Lab.6 統一されない言語と、その意訳について(後編)

次の日の学校帰り、何か数学の本が入荷されてないか見るためにカナタは本屋を訪れた。


本屋の自動ドアを通り店内に入って真っ先に目に入ったのは、今人気の作家たちの本が並んだ特設コーナーだった。


その中には穂波仁来の本もある。カナタはそのうちの1つを手に取り、中を少し見た。


独特の文体。惹きつけられるような物語の展開。これがあのニライが書いたものだとは、未だにカナタも信じられずにいた。


「か、なた」

「ひゃい!?」


後ろから肩を叩かれ、カナタは勢いよく振り返った。目出し帽を被ったニライが口の前に指を当てる。


「しー」

「ニライさん?」

「しー!!」


首をふるふると横に振るニライ。何が不味いのかはイマイチカナタにもよくわからないが、とりあえず店の外に出た。




「ニライさん、なんですか?」

「ぼっ、僕。一応、顔出してない作家」

「そうですね」

「もし聞かれたら、身バレ」

「ああ……」


たどたどしい言葉でもカナタにはニライの言いたいことが理解できた。ニライはつまり、本屋で自分の名前を出されることによって正体が知られてしまうことを恐れているのだ。


「じゃあ、先輩って呼びますね」


コクコクと頷くニライ。カナタにとってはニライのその様子がなんだか可愛らしかった。




再び店内に入り、ニライの目の前で穂波仁来の本を手に取った。


「……!?!?」


口をパクパクさせ、パニック状態に陥るニライ。


「それっ、なんでぇっ」

「面白いですよね。この小説。ね、先輩?」

「んー!!」


手をばたつかせてやめろと言いたげなニライだが、そんな彼を見てカナタは更にからかいたくなってしまった。


「穂波先生の小説は全部いいですよね」

「……っ!」


ニライは身を翻し、さっそうとどこかに消えてしまった。


「あ、逃げた」


カナタは本を持ったままかごを持ち、そのまま入れた。


「今度は具体的な感想も教えてあげよう」

「あのー……」


本屋の店員がカナタに声をかけた。


「なんでしょう?」

「穂波先生のお知り合い……ですよね?来星高校の生徒さんみたいですし」

「はい……って、え?知ってたんですか?」

「そりゃ分かりますよ。穂波先生の本が手に取られるたびに嬉しそうにするんですから」


本屋の店員は一冊、ニライの最新作を手に取ると言った。


「私、穂波先生の大ファンなんです。いつかここでサイン会でも開いてくださればいいんですけど……」


多分今のニライじゃ無理だろうが、いつかそんな日がくればいいとカナタも思った。


「穂波先生の本、面白いですよね」

「はい!」


カナタは店員の名札を見た。そこには、明石と書かれている。


「あの、すみません。私数学の本探しに来たんですけど……」

「それでしたらこちらに」




「ふっふーん、ふふふふーん」


いい加減な鼻歌を口ずさみながら、カナタは寮に帰ってきた。


「あ、開いてる!」


閉め忘れたのだろうか。そんなことを考えながら扉を開くと……。


「えっ」


そこにはカナタに向かって土下座する人がいた。


「かなた、ごめん」

「……ニライさん!?」


カナタは混乱したが、とりあえず携帯を取り出した。


「この場合110番?それともとりあえず学校?いや、大家さん呼ぶべき??」

「まって」

「ニライさん流石に不法侵入は犯罪ですよ!?」

「僕、止めた。いや、僕も悪いんだけど」

「……何があったんです?」


カナタがニライの様子を察してとりあえず話を聞こうとしたところ、浴室の扉が開く音がした。


「あーいい湯だった」


その声は紛れもなくワクの声だった。


「……はぁ?」

「おっ、カナタ。おかえり〜」


身体にタオルを巻いて出てきたワク。堂々とカナタの家の廊下を歩く彼の姿に、カナタは何も言えなかった。その代わり、カナタは取り出した携帯のボタンを押した。


「通報しますね」

「まっ、かな、ダメ!!」


必死にカナタにしがみつくニライ。


「離してください、ニライさんも逮捕されたいですか!?」


カナタにしがみついたままフルフルと首を横に振るニライ。


「カナタ、おかえり!」


中から出てきたのはエプロン姿のネイだった。自分の髪の色と同じ桃色のエプロンで、ネイはおたまをカナタに向けた。


「ごはんにする?おふろにする?それとも……」

「警察で」

「待ってよカナタぁ。カナタが良いって言ったんじゃん」

「そんな覚えないよ」

「いや今日の朝言った!」




〜回想〜


カナタが朝家を出ようとしたとき、ネイに会った。しかし寝ぼけていたカナタは、正直ネイの顔をよく見ていなかった。


