第4話 誰も知らないあの日の記憶
「……っ! はぁっ……はぁ……」
…ゆ、夢…? 夢……だと思いたかった。でもわたしの頭についている髪飾りが、母親の形見がそれを否定した。
わたしが殺したんだ。お母さんを、お父さんを。
わたしが……っ!
「お前が生まれたせいで碧桜は死んだんだ! お前のせいで……!
何故お前が生きてるんだ。お前が死ねばよかったのに!」
「ご、ごめんなさっ……っっ!ごめんなさいっ!」
「美玲??どうしたんだい?」
横を見ると、お母さんがいた。心配そうな顔をしてわたしを見ている。
「お、お母……さん…?」
いや、違う。お母さんは死んじゃったんだ。私のせいで。
これはお母さんじゃない。よく見るんだ。よく……
「…?悪い夢でも見たのかい?」
与謝野先生は驚いたような顔をして近づいてくる。反対にわたしの体は後退し、ベッドから落ちる。
「……っっ!」
手首と腰に激しい痛みが走ったが、今はそれどころではなかった。
…‥…怖い。
与謝野先生は慌てた様子で駆け寄ってくる。
「こ、来ないでっ!ごめんなさいっっ!」
与謝野先生は一瞬驚いたがすぐに優しく微笑むと両手を広げた。
「悪い夢見たんだね。ほら、もう怖くないよ。おいで」
その時、わたしの心がガラガラと崩れていく音がした。
その時の与謝野先生の顔が、昔お父さんに見せてもらったお母さんの写真と全く同じだったからだ。猛烈な息苦しさが襲ってきて、与謝野先生が何かを言ってるのが分かった。でもわたしにはその通りにする気力が無かった。と、だんだん睡魔も襲ってくる。……苦しい思いして死ぬ。
そうしたら、、お父さんとお母さんも、許してくれるよね。
「美玲!?」
誰かがわたしの名前を呼ぶ。そして、わたしに触れようとする手に目を覚ます。わたしは必死に振り払い、その手から距離を取る。
全身の震えが止まらなかった。
「美玲!」
よく通る声がもう一度わたしを呼ぶ。距離を詰められ、口に何かを当てられる。もっと息苦しくなってパニックと恐怖でわたしはその腕を思い切り引っ掻いた。生温かい液体がわたしの指を流れ、鉄の匂いが鼻をさす。
「美玲、吸いすぎだ。息を吐くんだ」
穏やかな声に言われるがまま、深く息を吐く。ゆっくりと背中をさすられ、だんだんと息苦しさが薄れてくる。
「そう、ゆっくり。ゆっくり呼吸すんだよ」
わたしは疲れからか、そのまま身体を預けた。聞こえてくる規則正しい鼓動に安心して、少しずつ呼吸が整っていく。でも…。
早く死ななきゃ。いくら落ち着いたからと言ってこの気持ちは変わらない。わたしは両親を殺した。そんなのが、生きてていいわけない。
わたしは与謝野先生の体から抜け出すと、医務室から飛び出した。
◇◇◇
もう退社時間なため、寮に戻ろうと医務室に向かうと声が聞こえてカーテンを開けると美玲が泣いていた。
妾は吃驚はしたか、その様子から悪夢でも見たんだろうと考え、取り敢えず安心させる為に微笑みながら近づいた。だけど、それがいけなかったみたいだ。何かを思い出したらしい美玲が過呼吸になっちまった。妾がゆっくり息を吐くように言ってもその眼の焦点は合わなくなっていくばかり。
……仰向けにさせる?……背中をさする?……布で口を抑える?
