十六 さて、
「………」
「……」
夕暮れが訪れて、あたりに人気がなくなった頃、青香はようやく落ち着きを取り戻した。
吹奏楽部の音も聞こえない。もう紫は、帰ってしまったのだろうか。
「紫、どうしよう……」
青香も僕と同じことを考えていたようで、赤くなった目をこすりながらそう言った。
「どうすればいいんだろうね……僕も、ずっとそれを考えてる」
「私、今ならちゃんと紫に話せる気がする」
青香の目には、いつもの凛とした輝きが微かに戻ってきていた。それは素直に嬉しかったが、僕は首を横に振った。
「絶対だめだ。少なくとも、それは今じゃない」
「でも……」
「紫の中では、もう僕の記憶喪失は嘘で確定してるんだ。なのに、そこから君を捕まえて「本当に記憶喪失なんだ」ってまた言ってきたら……」
「……信じたく、ないよね」
「うん……せめて、会うことさえできればなあ」
「さてどうしようか、戦場くん」
「困ったなあ」
後ろから突然声がしたので振り返ると、そこにはいつの間にか先生と嵐が腕を組んで立っていた。
「び、びっくりした……いつからそこに?」
「まさか、盗み聞きしてたんですか? 先生」
「いやいやそんなまさか。生徒のプライベートはきっちり守るのが先生だよ。どうやら込み入った話のようだったし、途中で我慢してやめたさ」
途中まではしてたんだな。
「なあ、牛丼食いに行こうぜ、犬助」
「後にしてくれ、嵐」
「四季島も来る?」
「ごめん。私も後にした方がいいと思う」
「なんだよー、つれねー」
「邪魔だからあっちで遊んでてくれ。牛丼は後で行くから」
「ういー」
「……先生が連れてきたんですか?」
「ごめん。なんか暇そうだったし、君を探してたから」
僕たち三人はゾンビのように「牛丼」とぼやいてフラフラ歩き回る嵐を一旦ほったらかし、顔を突き合わせて相談を始める。
「紫、見ましたか?」
「いや。実は私もずっと焦土くんと探してたんだけど、見てないんだ」
「その、お、思い詰めてたりしたら……どうしよう」
「いや、紫に限ってそれはない」
「先生としてアレな言い方かもしれないけど、私も反さんはそういうタイプじゃないと思う」
不吉な予想をする青香に、僕と先生はきっぱりと否定する。
「紫は感情のコントロールが人一倍上手だし、一時的な考えで思い切った行動に走ったりしないはずだ」
「そうかな……」
「待って。でも、反さんが戦場くんと食堂で話した時、彼女一度だけ「死んでやろうかなって思ってた」って言ってなかった?」
「……あ」
そうだった。あまりに紫っぽくない発言だったから、すっかり忘れていた。
「…………」
「……犬助くん?」
「絶対急いだ方がいいな」
「だよね?」
「食堂の時から、もう何時間も経ってる……まずいかもね」
「でも、今日は部活の練習があるって言ってましたよ? まだ学校にいるはず」
青香の言葉に、僕も横から頷く。食堂の時、紫がフルートを持っていたのは僕も見た。
「それがね……さっき吹部の先生に聞いたんだけど、反さん今日来てないって」
「え……」
僕たちの間に、凍てついた緊張がピシリと走る。
「早く探さないと!」
「先生、自宅には⁉︎」
「ダメだ、繋がらなかった」
僕は脳内を引っかき回して、紫のことをできる限り思い出そうとする。
「感情の整理をつけるために、犬助くんと関係がある場所に行く……とかは?」
「ありがちなやつね! 例えば、戦場くんが反さんを助けた道路とか……」
「いや、あそこは車通りがそこそこあるし、じっと居るような場所じゃない。違うと思います」
「牛丼屋」
「うるさい」
「……お祭りの神社は?」
「紫にとってかなり悪い記憶をひっぱり出す場所だから、違う。紫なら、もうちょっと前向きな場所に行くはず……」
そう言ってから、僕は自分の言ったセリフに引っかかる。
紫なら……?
「ていうかさ、反ってそんな感情で動くタイプだっけ?」
「それ、僕が言おうと思ってたのに……」
「でも確かに。反さんって凄まじくロジカルだからら、もっと明確な目的を持って場所を選ぶはず」
「そうかなあ。気分屋だから、こういう時は感性で選びそうって、私は思うけど……」
「うーん……」
めいめいに首を捻る三人をよそに、答えが既に出ていた僕は、スマホを取り出して時間を確認した。
「先生……」
まだ、間に合うはずだ。
「車、出してもらえませんか?」
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