習作
楓雪 空翠
log:帰路
ホームのアナウンスが、イヤホンを遮った。途端に、意識が外へと引き剥がされ、向うの車道や駅員の足音なんかの雑音が、あたかも元から其処に在ったかのようにーー実際には存在していたのだろうが、思考の中へと流れ込んだ。
繰り返す単調な放送、重複するブザー、段々と近付く鉄が軋む音。顔を上げれば、向かいのホームに電車が来ていた。自らの二割はある重荷を持ち、点字ブロックに足先を揃えた。
此方への乗客らを一瞥し、空いた席の角に座る。足を組み、清涼飲料に口を付け、空いていた方の耳も音で塞いだ。ふと車窓を除けば、黒々とした山々。わずかな街灯とテールランプは町を演出していたが、到底それを持ち併せてはいなかった。
数字が定刻を示せば、ドアが機械的に閉まる。直にアナウンスメントの踏襲が木霊し、景色も移ろう。移ろったとて、代わり映えはしないが。只々色の無い住宅街と夜を吸い込んだ雑木が、揺れるカーテンの向こうに過ぎ去った。
一つ目の駅に止まる。幾人かが降り、またドアが閉まる。結局は、どの駅でも起こることは変わらない。ただ、人が降りるか降りないか、或いはその程度が異なるのみだ。自身もそのうちの一人に過ぎないのだが、此程退屈なものは無いだろうかと思う。
こうして真っ直ぐなレールに揺られ、BGMと化した好きな曲を聴いていると、物思いが捗ると云うものだ。へばり付いた重ね着も、鎮まらない喉の乾きも、暫時五感から消え去る。しかし、ふと気付いてしまえば、やはりずっと其処に在ったかのように、忘れるまでずっと後味が残るような気配をしている。
そう言えば、幾らか前に廊下の窓から眺めていた時の事だ。これだけ開放的な景観が、これだけ閉塞的に感じるのが、何とも言い得て妙であるとアイロニーを感じたが、今になってもやはり硝子の向い側への憧憬は消え得ない。現に、今しがた横目に見た踏切に立つことが出来れば、どれだけ面白かろう。
再び大きな駅に止まり、座席の四半分を残して空白が生まれた。先程から左頬の虫刺されを手慰んでいるが、掻けば掻く程に痒みは深まり、刺した蚊は今も眼前で遊覧している。それでも逆撫では止まず、きっと赤く腫れてしまった。過去の改変や未来の展望に留まらず、現在の自制ですらも苦手だ。
「息を吸わなければ、溜息なんて吐かずに居られる」などと云うのを思案した事も有った。その道理に満たない仮想は、遂に何の役にも立たない様だが、案外左様な事物にも使い道が有るのか。下らない事を考えている時は、いつも環境音が邪魔をする。この駅の次を終点としていた。
唐突に警笛がけたたましく響き、徐々に減速を始めた。目を遣れば数台の乗用車と踏切のランプ、おおよそ見当は付いた。しかし、音楽越しとは言えど、仮にも警笛だ。実に情緒の起伏が乏しくなったなと犇々と感じた。無感情か、無関心か。無関心で居る筈なのに、気を摩耗するのは実に滑稽だと思った。
そうして、駅に着いた。昨日も降りた場所、今朝も乗った場所、明日も乗降する場所だ。寒空と心做しの蛍光灯が、白い息を照らし出す。無人駅の寂寥は今日も変わらず、明日も変わらず其処に在る様だ。混凝土を踏む靴底が疲労を訴える。頭痛がもう随分と抜けていない事に気付いた。
青い道路標識を眺めながら、星を見ておけばよかったなと思った。
習作 楓雪 空翠 @JadeSeele
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