十四 青春は酸っぱい

「……紫と、食堂で話したんだよね」


 外を少し歩いた後、あまりに会話がなくて気まずくなった僕は、とりあえず人目の少なそうな場所で座ることにした。しかし、座ったら座ったで、より無言の気まずさは強くなってしまう。そんな感じで僕がいたたまれなくなっていた折、青香がようやく口を開いた。



「うん。僕なりに色々説明しようとしたんだけど、全然ダメだったよ」

「嵐くんから聞いた。なんか……凄かったって」


 嵐のやつ、ちゃっかり居なくなっていたと思ったら、盗み見までしてたのか。青香の服装が制服から体操服に変わっているところを見るに、部活中に聞いたのだろう。


「泣いてたって……。紫、めったに感情出さないのに」

「………」


 体育館横の階段に腰掛けて、青香はまるで自分に言い聞かせるように、そう言った。膝を抱える彼女の手には、微かな力がこもっていた。


「きっと、それぐらい追い込まれてたんだよね。紫も、本気で犬助くんのことが……」

「青香」


 着地点の見えない青香の話を、僕はいったん止める。彼女は話の核心に触れるのを恐れていて、その上で、あえて回り道をしながら話している。そんな風に見えた。



「僕は、記憶喪失なんだ」


 食堂で紫に告げたのと同じ言葉を、僕はまた違った意図で、青香に打ち明ける。


「………」

「それも、一度や二度じゃない。何度も記憶を失ったんだ。

 その度に僕は、君や紫を裏切るようなことをした。なのに、僕はそれでも「どうせ信じてもらえない」とか、「後で話す方が手っ取り早い」とか理由をつけて、説明をずっと先送りにしてきた」


 遠くの方から吹奏楽部の楽器の音が聞こえて、放課後の訪れを告げるチャイムが鳴った。初夏の空はまだ明るかったが、太陽は既に西へ傾いていて、日が暮れるのも時間の問題だった。


「たぶん、怖かったんだ。事実を伝えて、それで相手を怒らせるぐらいなら、黙って事態がよくなるのを待ってようって……そんな卑怯なことを考えてた。

 無知は罪深いって、こういうことなんだなって思ったよ。自分がどんな悪どいことをしたのかも知らないで、次々と罪の上塗りをしちゃうんだからさ」

「っ……」


 青香の口がキュッと閉まり、彼女は一瞬、たじろぐように小さく身を揺すった。



「僕は紫に謝らないといけない。もちろん、君にも」

「………」

「そのために今日、失った記憶を辿ってきたんだ。そしてここまで来た。君がこの場に来たように」

「……もう、全部気づいてるんだ」

「まだ、なんとなくだよ。でも先生の推理を聞いて、今の青香の態度を見て……徐々に確信になってきてる」


 僕はそこで口を閉じ、それからの言葉を慎重に選んだ。しかし少し考えて、やはり何も選ばずに言おうと決めた。



「君は、僕の記憶喪失を知ってたんだろ?」

「……うん」


 薄暗い影の下でうずくまる彼女は、そのまま消えていってしまいそうなぐらいに小さく見えた。



「知ってた……知ってる上で、ずっと黙ってた」


 目に涙を溜めながら、しかし泣くまいと唇を噛み締める青香に、僕はなんとなく「ああ、青香はこういう子だったな」と感じていた。真面目だから、ここで涙を流せば卑怯になると思ってしまうのだろう。

 そういう彼女の様子一つ一つが手掛かりになって、僕の歪に抜け落ちた記憶の穴を、きれいな形に埋めていった。あとは数個のピースを埋めるだけで、それは彼女が持っている。

 しかし、それを彼女の口から語らせるのは、あまりに残酷なことだった。それで僕は迷っていた。ここで「話せ」と言ってしまえば心の傷になる。しかし「話さなくていい」と言えば、彼女は罪を精算する機会を失ってしまう。


 どちらが彼女にとっての最善か、僕には判断がつかなかった。



「聞いて、犬助くん」


 しかし、青香は僕が思っていたよりも、ずっと強かった。


「全部、話すから」


 そう語る彼女の目には、ずっと溜まったままの涙がまだ残っていた。それを落とすこともなく、拭くこともなく。彼女は自分から罪の告白を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る