Lab.9 限界まで拗れた少年と、壮大な夢(後編)
イチヤは椅子に腰掛けると、カナタを見上げた。
「俺の部屋にある本も勝手に持ってきていいのかな?」
「私も何冊か置いてるし大丈夫だと思う。イチヤくん、ラボに入れてよかったね」
「ほんとそれなぁ!マジでよかったよ」
イチヤは立ち上がり本棚に向かった。カナタもそこについていき、一緒に本棚を見た。
「カナタが置いた本ってどれ?」
「私の本は1番下の段だよ。数学に関する本だからわかりやすいと思う」
「これとか?」
イチヤが取り出したのは、「身近にある数学たち」と表紙に書かれた本。
「そう、これ10年前に買った中学生向けの本なんだけど、噛み砕いていくとやっぱり面白くて。自分用っていうよりはみんなに読んでほしくて置いてる感じかな。寄贈してもいいと思ってる」
「へー」
イチヤは本をペラペラとめくり、言った。
「数学って大事だよな。何するにしても数学は欠かせねー」
「そうだよね。そうだ、イチヤくん」
「なんだ?」
「数学のこと……狙ってないよね?」
「狙ってないよ!俺は非現実に憧れる身だから!」
カナタはホッとしたようにため息をつくと、イチヤに言った。
「私数学ガチ恋勢で同担拒否だから!」
「ええ……過激ぃ……」
「布教はするけどガチ恋されるのは嫌」
「なんて勝手な……」
「まあ、でも安心したよ。イチヤくんと数学を争うことにならなくて」
ふふ、とカナタは笑った。
「もうすぐ他の人たちが来るんじゃないかな?」
「マジで!?ニライさんも来るんだよな!?」
「ニライさんは今日編集者さんと打ち合わせだから来ないってさ」
「まじかよ……」
がっくりと肩を落としたイチヤを横目に、カナタはラボの入口を見つめていた。
「カナタ!来たよ!」
来たのはネイとワクだった。カナタは立ち上がり、2人のもとに向かう。
「新入生か」
「はい!」
「俺、Y組の日垣イチヤです!専門はロマンある創作です。よろしくお願いします」
「俺は2年の尾根ワク。ニライと気が合いそうだな」
「今日会えるかなって思ったんで、残念です」
イチヤはネイとワクを見て、言った。
「脳波いじってるっていう先輩は?」
「あ、ワク先輩がそう」
「ええ、マジすか。人は見かけじゃ判断できないなあ」
「チューニングに興味あるか?」
「ああ、気になります!なんか、そういうのフィクションにしかないと思ってたんで。ぜひ聞かせてください!」
イチヤとワクが話しているのを見て、ネイが尋ねた。
「ねえ、あれが首席の日垣イチヤ?思ったより普通なんだけどぉ。つまんなーい」
「ネイも話したら分かると思うよ。イチヤくん、面白いから」
「へー。そうだ、カナタポルフォン見た?」
「見てない、けど……」
「私たちそれ見てここ来たんだよね。なんか、所長が水曜に1年の歓迎と称して花火を打ち上げるとかで」
「私さっき所長に会ったけど何も聞いてない……」
「場所ってラボでいいのかな?書かれてなかったんだよね」
カナタはポルフォンを見た。たしかに、水曜に花火を打ち上げるとだけ書かれている。
「とりあえず放課後にラボに行ったらいいんじゃないかな」
「だよね、ありがと〜。ほら、行くよワク!買い物付き合ってくれるんでしょ!」
ネイはワクを連れ、ラボを出ていった。
「ねえねえカナタ聞いて!ワク先輩と連絡先交換した!」
「よかったね」
「あとワク先輩、俺と同じ16歳なんだって!俺と同じ年であんなにぶっ飛んだことするなんてマジ尊敬だわ」
「尊敬なんだ……」
カナタは若干驚きのほうが強いので、なんとも言えなかった。
「俺、ここに持ってくる本とかの準備するから帰ろうかな」
「私も帰ろうかな。お話する相手もいないし」
「あ、じゃあ本屋寄ろうぜ。穂波先生の特設コーナーがあるところ」
「行く!」
カナタはイチヤと共にラボを出て、本屋に向かった。
水曜日の放課後。カナタはイチヤ、ネイと共にラボを訪れた。
「花火楽しみだな!」
「私暇じゃないんだけどー」
「タオ所長のこだわり花火、どんなのだろう」
「あの人只者じゃねえと思うし、スペシャルでやべえもん作るんじゃねえかと思う」
そうして
「おはようございます、先輩!」
「おはよう。ネイ、あれ持ってきたか?」
「持ってきたけど何に使うのぉ?」
ネイがカバンから取り出したのは青い眼鏡。それはなんの変哲もないように見える。
「私の自信作。大事に使ってね」
ワクは眼鏡を着け、鏡を見た。
「なんでこれ青なんだよ……」
「文句言うなら返して」
「嫌だ。今日俺はこれを使って実験するんだ」
「ワク先輩、何の実験するんすか?」
イチヤが尋ねると、ワクは机の上に置かれた大きな機械に触れた。
以前、タオが壊したものだ。
「所長がこれを直すついでに改造を施したんだ。それで、脳波を調整できるだけじゃなくて俺の記憶を保存できるようになった」
