第8話


 四限目が終わり、昼休みに入った。


 同級生たちから便乗されないようにしてほしい、という俺のお願い通り、先にカズヤが席を立ち、教室をあとにする。


 というのも、俺が先に出るようなことがあると、いじめっ子が追いかけてくる可能性もあるからだ。


 だから、このクラスでもリュウジの次に影響力を誇るカズヤが出ることで、そのあと俺が教室を出ても空気を読んで追いかけてこない可能性が高くなるのだ。


 カズヤさんがミチアキに用事があるんじゃないか、と。そんな暗黙の了解を破れるとしたらボスのリュウジくらいだが、やつはカズヤと仲が良いのもあって気を遣うだろう。


 これから俺が向かう先は、もちろん体育館の裏だ。廊下に出た時点でカズヤの姿はもうない。あれだけ遅刻癖のあるやつだが、頭の中は札束のことで頭がいっぱいに違いない。それで普段よりも足取りが軽かったんだと思われる。


 俺はできるだけゆったりとした歩き方で体育館の裏まで行くことにした。待たせるのは慣れているカズヤだが、待たされるのには慣れてないだろう。なので、なるべく苛立たせるためだ。


 あと、俺を追いかけてくるやつがいないかどうか確認する必要もあったので、ゆっくり進むのはちょうどよかった。今のところ、誰かに尾行されている気配はないし至って順調だった。


 やがて、体育館の裏が見えてきたところで俺はわざとらしくダッシュしてみせた。もちろん、セットで転ぶのも忘れない。


「……はぁ、はぁ……」


「遅えよ、ミチアキ! お前、何やってたんだ!」


「……す、すみません、カズヤさん……」


「どういうつもりなんだよ、おい!」


 俺の胸倉を掴み、拳を振り上げるカズヤだったが、ふと我に返ったのか手放した。ここで殴れば、専用の金蔓じゃなくなると思ったのかもしれない。


「急ごうと思うあまり、途中で転んじゃって……」


「……そうかよ。ミチアキらしいな。まあいい。さっさと札束寄越せ。パチンコ代とタバコ代と焼肉代にすっからよ」


「ど、どうもすみませんでした。あ、カズヤさん、一服どうぞ」


 俺は謝罪しつつ、ライターの火をつけてみせた。


「お、ミチアキちゃん、気が利くじゃねえかあ。お前みたいなゴミでも、学習能力はちゃんとあんだな」


 タバコをふかし、恍惚とした顔を見せるカズヤ。


「…………」


 俺は鬼の心になったからこそ、悪党の気持ちもわかる。これはコントロールだ。俺は今、やつの心を制御している。怒りから一転、やつは有頂天だ。札束を貰う前にタバコを一服して至福の一時なんだ。俺がここまでやるのは、緩急によってカズヤをより苦しめるためである。


「ふー……」


 タバコを吸ったことで気分がよくなってきたのか、カズヤは上機嫌の様子で口元を緩ませた。


「まー。世間じゃハンターハンターうるせえけどよ。本当の勝ち組ってのは、危険な目に遭わずに、楽しながら金を稼げる俺みてえな男なのよ。なあ、ミチアキちゃん、俺って賢い男って思うだろお?」


「そ、そうだね」


 何が勝ち組だ。自分で稼ぐ力もないただのチンピラがよく言う。俺は内心憤りつつも笑顔で応対する。


 ハンターになるまでの自分なら、早くこの男の支配から逃れたいあまりお金を差し出すところだが、俺はイライラさせたいのもあってあえて黙っていた。


 そのうち、カズヤがタバコや自慢話にも飽きてきたらしく、こちらを威圧するように横目で睨んできた。俺が言わずとも金を出せと言わんばかりだが、俺は自分からそれを切り出すことはしなかった。


「……なあおい、ミチアキちゃん。もうすぐ昼休み終わんじゃねえかよ。とっとと出せよ」


 とうとうカズヤが我慢できなくなったらしく、俺に手を差し出してきた。本当に、たったそれだけで金が貰えると思ってるのか。犬の御手みたいなもんだろう。舐めるな。


「えっと、握手?」


 俺がきょとんとした表情でその手を握ると、カズヤの顔が見る見る赤くなっていった。


「……お、おい、ミチアキ。てめえ、いい加減にしろよ。ちょっと人がいい顔しりゃつけあがりやがってよ。マジで殴り殺すぞ……⁉」


 怒ってる怒ってる。まるで野生動物が威嚇しているかのようだ。


「ご、ごめん。ちゃんと出すよ……」


「ったく、最初からそうすりゃいいのよ。ボケが」


 俺が財布を出した途端、カズヤの怒りがトーンダウンするのが面白い。まさにコントロールできているということに俺は鳥肌が立っていた。単細胞なカズヤ相手だからなんの自慢にもならないかもしれないが。


「……あれ?」


「あ? どうしたんだよ。ミチアキ。10万、最低でもちゃんとあんだろうな?」


 俺が自分の財布を見て首を傾げたことで、カズヤが動揺した様子を見せる。


「それが、まったくなくて……」


「は、はあ……⁉ お、おいお前!」


「落としちゃったみたい……」


「お、落としたって、お前、ふざけんな!」


「あ、あった! ここ!」


「何ぃっ……⁉」


「――土下座しろ」


 カズヤが蹲って足元を探し始めた途端、俺は【権威の舌】によって小声でそう呟いてみせた。


「ないじゃねえかあ……って、た、立てねえ……⁉」


 やつは土下座状態になった。これでカズヤは俺が2メートル以内にいる限り絶対に立てないということだ。


「あ、足が滑った!」


「ぶべっ……⁉」


 俺はわざと転ぶついでに、やつの顔面を思いっきり蹴ってやった。それでもカエルみたいにすぐ土下座しちゃうんだな。すぐ面白い。


「あ、ごめん。お金、持ってくるの忘れちゃったみたいだ。じゃあね」


「……ミミッ、ミチアキィィッ、てみぇえっ、待ちぇ待ちぇ待ちぇえっ、殺しゅ……殺しゅじょおおおっ……!」


 鼻血を出したカズヤが苦しそうに叫ぶのを見て、俺は笑いをこらえるのに精一杯だった。


 さて、気分が悪いとか怪我をしたとか適当なことを言ってこのまま早退するか。俺に対する怒りの感情をなるべく長引かせたい。


 カズヤは単純な男だから、また学校へ行く頃にはやつの怒りも鎮まってるだろうし、前回のお詫びに50万払うとか言えばコロッと機嫌もよくなるだろう。怒り狂う動物の感情を上手にコントールしていかなきゃな。

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