だがどれも美玲に触れないとできない。この状態で美玲に触れて悪化させたら……。いや、ごちゃごちゃ言ってる暇はない。このままだと美玲の命が危険だ。妾は布で美玲の口を抑え、暴れる美玲を抱きしめて背中を摩った。そうすると、だんだんと呼吸が安定してきた。落ち着いたらしい美玲は力を抜くと、妾にもたれかかった。妾はその様子に微笑みながら背を叩く手を止める。すると美玲は妾の腕を退けて、扉の方へ向かった。妾が立ち上がって扉へ向かおうとすると、美玲が走って出て行った。
「美玲!」
妾も念のため途中で敦を引っ張って探偵社を出た。外はもう既に薄暗くなっていて、車の交通量も増えていた。
美玲はすぐ見つかった。道路の真ん中で座り込んでいたからだ。後ろには美玲の存在に気づいてないらしい大型のトラックが迫ってきている。
「敦!」
「はい! …っ!」
異能で加速した敦はトラックと接触する寸前で美玲を抱え、歩道に着地した。
トラックは気付くことなくそのまま信号を進んでいく。
「敦!美玲! 大丈夫かい!?」
妾がその歩道へ駆け寄ると、二人は木の根元に転がっていた。敦はすぐに起き上がったが、美玲は俯いたままだ。
「は、はい 僕は大丈夫です。美玲ちゃんも、大丈夫?」
そう言って敦が美玲に手を伸ばした。だが、その手は届くことなく振り払われた。他でもなく美玲の手によって。
「み、美玲ちゃ…っ!」
敦は最後まで言い終わることなく口を閉ざし、息を呑んだ。顔を上げた美玲の瞳に全く光が灯って無かったからだ。
◇◇◇
「美玲ちゃん…?」
「なんで助けたんだ。私は、全部終わらせるためにあそこにいたんだ。自分の意思で。それを邪魔して……何がしたいんだキミたちは」
美玲ちゃん、が言う。さっきとは全く別人の表情、トーン、口調で。
「キミたちも私の邪魔をするんだね。もういいよ。あの子の仲間だとか知らない。邪魔するなら……殺すよ」
「……あんた、まさか美玲の裏人格かい?」
そんな、与謝野先生の口から出てきた言葉に思わず素っ頓狂な声を出す。本当に二重人格なんてものが存在したのか…。
「……だからなに? もしかして私を殺したらあの子が戻ってくるとでも思ってるの?残念だけど、もちろん私を殺せばあの子も死ぬよ。この状況で、あの子の仲間だっていうキミたちはどうやってあの子を救う?」
そう言って彼女は口元に笑みを浮かべる。二重人格が本当だとすると、おそらく美玲ちゃんの父親と乳母を殺したのも彼女だろう。となると、彼女は生まれた時から父親を殺すまでずっと痛みを受け続けていたという話になる。
可哀想…
「はぁ?」
声に出ていたみたいだ。彼女の睨みに耐えきれなくて少し後ずさってしまう。それを見て与謝野先生は呆れたように息を吐いた。
「あんたは、どうして死にたいんだい?」
「どうして?そんなの終わらせたいからに決まってるでしょ?」
「何を?」
「全部だよ!私はあいつに全部ぶち壊された。だから今度は私がぶち壊してやるの」
「だから、死のうとしたのかい?」
「そうだって言ってるでしょ!?もう疲れたんだよ……!!見覚えのないことでずっと罵られて、痛めつけられて、私がやったわけじゃないのに!ずっと…ずっと…っ!
ねぇ、私が生まれてきた意味って何?私は……ただ痛みを受け続けるためだけに生まれてきたの?」
そう言って彼女は異能を発動した。
二人の少女が現れ、彼女を守るように武器を構える。
「キミたちは知らない。私の何も。」
「誰も、誰も知らないよ!自分の生きる意味なんて! だから探すんだ。生きて。
だから、君のその行動は間違っている!」
僕はそう叫ぶと彼女は息を呑み、顔が歪んだ。泣いているのか、声にも嗚咽が混じっていた。だが、異能は攻撃をしてこない。まるで彼女が間違っていると諭すように。
「五月蝿いっ!!お前みたいな……っ お前みたいな奴に何か分かるって言うんだよ!どうせ、お前らもいつかは言うんだろ!? 人殺しだって! 結局、すぐに檻の中に閉じ込めて……! そうじゃなくてもいつか私を悪者扱いして、殺すんだ!」
彼女はそう一気に捲し立てると肩で息をし、それを落ち着かせてから言った。
「探偵だか何だか知らないけどさ、所詮は他人なんだよ。知り合いでもない、出会ったばかりのくせに、私の何が解るって言うんだよ!」
「解らないよ」
そういうと彼女はポカンと口を開けた。が、すぐに我に返って僕を睨む。でも全く怖くなかった。だって彼女の深層心理が分かったから。
そう、……僕には解らない。いや、僕は理解しちゃいけないと思う。僕が理解できるような簡単なものじゃないから。だから、解らない。
でも、彼女の隠そうとしている必死な思いや悲痛な叫びを聞いて少し、僕と似ている部分があると思ったんだ。誰からも愛されず、虐待される日々。安心できる場所なんてどこにもなく、助けを呼んでも誰も来ない。
そんな過去。なぜ何も悪いことをしていない人が酷い目に遭うのだろうか。
全ては周りの環境のせいだ。
もしも彼女が普通の家庭で育ち、異能を持たなかったら? もしも両親から無償の愛を貰っていたら?こんなことにはならなかった? でも、過ぎた日には戻れない。
ならば、僕たちが今、彼女に出来る事は?
