Lab.3 資源浪費研究所へようこそ!(後編)
「
「……はい!」
男性のほうがカナタに話しかけた。
「……専門は?」
「数学、です。主に関数とか……」
ああ、と彼は言うと立ち上がり、こちらを向いた。
黒縁の眼鏡をかけており、真面目そうな雰囲気を放っている。
「俺の名前は尾根ワク、専門は脳科学。ここは数学の専門家がいないから、もし入ってくれたら知識を借りるかもしれない」
「……脳科学って、主に何をされるんですか?」
「俺は機械と伝達神経を繋いで、脳のチューニングをしている」
「チューニング?」
「……そうだな、わかりやすく言うと脳波を機械でいじってるんだ」
そっちの方向では素人のカナタでも分かる。個人でやるにはあまりにも危険な行為だ。しかしカナタにはワクに口出しする理由はないし、現にワクはピンピンしているので、ここはそのまま流すのが適切だと考えた。
「そっちの女性……2年の水井ヴィオラ先輩の専門は美術。最近は化学知識を集めて、なんか画材を作ってるらしい」
「へー……」
本当にジャンルの違う研究を行っているらしい。研究所自体は広く、様々な薬品や専門書が置かれている。
「さっきシュウが迎えに行ったのは戸柱カガリ先輩。植物学専門で、ここでは1番年下」
「……年下?」
「カガリ先輩は来年度で15歳なんだ」
「私と同じですね……」
「じゃあカナタは俺の1つ下か……」
「ということは、尾根先輩も?」
「飛び級だ」
飛び級の人間が多いとは聞いていたが、まさかこの部内に2人もいるとは。
「ニライも15歳だし、部長は25歳。普通の学校と大きくそこは違うから、気をつけて」
「分かりました」
部長が25歳って……カナタとは10歳も離れている。もはや先生の年齢でもあり得るくらいだ。
「説明はこのくらいだ。ヴィオラ先輩、少しくらい後輩に挨拶しませんか?」
「えー……」
長い黒髪を揺らした女性が振り返りカナタを睨む。
「こ、こんにちは」
「だめ、失格」
「……へ?」
「だってこのコ普通じゃないの。だめ、こんな子ウチに入れちゃだめ。ラボの意義が薄れる」
「そうですかね」
カナタを普通と呼ぶ人間なんて、今までいなかった。天才、神童と褒められたこともあるし、異常、頭おかしいと罵られた経験もある。
そんなカナタを普通と切り捨てる、ヴィオラ。只者じゃない。
「……ふふっ、やっぱり私、ここに来てよかったです」
「なにそれ。意味わかんない。大体、あなたここに何しに来たの?」
「この世のあらゆるものを数学しに来ました」
カナタがここに来た目的。それは、カナタが生涯で成し遂げたい夢に1番近道があると思ったから。
「私、数学が大好きなんですよ。もっと集中して数学に向き合いたいんです。でも、数学は私だけを見てくれるわけじゃない。だから私は数学が見ている世界を見たい。数学が私をもっと見てくれるように、私は数学が関わるありとあらゆる世界を見ます」
「……何語を喋ってんの?」
「ちゃんと日本語ですよ?」
ワクは少し理解したようで、小声で呟いた。
「カナタは数学に恋しているのか?」
「そうですね。私は数学を彼氏にしたいんです。でも今の私じゃ数学には釣り合わない。だから私はここでいろんなことを学んで、数学に振り向いてもらいます」
「……すごい感性だな」
「よく言われます」
ワクは笑顔のカナタを見てから、あっけに取られるヴィオラに言った。
「彼女、俺達にこれ以上ないくらいふさわしいと思うんですけど」
「……たしかに。どうしようもないくらい数学に取り憑かれた変態だと思う」
「変態なんかじゃないですよ?」
茶髪、茶眼。髪型は何の変哲も無いボブヘアー。高校生らしい均整の取れた体型。
どこから見ても平凡な容姿をしたカナタは、含みのある笑顔で2人を見た。
「いいですか?入部」
「……いいけど、ここはあなたが思うような場所じゃないかもしれないから。文句言わないでね」
「分かりました!」
「あとここは部というより、研究所だから。メンバーは研究員って呼ばれるし、部室や部のことは基本的にラボって言うの。それだけ覚えといて」
「はい!」
あまりの元気にヴィオラはため息をついて、作業に戻っていった。
「ただいまぁ」
シュウと、シュウにしっかりと腕を掴まれたカガリが戻ってきた。
「カガリ先輩、ラボの中ではガスマスク外してください」
「はーい」
ガスマスクを取った彼の顔は、細い眉にはっきりした二重の青い瞳、人形かと見紛うほどの白く美しい肌をしており、色素の薄い茶色の髪が
「……えっ!?」
これにはさすがのカナタも動揺を隠せず、口をあんぐりと開けたまま動けなかった。
「カガリ先輩って……ヨーロッパのルーツがあるんですか?」
「あるよ、母親がそうなんだ。ヴィオラもそうだし」
「余計なこと言わないで」
「そうなんですね」
ヴィオラは黒髪だし、少し顔の彫りが深い気がしてはいたがそんなに感じなかった。
「カガリがガスマスクをしてるのは、太陽から肌を守るためっていうのと、あと面食いたちに襲われるのを防ぐためなの。ガスマスクをしてる人間なんて、普通近づかないし」
「今日
「あれは人がカガリ先輩しかいなかったからです」
カガリはガスマスクを袋にしまい、カナタを見てため息をついた。
「ていうか君、なんでここにいるの?行かないほうがいいって言ったよね?」
「先輩が案内してくださったんじゃないですか!」
「常識人寄りの人間がここに来てろくなことなんてないだろうに……」
「いやカガリ先輩。カナタは充分変です」
「……その心は?」
「数学に釣り合う女になりたいとかで」
ああ、と合点がいったように言うと、カガリはラボの扉の近くにあった引き出しから紙を3枚取り出した。
「はい、これ入部届」
カガリから紙を1枚受け取ったカナタは、カガリに尋ねた。
「これはいつ出せばいいんですか?」
「入学初日から受理されるから、それまでに書いてきたら入学式の日から活動できるよ」
そしてもう1枚、カガリはカナタに紙を渡した。
「これ、ラボの使用許可証。曜日を書いて入部届と一緒に部員の誰かに渡して」
カガリは最後に、真剣な表情をしてカナタに紙を手渡した。
「……保険の加入手続?」
「読んでもらったら分かると思うけど、放課後の校内活動で怪我を負った際に支給される保険にオンラインで加入してもらうの。保護者に必ず伝えてね。ラボは加入義務あるから」
カナタは、機械で読み取るコードと加入手続が丁寧に記された紙を見た。ここで活動する以上、何かしらの安全対策が施されているとは思っていたが、まさか補償の方だったとは。
「まだカナタは入るって決まったわけじゃないけどよろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
「あとカナタに忠告」
カガリはここにいる、カガリ以外の3人の研究員を見渡して言った。
「この3人はここではかなり常識人だから。他の研究員はこんなもんじゃないから、気絶しないでね」
「……はい」
過去に気絶した人間がいるのだろうか。そう思うと、カナタは苦笑いするしかなかった。
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