定しているアグリオスを、将来のことを考えて領地運営に携わらせるのは正しい選択だと思う。

 性格はアレだがアグリオスの学園での成績はトップクラスで、親の威光がなくともいずれ国政の中枢へ入り込むだけの人物であると思えるものだった。


 まぁ、あんぽんたん王太子がアグリオスを領地に戻すように進言したのは、シャングリエ公爵領のことを考えてではなく、恋敵のアグリオスをフリージアから遠ざけただけに違いないけれど。


 しかしアグリオスが領地に戻ってきて領地運営の効率は上がっても、アグリオスがあれでは使用人の質は変わりそうにない。

 少なくとも、わたくしへの態度は使用人らしからぬものが続くは確実である。

 使用人は主人の行いに影響を受けるものなのだ。


 だがわたくしにとっては、その方が都合がいい。

 わたくしのことが嫌いで仕方なくて顔さえ合わせたくなさそうな夫に、職務放棄をして別邸にこなくなった使用人達。

 アグリオスはそのことに気付いていないのか、気付いていて放置しているのか。


 わたくしが歓迎されていないことくらい承知していたが、人としても貴族としてもありえない対応に、シャングリエ公爵家の全てに愛想を尽かすにはこの一週間で十分であった。


 幸い食料品や日用消耗品は業者が直接別邸に届けに来ているようなので、料理も身の回りのことも自分でできるわたくしは使用人などいなくても生きることには困らない。


 侯爵家のお嬢様、しかも元は王太子の婚約者だった令嬢が料理なんてできるわけがないと思った?

 実家では身の回りのことは全部使用人がやってくれていたと思った?


 残念! 実家でも継母――フリージアの母との折り合いが悪くて、使用人も最低限しか付けられていませんでしたの!


 しかもその最低限っていうのも、わたくしが王太子の婚約者として城に出向く日やパーティーやお茶会など、侯爵家の体裁に関わる日の身支度の時だけで日頃はわたくしのための使用人などなし。

 ま、そのパーティーやお茶会もお義母様の工作で、王太子の婚約者として外すことのできない最低限のものしか参加させてもらえなかったけれど。


 継母はめちゃくちゃ野心家で、彼女が侯爵夫人になってからは自分の娘フリージアをわたくしに代わって王太子の婚約者にしようと必死で、もちろんフリージアも超その気で、わたくしを必要以上にパーティーやお茶会に参加させない代わりに自分達は頻繁にそれらに参加して、わたくしが彼女達を虐めてドッグウッド家から追い出そうとしていると周囲に吹聴して回っていた。


 まぁ、まともな貴族の方々は彼女達の話はあまり本気にはしてなかったようだが、ゴシップ好きの貴族達の話のネタとしてはちょうどよく、元々平民だった彼女達の社交界での浮きっぷりも合わせて噂をされていた。


 中には彼女達の流した大嘘だらけのわたくしの噂を信じている方もいるんですけどね。 あんぽんたん元婚約者だとかおクソ夫とか、その不愉快な仲間達とか。


 そんなわけで、あの親子がドッグウッド家にきてからすぐにわたくし付きの使用人はいなくなり、食事すらも理由を付けて用意されていない日もあった。

 そのため自分の身の回りのことは自分でやるしかなく、食事が用意されていなければ自分でなんとかするしかなかった。


 自分でなんとか――あの親子がドッグウッド家にきた頃は王立学園の中等部に通っていたため、食事が用意されない日が増えてからは昼はそこで提供される食事、放課後は下位貴族や平民を中心に構成される料理研究部に入部して部活動のある日はそこで作った料理を夕食代わりにしていた。

 おかげで上位の貴族家令嬢にしては珍しく料理スキルもしっかりと身に付いている。


 それでもどーしても食事がなくて空腹が我慢できない日は、母の勧めで幼い頃から身に付けた薬草の知識と、興味があったので王太子教育の合間で身に付けた鑑定スキルと魔法を駆使して、庭に生えている植物の食べられそうなものを食べていた。


 観賞用の植物には毒やあるものも多いが、食べられるものも多いのだ。

 庭師には申し訳ないと思いつつハーブの類いはそのまま食べられるものが多いで、厨房から持ち出してきた粉チーズやドレッシングをかけて食べていた。

 たまーに有毒な草と間違えて食べてお腹を壊すこともあったけれど、王太子妃教育の一環で身に付ける毒耐性が更に強化されることになっただけ。


 あの頃に比べれば、業者が食材や生活に必要な消耗品を別邸まで直接届けてくれるだけマシである。


 どうせ放置されているのですから、わたくしも好き勝手にやらせていただきますわ。


 ええ、後で文句を言われましても放置した方が悪いのですから。



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初夜にお前を愛することはないと言った夫が今さら機嫌を取りにきて超うざい【連載版】 えりまし圭多 @youguy

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