第1章-4話 直面

 看護士の呼びかけに「はい」と返事をしながら手を上げた麻子。しかし、その声は声になっておらず、周りには処置を終えて出てきた子供たちが家族と合流し、それぞれに声を掛け合っているため、看護士にその声は届かなかった。


再度名前を呼ばれ、今度は手を上げながら看護士のもとへと向かうことが出来た。それに気付いた看護士からは、


「現在、まだ処置が続いております。少しお時間がかかりますが院内でお待ちいただきますか?あと数時間はかかるかと思います」


と説明を受けた。その説明は淡々としていたせいか、麻子も美子も状況が把握できなかった。


「あの…ここで待っていますが、どういう状況なのでしょうか?」


麻子は看護師に尋ねた。看護士は、少しカルテに目を向けながら、


「昭子さんは、頭部と右の足を負傷しておりまして、どちらも現在縫合中です。他にも異常がないかを調べながらの処置ですので、処置が終わりましたらしばらくは入院が必要となります。ご自宅が近いのでしたら一度お帰りになって入院の準備をなさってから戻って来ていただいた方がいいかもしれません」


と説明した。帰る足がない麻子と美子。時計を見ると、父親が帰ってきている時間かもしれない時間だった。


「少し待ってください。夫が帰宅しているかもしれないので連絡してきます。一度帰宅するかどうかもその時に決めますので」


麻子はそう告げ、美子を待合室に残したまま、公衆電話を探しにその場を離れた。


「昭子は大丈夫ですよね?」


残された美子が看護士に尋ねた。その声は、今にも息絶えそうなほど弱々しく震えていた。


「今、先生が頑張ってくれていますからね。お姉さんも心配だと思うけど待っててね」


美子の目の高さまで身体を落としながら看護士はそう言った。その看護士の言葉に、美子はコクンと頷いた。もう声も出せないくらい心配はピークに達していたのだ。


「ここに座って、お母さんを待っていてね」


看護士に促され、長椅子に座った美子を見届けると、その看護士は再び処置室へと姿を消していった。ひとりになった美子は急に心細くなった。両手を胸の前で組み、祈るような格好で麻子が戻ってくるのを待つ。その時間がとてつもなく長く感じた。



*****



「昭子が交通事故に遭ったの。今、病院に来ているんだけどまだどんな状況なのか分からなくて、一度帰宅して入院の支度をして戻ってきてほしいって看護士さんから言われて…」


公衆電話の受話器に向かって麻子はそう伝えた。電話の向こうでは父親、貴士たかしがそれを聞いていた。


「今から迎えに行くから。麻子は入院の準備をしたら病院に戻って、美子には俺と家に帰るよう伝えて」


麻子の動揺を察した貴士は冷静な声で伝えると、電話を切り、病院へと向かった。しかし、本来ならば入院の準備をしてそれを持って行けばいいだけの事だったのだが、やはりわが子の事故という衝撃な事実に、貴士もまた動揺していたのだ。


 家族を襲ったこの悲劇に直面した被害者やその関係者。日常の中に潜む交通事故の恐ろしさを身をもって思い知らされたのだった。誰もこんなことになろうとは想像していないこと。それが交通事故の恐ろしさなのだ。


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