僕を殺す君がただ美しくて、そしてそれがただ切なくて
卯月二一
第1話 禁呪
見上げた鈍色の空は、いつもと違ってなぜかとても近い。頬に水滴があたる感触。雨の降る様子をこんな風に見ることなんてなかったな。
「御師さま……」
ああ、これは君の涙だったか。
「私を放って逃げるように命じたはずだ、フィンドゥリル。きっとアレはすぐに私たちを見つけてしまう。見ての通り私の傷は致命のもの。フィンの治癒魔法が昔よりも上達したからといってもこれは決して治せないんだ。私が逆の立場なら匙を投げる状態だからね。だから魔力の無駄遣いはそこまでにして、ここから逃げることに……、自分のために使っておくれ」
もう自分は長くはない。だが、彼女だけは生き伸びて欲しい。それだけが私の願いだった。
「いいえ、私は決して諦めません! 諦めないことの大切さは御師さまから学びました。才能のない私がここまでになったのはあなたのお陰、イズレンディア、あなたを置いて逃げることなどできるわけ、ないです……」
美しい銀髪の少女が目に大粒の涙を浮かべて訴えかける。私の心臓を動かすための温かな彼女の魔力を胸に感じるが、アレの支配圏に入っているこの土地ではほとんどの魔法が無力化されてしまう。この温かさは彼女の思いの温かさそのものだった。
「困りましたね。アレの恐ろしさは離れた場所から見ていた君にも分かるはずです。無敵といわれた稀代の勇者アーサーも、大陸一の聖属性魔法の使い手である聖女アリアも、私の親友であり君の兄である、世界樹に愛されしエルフ最優の弓の使い手クーリンディアも為すすべもなく殺されました。私はクーから君を死んでも守るように言われていたのに……、本当に死んでしまっては守ることもできませんね……。くっ……」
「御師さま!」
「フィン。君は若い。エルフはとても長い時間を生きるんだ。でも、君の人生はまだ始まったばかり。私のために君の未来が潰えてしまうのは耐えられないんだよ。あの世で君のお兄さんになんて言い訳したらいいかと思ったら今から憂鬱だよ。お願いだから逃げて、生きておくれ……」
私は必死に笑顔を作ってみせた。作り笑いなんて少なくともこの数百年してみた記憶がない。私は上手く笑えているのだろうか?
「嫌です! イズ、あなたは私の気持ちに気づいているはずです。私はあなたと一緒にここで果てます。あなたと一緒に兄の待つ約束の地へ旅立ちます」
「フィン……。ああ、私も君を愛している。だから……、だからこそ君に生きて欲しいんだ」
彼女は私の胸に顔を埋めて泣いている。ここを動く気は無いようだ。
ああ、いつの間にかアレが私のいる場所を突き止めたようだ。あの禍々しい気配がこちらにゆっくりと近づいているのを感じる。灰色だった雲もより暗くなりアレの影響を受けているのか黒紫へと色が変化していく。これはもう手遅れか……。いや、ひとつだけ方法が……。もう逡巡している余裕は私には無かった。
「聞いておくれ、フィン」
「はい。御師さま」
泣いたせいで赤みがかってはいるが、美しいエメラルドグリーンの瞳が私を捉えている。もう彼女へのこの愛おしい感情は最後になるかもしれない。
「君を生かし、そして私もある意味、生き残る方法がひとつだけある」
「ほんとうですか!?」
「ああ。だがそれは禁呪を使った方法だ」
「禁呪?」
「遥か昔、アレもこの世界に発生していなかった神話の時代に近い頃、人族の魔導士が作り出した魔法。いや、それは魔法ではなく呪いの類なのかもしれない。私が若かったとき南の海の果てに眠る海底神殿でそれが書かれた魔導書を見つけたんだ。あまりに人類にとって危険な内容だったからその場で焼き払ってしまったよ。だが、これも呪いなのかもしれない。未だ私の脳裏にはっきりとそれは刻み込まれている。そしてこれには代償を支払わなければならないのだが……」
私はその禁呪の詳細をフィンに伝えた。これが成功したとしても彼女にはきっと辛い未来が待っているはずだ。もしかするとアレにここで殺されるほうがマシな未来なのかもしれない。だが、すべての魔法をレジストするアレにとって、未知の魔法には対応できないということは戦いの中で唯一分かったこと。あらん限りの即興で術式を組み立て、失敗もしながら、攻撃を続けたが私の能力ではその限界は思うより早く訪れてしまった。フィンを安全な場所に逃がすために空間を捻じ曲げて移動する疑似転移魔法を思いつきでやってみたのだが、術式が甘く私の生み出した追尾魔法を逆に使われ、遠くに逃げることはできなかった。それがこの状況である。だが、この禁呪に穴はない。確実に私が指定した場所にフィンとともに移ることができる。
「分かりました。それがどうであろうと、私は御師さまと生きる未来を選びます」
「そうか……。ではいくぞ! 『我願うは……滅、この魂幾度……とも決して……。……成就するまで……』」
私が禁呪の詠唱を終えたのは、アレが私とフィンの命を刈り取ろうとしたのとほぼ同時のことであった。
しかし、この太古の術式は無事に起動し、私の意識は飛んだ。
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