「え!?やばいっすねそれ!」
「保存した記憶のデータは専用のソフトを使わないと解凍できないようになってるんだけどな」
「それがネイの眼鏡とどう関係が?」
「その眼鏡は高性能のカメラがついているものなんだ。今日の花火を俺の記憶と眼鏡、両方で記録してちゃんと出力できるかをチェックする」
ワクは眼鏡をクイッと押し上げる。
「それ、デリケートだから壊さないでね?予備はあるけど壊したら二度と貸さないから!」
「分かってる」
ワクはそう言って機械についているパネルを操作した。それを見たイチヤがニヤリと笑った。
「俺の家にあるアレもタオさんにいじってもらえばトンデモ機能がついてくるかな……」
「あんまオススメはしないよ」
「シュウ先輩、なんでっすか?」
「マジでいらない機能ばっかりつけてくるから。ワクのはごく僅かな成功例でしかない」
「そんなあ……」
がっくりと肩を落とすイチヤを見て、カナタは思わず笑ってしまった。
それからタオが他の3年生を連れてラボにやってきた。
「ハロハロイチヤくん。エネちゃん参上!」
「エネパイセン、昨日の配信見ました!」
「もしかしてスパチャもしてくれた、Ichiくんだったりする〜?」
「しました!応援してます!」
イチヤは他の3年ともワイワイ話している。自分には到底真似できない、カナタはそう思い椅子に座った。
「花火の打ち上げ準備、カナタ暇なら手伝ってくれない?ニライもいるよ」
「ニライさんいるならイチヤくんも呼んだほうがいいですかね?」
「あーじゃあそうしようか。イチヤ、こっち手伝ってくれない?」
「いきます!!」
カナタはタオ、イチヤと共に校舎の外に出た。
「か、なた!!」
準備をしていたニライは手を止め、カナタのところに駆け寄った。
「……誰?」
「この人が穂波先生……?」
「えっ」
穂波先生と呼ばれ身体を硬直させるニライ。その手を容赦なく取ったイチヤはそこで、キラキラ輝くその瞳をニライに向けた。
「ずっとファンなんです!俺、先生の処女作から全部読んでて。もう還来の秋を最初に読んだときからビビッと来ちゃって、この人の作品を一生追い続けたいって思ったんです。特に好きなのは1年前に発売したアベレータで、ファンタジーな世界で織りなされるミステリーが最高でした。異世界ものとミステリーって相性悪いと思ってたので、それを上手く融合させた先生は流石だと思います!俺の一つ年下って知ったときには、その才能に嫉妬する気も起きなくて、ただただ尊敬するのみでした。でも穂波先生って顔出しされてないから、もしかしたら本当は実在しないんじゃないかって考えた日もありました。こうして実際に合えて体温を感じることができるなんて感激超えて感謝……いやもう、拝むしかできません!しかし俺は一ファンとして先生とは適切な距離を取りたいと思っています。これからラボの仲間として、お話聞かせてくださいね!」
マシンガンどころかミニガンの如き勢いでニライへの思いを語りきったイチヤは手を離した。
そしてニライが発した言葉はただ一つだった。
「こわい……」
「えっ」
「ニライさん!?」
「うわ残酷〜」
ニライの言葉にショックを受けたイチヤは一瞬固まり、その後膝から崩れ落ちた。
「イチヤくん……」
「俺の愛は重かった……?」
「かな、た。携帯、メモ」
そう言われ、カナタはすぐに準備した。パソコンがないニライは、今意思を伝達する手段がないのだ。
カナタはポルフォンを取り出し、ニライに渡した。
「イチヤくん、ちょっと待ってて。今ニライさんが言いたいことをまとめてるから」
「俺に言いたいこと……?」
「いいから待ってて」
ずっと座り込んだままのニライをイチヤが覗き込むと、膨大な量の文章が打ち込まれていた。
『ごめん。いきなりのことでびっくりして、僕は思わずひどいことを言ってしまった。こんなに僕の作品を愛してくれている人がいるなんて、考えもしていなかったから。でも、僕が頑張って書いた作品を読み込んでくれているのは嬉しいし、小説をもっと書こうという気持ちになれた。よかったら君の名前を教えてほしい。話すのは上手じゃないけれど、たくさんお話しよう。よければ君の話も聞きたい』
「穂波先生……いや、ニライ先輩!俺、穂波先生の作品だけじゃなくて、ニライ先輩の性格も大好きになりました!」
「え、と」
ニライは頷き、イチヤの手を取った。
「よ、ろしく」
「ニライ先輩っ……!よろしくお願いします!!」
喜び、雪を前にした犬のように駆け回るイチヤ。
「あのー、そろそろ手伝ってほしいんだけどぉ?」
「タオ所長すみません!今やります!」
「まあ、仲良しなのはいいことなんだけどね」
タオはどこからか荷台に積んだ花火を運んできて、置く。
「さあ、やるよ!」
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