それが降る日に語りたい

猫科狸

依頼

 肌寒い風に身を縮こませながら、今は焼けて復興工事途中である首里城を一望できる公園で、温かいコーヒーを口へ運ぶ。

 私、猫科狸は悩んでいた。

 怖い話を執筆するにあたり、何を書けばよいのか、書くべきか思いつかなかったのだ。

 私は幼い頃から怪談、所謂怖い話などがとても好きであった。それにはホラー好きである父の影響が強く関係している。

 両親は自営業をしており、毎日仕事が忙しかった。もともとインドアな性格である私は、両親が帰ってくるまでの間、一人でゲームをしたり本を読んで過ごしていた記憶がある。

 父が「これ、読めるなら読んでいいぞ」と部屋に置いていってくれたのが、【本当にあった怖い話】という実話怪談の本であった。

 この本を読んだときの衝撃と面白さは、あっという間に私を怪奇と幻想の世界へ引きずり込んでいった。

 それからは家中の怪談本を探しては、読み漁った。家の本を読み終えた後は学校の図書館を回った。学校にある本では物足りなくなり、両親にお願いして大人向けの漫画や本も買ってもらっていた。

 読んだり見るだけでは飽き足らず、高校生になる頃には「怖い話なんて知っていませんか?」と色んな人へ聞いて回るような変人になっていた。

 社会人になってからは、創作、実話問わず自身で執筆をするという行為にまで手を出してしまい、恐怖という沼へどっぷりと浸かってしまったのである。

 

 公園でしばらく頭を悩ませていたが、なんのネタも思いつかない。取材した怪異が記されているメモ帳を眺めても、どれを書けば良いのか分からない。

 仕方なく帰ろうとした私の元へ「上田直幸」、巷では「デンコウさん」と呼ばれている友人から連絡がきたのである。

「なあ、時間があればさ、ちょっと読んでもらいたいものがあるんだが」

 彼は電話口で、申し訳なさそうに言ってきた。

 デンコウさんは商業出版こそしていないが物書きを趣味としており、私と同じように実話怪談というジャンルを好んでいる。体験者へ取材をし、怪異を収集し、興味を持って読んでもらえるように文章として残すのだ。

 私と彼には、どちらも沖縄県を中心に怪異収集をしているという共通点があった。

 私も実話怪談を書くにあたり、体験者を紹介してもらうことなども多々あった。締め切りに追われネタが足りないときなど、彼に何度救われたか分からない。

 彼と一緒に同じ人物へ取材をしたこともある。少しだけそのときの話をしよう。

 その日デンコウさんと共に取材で訪れたのは沖縄県N原町の古風で風情のある喫茶店であった。

 扉を開けるとカラカラとした音色が出迎えてくれ、なんだか良い雰囲気だなと感じた。

 待ち合わせの席に座っていたのは、小柄で黒く長い髪をなびかせる美しい中年女性であっ た。その佇まいはどことなく妖艶さや気品を感じさせ、私は柄にもなく胸を高鳴らせてしまっていた。

「よろしくお願いいたします」

素敵な女性から聞く怪異というものも悪くない――なんて邪な考えは、彼女が話を初めてすぐに消え失せていた。



 私が小学生の頃、祖父と庭で遊んでいるときに、男の人が訪ねてきたんです。少し痩せ型で、ひょろっとしている作業着を着た中年の男性。祖父はその人を見て、少し嫌そうな顔をしていました。

 その人が祖父に言ったんです。

「すいません。清光さん。どこのユタも駄目です。やっぱり外れないですか?」

 祖父は、私の方にちらっと目をやると、厳しい表情でその男性に目も合わせずに言ったんです。

「わんはユタやあらんぐとぅ(自分はユタじゃないから)あたがりむんはどうしようもないさ。ごめんね」

 男性はその言葉を聞いて、そうですか──と残念そうな顔で呟くと、そのまま帰っていったんです。

 ええと、見間違いかもしれませんよ。幼い頃の記憶ですから。

 見えたんです。こちらに背を向けて帰っていく男性の足元に、お婆さんとお爺さんが纏わりついているのが。

 それも、なんといいますか、普通の人の形じゃないんです。なんだかネバネバしたような汁を光らせた、身体の細長いお爺さんとお婆さんが、ポケットに入れてぐちゃぐちゃになったイヤホンみたいに、その男性の足に絡みついているんです。猫がじゃれてくるように、楽しくて仕方ないって感じで足元に身体を擦りつけ、絡みつきながら、とても嬉しそうに笑顔でその男性を見上げているんですよ。

