十九 馬鹿者たち
僕はそれから、今日のことと、先生と僕が推理した、ここ二週間の出来事を全て紫に話した。
彼女は記憶喪失に関する話が出るたびに顔を顰めたが、決して口出しはせず、黙って僕の話を聞いていた。早く終われと思っているのだろう。
「……で、それがあんたの名推理?」
話し終えた僕に、紫はにべもなくそう言った。
「私からしたら、あんたが普通に青香の告白に調子乗って、二股を敢行したってことの方が説得力あるけどね」
やっぱりか。どうせそうなると予想はしていたが、熱の冷め切った彼女を見ると思わず気が沈んでしまう。そこを否定できる説明だけは、どれだけ考えても用意できなかった。
「まあ、別に何が事実かなんてどうでもいいけどね」
その通りだ。僕は紫に告白するためでも、誤解を解くためでも、許してもらうために来たわけでもない。
「君に、謝りたいことがある。三つ」
「……たったの?」
「絞りに絞って三つだよ。そうしないとキリがないし」
「あっそ。まあ、それをわかってるんなら、噛みつくのはやめる」
紫は海外ドラマみたいに手を振ると、頬杖をついて聞く姿勢に戻る。妙に絵になる仕草だった。
「一つ目はそもそもの話で、僕が記憶を失ったこと。忘れちゃいけない、大事なことを忘れてしまった。君は何度も僕を信じてくれたのに、その度に忘れて裏切った……だから、ごめん」
「……二つ目は?」
色々言いたいことがありそうだったが、彼女はそれら全てを飲み込んで、さっさと続きを促す。
「二つ目は、初めて告白された時に、適当に君の告白を受け入れたこと」
「………」
また、一瞬だけ紫の顔が曇った。それを少し喜ぶ自分に反吐が出そうだったが、僕は気にせず話を続けた。
「実を言うと、あの時はイタズラだって気づいてた」
「……じゃあなんでオッケーしたの」
「可愛い子に告白されて悪い気がしなかったし、別に騙されてもいいかなって。誰かのことを真剣に好きになったことがなかったから、恋愛を軽はずみに考えてたんだ。
たとえイタズラだったとしても、ちゃんと考えて答えるべきだった。ごめん」
「いいよ、別に。……それは嬉しいニュースだったし」
「三つ目」
含みのある紫の表現にも触れず、僕は矢継ぎ早に次を提示した。
最後の、謎……。これが僕の切り札で、そして最も彼女に謝りたいことだった。
「三つ目。胃腸炎になったこと」
「……なんの話?」
「祭りの後だよ。君に説明するって言ったのに、胃腸炎になったせいで、結果的に一週間も先送りにした」
「で、また記憶失くして、今朝逃げちゃったって話でしょ? それが何?」
「自分のことをある程度思い出した時……ふと、考えたんだ。もし僕がそのたこ焼きの存在を知ったら、どうするかなって」
青香と話した時、僕は青香を思い出すと同時に、自分自身のことも思い出していた。
僕はどんな人間だったのか。車が見えて、とっさに紫を庇った僕は、そのたこ焼きをどうするのか。
「これは別に筋道だった推理とかじゃなくて、ただ思い出しただけ。でも、確かに覚えてる。
僕は自分から、胃腸炎になったんだって」
「何言ってんのか、全然……」
「実は僕、屋台のご飯とかダメなんだ。お腹弱いから」
「……?」
「他に、地面に落ちたものとかもダメだ」
「え……」
紫はハッとした表情で僕を見上げた。
「た、食べたの……?」
僕は黙って頷く。
「嘘……そんなわけない!」
「本当だ」
「あんな大量のゴミの中からどうやって見つけたっていうの? また騙そうとして……!」
「新品のたこ焼きを捨てる人なんて滅多にいない。ゴミ箱ひっくり返して、夜通し探して見つけたんだ。君の手紙が一緒に入ってたし、それで紫のだって」
「………」
「君、一つだけ中にありったけのワサビ入れただろ。死ぬほど辛かった」
「なんで知って……! ていうか、そんなの食べたら本当に死ぬんだよ⁉」
「そうしないと、君の思いが無駄になると思った。必死だったんだ。
そんな自分の感情に気づいて、手紙を読んで……ああ、僕って君のこと、死ぬほど好きなんだなって」
「っ……!」
「ロマンチックな話じゃないけど……本当に、好きだったんだ」
「わかった。わかったから……!」
崩れ落ちる紫の体を、僕は思わず支える。そんな権利が自分にあるのかわからなかったが、ちょうど抱き合うような格好になる。
「少し、黙ってて……」
紫の指先が、茶色いシミの広がった僕のカッターシャツの上を、優しく撫でた。
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