「カナタ、このゴミ出していい?」

「いいよ」

「カナタ、今日一緒に学校行っていい?」

「いいよ」

「カナタ、今日家入っていい?」

「いいよ」


A、言った。




「あー……言ったかなぁ……?」

「言質も取ったから!」

「でもどうやって入ったの?鍵閉め忘れたっけ?」

「それなら俺が、これで!」


そう言ってワクが取り出したのは1つの太い針金。その言葉の続きは語る必要はなかった。


「ピッキングじゃないですか。犯罪ですよ。やっぱり通報しますね」

「違うのカナタぁ。今日、ワクとニライの親睦会するの」

「聞いてないけど……」

「すーるーのぉ!それで、ワクとニライは1対1でまだ話せないからニライの通訳にカナタ。ワクを止めるのが私!」

「なるほ……ど?いや、分からないけど」


未だに状況が飲み込めないカナタだが、それを聞いて今さら3人を追い出す気にもなれずカナタはとりあえず中に入った。


「ところでワク先輩、勝手に人んちの風呂使うのやめてもらえます?」

「ネイが鍋をぶちまけたから……仕方なく」

「ネ〜イ〜?」

「ごめんカナタ!ちゃんと片付けたから!」


そういう問題ではないのだが、もう怒っても無駄だとカナタは諦めた。




「いただきます!」


ネイが作ったカレーを4人で食べながら、テレビを見ていた。

夕方の情報番組ではアナウンサーが、カナタもよく知る本の表紙を画面に映しながら話している。


『最近人気の穂波仁来先生ですが、これまでの経歴をご紹介したいと思います』


「おっ、ニライ紹介されてるぞ」


ワクがそう言った途端、ニライはカレーの皿を持って口から流し込もうとした。


「ニライ!?」

「多分照れくさいんだと思います……」

「奇行がすぎる……」

「味わって食べてよ!?」


ネイは立ち上がり、おかわりを取りに行った。


『10歳のときにデビュー作、還来の秋を書き上げ新人賞受賞。その翌年には坂上賞にノミネートされるという快挙ですね』


アナウンサーの横に立っているのは編集者の男性。若く見えるが、ニライのことをよく知っているようだ。


『彼は頭の構造がそもそも我々と違うみたいなんです。見えている世界が異なるというか。それを上手く我々にも分かるように文章に落とし込んでいるんですからまさしく天才ですよ』

『彼はまだ15歳ということですが……?中学に通いながらなんですか?』

『あー……学校には通っています。そこでの体験が最新作、百葉の夜に活かされているのが読んでいて分かりました』


「あああ……」


ニライがテレビ画面に張り付いて震えている。


「ニライ、文句なら直接後で言いなさい」

「僕、出ないって言った……」

「だから多分代わりに編集者が出てきたんだろうな……」


頭を抱えて悶絶するニライ。


「ニライ、おかわり」

「ありがとう」


ニライはネイにおかわりを入れてもらうと、また一気にカレーをかきこんだ。


「ニライ意外と食欲あるな」

「頭使う仕事してますし……」


ニライはかなり細身だが、いくら脳のエネルギーの消費が激しいといっても彼の胃袋がどうなってるのかはカナタにもわからなかった。


「小説持ってきた」


ニライはカバンの中に入っていた小説を取り出し、ワクに渡した。


「貸す、から、読んでほしい」

「分かった……」

「ネイも読む?」

「読む!私恋愛ものがいい!」

「恋愛ものは……ない」

「えー!?」


がっかりするネイだが、ニライは1冊の本を手渡した。


「これ、主人公がネイに似てる。これなら……」

「ありがとう!読むね!」


本を受け取り、ご満悦なネイ。その様子を見てカナタは安心した。


「カナタには、これ」

「これは?」

「僕の処女作。さっきの、やつ」

「いいんですか?」

「カナタに読んでほしい」


還来の秋。そう表紙に書かれた本を受け取ったカナタは、そっと本棚にそれを添えた。


「あとでゆっくり読みますね」

「……ありがとう!」


ニライが笑って、口についていたカレーを拭き取った。




「じゃ、俺たちはこれで」

「また明日ー!」


隣の寮に住んでいるニライとワクを見送ると、ポツポツと雨が降り出した。


「あ……」

「早く入ろ!」

「うん……」


しかしカナタには、気になることがあった。


さっきから道端に座り込んで動かない、同じ来星高校の男子生徒。


彼が顔を上げ、カナタと目が合った。


「行こうよ!カナタ!」

「あ、引っ張らないで!」


カナタはネイに手を引かれるまま、寮に戻った。

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