 それがとても怖くて、気持ち悪くて。私は大泣きして叫びながら家の中に逃げ込んで、家事をしていた母に飛びつきました。

 驚いて困惑している母に、後からゆっくりと家に入ってきた祖父が言ったんですね。

「新里の兄さんよ。あれ、よーみいっちょーん(弱っている)。どうしようもないさ。相当怒らしてある」

 それを聞いて、母が暗い顔をしたのを覚えています。

「おじーにはお前が何を見たのか分からんけど、いふーなもん(変なもの)見たらこんなしてしっかり怖がるんだよ。あれたちが怒っているときは何しても聞いてくれんからね。あたがりむんには関わらないのが一番だよ」

 怯える私の頭を撫でながら、祖父は優しく笑ってくれました。

 中学生くらいになってから母に聞いたんですけれど、あの男性、新里さんという人。

 詳しくは分からないのですが、どうも土地やらなんやらの利権関係でいざこざがあって、勝手にウガンジュ(拝所)を弄って、物置きにしたり、ゴミ置き場にしたりと、色々と変なことをしてしまったようなんです。

 まあ小さなウガンジュだから、皆から強く何か言われることもないと思っていたのかもしれません。

 色々とユタの所やお祓いができる人の所などを回ってみたのですが、ウガンジュに変なことをした人っていう噂が広まっていて誰にも相手にされず、祖父を頼ってきたらしいです。

 その人、今も生きているんですが、病気で手足も満足に動かすこともできずに、ボロボロの古い家でどうにか暮らしているそうですよ。病院にも通えず、結構酷い状態らしいです。

 母を含め周りの人はみんな言っていました。「ウガンジュにあんな仕打ちするんだから恨まれたんだよ。神様は相当怒っているよ。仕方ないさ」

って。



 彼女の祖父が言っていたという【あたがりむん】という言葉は、【当たる、あてられる】という言葉は、憑かれる、何かの因果に影響される、といったニュアンスで使われることがあるそうなのだ。

 そして新里さんが祖父に言っていた【外れないですか】。

 この言葉から推測するに、ウガンジュを雑に扱ってしまった新里さんは、何かしらの影響をうけてしまっていたのだろう。

 沖縄ではお祓いや除霊をすることを【外す、外した】と表現する人が多いからだ。

 彼女の祖父もユタでは無いし、お祓いはできない。【外す】ことはできなかったのだ。

 結局助けることはできず、新里さんは弱っていったのではないかと、私はそう感じた。  は話を聞いて思い当たるものがあるようだった。


「まあ、この話が本当にウガンジュの祟りなのかは結局分からないし、知りようが無いんですけれどね。ただ、大事にしなければいけないウガンジュを、雑に扱ってしまったから仕方ないって終わらせて、皆でその人を見捨てていることが嫌だなと思ったんです。でも自分が関わってしまうのも嫌だし。それで地元を離れたんですよ。私は祖父の言いつけをしっかり守る、うとぅるさむん(怖がり)ですから」

 彼女はそう言って笑っていた。

 彼女との取材を終えた帰り道で、

「そもそもウガンジュに祟られたとかなんだって言うけど、彼女が見たっていう新里さんに絡みついていたものがそれに関係しているとしたら、そいつが笑っていたのって変じゃないか?」

デンコウさんはそう言っていた。

 結局そのまま解散し、その男性が現在どうなったのかは分からぬままである。

──といった思い出である。


 話を戻そう。

 とにかく、このようにデンコウさんは私にとって大事な仕事仲間ともいえる友人であった。そんな彼からの頼まれごとを断る筋合いはない。内容のチェックや誤字脱字の確認などをしてほしいのであろうと安易に捉えていた部分もあった。

 どのみち、今日の精神状態では作品を書けそうにない。

「いいよ。何を書いて良いのか分からなくなってて、時間もあるし」

「・・・・・・ありがとう。助かる。じゃ、すぐメールで送るから見てくれ」

 電話を切り、公園を後にして車に乗り自宅へ帰る。   

 家に着き、一息ついてパソコンのメールボックスを確認すると、すでにメールは届いていた。

 ファイルが添付されている。ファイル名には【それが降る日に語りたい】と書かれていた。

 それをクリックし、開く。そこには五つの原稿データがあり、ひとつひとつにタイトルがつけられている。やはり書いた怪談のチェックをして欲しいということであろう。

 休日の昼間だし、執筆に手をつけることもできない。特に急ぎの用事があるわけでもない。たまにはゆっくりするのも良いだろう。

 コーヒーを淹れ、お気に入りの椅子に腰かける。


 穏やかな音楽をかけながら、とりあえず一番上の話から目を通していくことにした──。

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それが降る日に語りたい 猫科狸 @nekokatanuki

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