第2話 生まれ変わり① 剣聖
月のない夜。儂を含む空間はすべて漆黒の闇で塗りつぶされていた。
空気が僅かに揺らぐのを肌が感じる。
「この世に生まれ落ちてはや七十と三年。ただひたすらに剣とともに生きてきた。数え切れぬほどの達人と果たし合い、気づけば人は儂を剣聖と呼び畏怖するようにもなった。そしてとうとう誰も挑んでこぬようになり、この数年寂しく思っておったところ。ふむ、この匂いは女……、それも長耳族であるか。さすれば市井の者たちの最近噂する銀髪の羅刹とは貴様のことであろう。殺気を微塵も放たず儂に向けておるのは西方の細剣であろうか。ようやく儂の首を取りに来た者の来訪を心より歓迎するぞ」
「いいえ、このレイピアをあなたに向けているのは護身のため。いきなり斬られてしまうのは困りますから」
その声は若い娘のようであった。しかし、長耳族というのは悠久の時を生きる民であるとも聞く、その声色だけでは判断できぬ。
「これは不思議なことを言う。少なくとも貴様とその剣からは数多の人を斬り伏せてきたであろう血の匂いがするぞ。これまで儂が相対してきたどの強者とも遜色ない死の匂いも纏っておる。死神の冗談としては笑えぬな」
「死神というのは私にぴったりの表現かもしれませんね。これまで数え切れないほどあなたに挑んでいった者たちの大半は、私が差し向けたもの。そのために私も剣の技を磨き、その技量を見抜く審眼も高みに達したと思っています。私から見て、もうあなたを殺せる剣士はこの大陸、この時代には存在しません。ですから、この世を去る決断を促しに私は参りました」
「ははっ、いまのは笑えたぞ。儂に自死を勧めに来たと?」
「いいえ。あなたは自ら命を絶つことはできません。そうあなた自身がこの世界と契約したのですから……。私はそれを手助けするだけ、です」
何を言っているのだこの女は……。この世界との契約?
「既に必要な力をあなたは手に入れたものと、『裁定者』である私は判断しました。人族として転生し、その虚弱な肉体で種族の壁を超え、剣士としては最強の存在となり得たあなたの人生に敬意を。そして裁定者である私、ハイエルフにして世界樹に見捨てられし者、フィンドゥリルが命じる。汝が自ら受け入れた枷を自らが外し、自らに課せし試練の意味を思い出すがよい」
これは魔法か? 精神干渉? いや、そんなものは儂には通じぬ。くっ……、何だこれは!?
「この世以前の複数の記憶だと!? ああ、ああ……。……。フィン……、君なんだね……」
「はい。御師さま。そして私の愛しいイズレンディア」
「君は変わらず美しいよ、フィン。さあ、いつものように私を殺しておくれ。この世界の『調停者』が異物である私の存在を見つけて、消し去ってしまう前に。まだそれに抗えるほど存在力は強くないし、不安定だからね」
「はい……」
彼女が放った見事なレイピアの突きは、私の胸の上でぴたりと止まっていた。彼女の瞳から溢れ出した涙が頬を伝って流れ落ちるのが見えた。
「何度やっても君はこれに慣れないようだね」
「はい……」
「仕方がないね」
私は素手で彼女の細剣を握る。
「私が手伝うから君はいつものように剣をしっかりと握っていればいい。これは世界も許してくれる範囲でのズルだけどね」
「はい……」
私は自分の胸にレイピアを引き込んだ。
「大丈夫いつも通りだ。これで私は、フィンに……、殺されたと……世界が……判断し……て、くれる……から」
最後に視えたのは彼女の泣き顔。いつか彼女の笑顔を見るその日を信じて、再び私は長い眠りについた。
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