何もかも諦めた様な瞳。何処までも漆黒に染まっていて、全てを拒絶するような瞳をしている彼女をどうすれば……
どうやったら彼女を止められる?
答えは簡単だ。彼女を否定するんじゃない。許容するんだ。
「僕は君が……美玲ちゃんが人殺しだったとしても受け入れるよ
だって、僕も同じだから」
僕の告白に驚き、迷うように目が泳いでいるのが分かる。そしてずっと彼女のそばでことの成り行きを見守っていた二人は消えた。
もちろん死んだわけではない。異能を解除したのだ。彼女達で。それはつまり二人が、僕が彼女を傷つけること、彼女が望まぬことはしないと
確信したということに他ならない。そのことに彼女も気付いたらしく、僕を一睨みしてからとても小さな声で呟いた。
「……キミは私が人殺しだとしても責めない……?」
「勿論」
「敦の言う通りだよ。第一、あんたは何も悪いことはしてないじゃないか」
「だけど、私は父さんを殺して……」
「正当防衛だよ」
「それにあんたも美玲を思ってるみたいだしね」
「私が…あの子を……?」
「あんたは美玲と入れ替わった時、もしくはその何年後かには自分が二重人格者だって知ってたんだろ?変わろうと思えばいつでも変われた筈だ。でも、あんたは変わらなかった」
与謝野先生の言葉に図星だったのか彼女は苦虫を潰したような顔をした。
「自分を悪役に仕立てることで美玲を守ろうとしたんだろ?」
「何言ってー」
「どんな理由があったにせよ人を殺したことに変わりない。見つかれば軍警行きさ。だけど、自分という悪役がいることで美玲は誰からにも責められないように守っている。違うかい?」
「……私はどうするのが正解だったの。これからどうすればいいの……。」
彼女は俯いた。長い髪の端から雫がこぼれ落ちる。
「簡単だよ。君のことを1番よく知ってる人が教えてくれる。その時、素直に耳を傾けるんだ」
「そっか……」
僕の言葉に安心したらしい。優しく微笑むとそのまま地面に倒れ込んだ。
「与謝野先生!美玲ちゃんが……!」
「大丈夫、寝てるだけさ。過呼吸を起こした上に走ってたからね、疲れたんだろう。一寸熱があるけど、少ししたら目覚めるよ」
◇◇◇
美玲は今日は取り敢えず妾の部屋に泊めることにして敦に運んでもらう。
寮に着き、敦の背中から美玲を剥がしていると起こしてしまったようで、妾の袖を掴みながらもう片方の手で眠たそうに眼を擦っている。
あまり眼を擦るのは良くないので辞めさせ、まだぼーっとしている美玲を抱えると敦に礼を言い、部屋に入った。
「じゃあ美玲、妾は食器洗ってから行くから先に風呂に入ってな」
妾がお風呂と言った瞬間、ビクッと美玲の肩が跳ね上がり怯えたような表情をした。虐待されている間もちゃんとお風呂に入っていたのか清潔だったので一人で入れるだろうと思ってそう言ったが、ダメだったのだろうか。しかし、大人しく風呂場に向かう美玲を見て安堵し、帰る途中に寄った探偵社で回収した荷物を机に並べ、その中にあった美玲の着替えを持って風呂場に向かう。そろそろ着替え終わった頃かなと浴室の扉を開ける。と、何かが扉を塞いで開けられない。何かと見てみると、それは美玲だった。よく見たらその肩は震えている。
「どうしたんだい? 水が怖いのかい?」
妾がそう聞くと、美玲は目に涙を浮かべながら首を横に振った。水じゃないとすると……お湯?
「お湯が怖いのかい?」
妾は浴室に入ると服の袖を捲り上げ、腕の半分を浴槽の中に入れると美玲は焦ったように手を伸ばした後、吃驚したような顔をして浴槽と妾を何回も見比べている。沈黙が訪れ、ようやく口を開いた美玲の声は掠れていた。
「い、痛くないの……?」
「痛い……?」
「だって、いつもお風呂に入ると全身が痛いの……だからお風呂って悪いことした罰だって……」
「……風呂は体を清潔に保つためのもんだ。風呂が痛いって感じたのはあんたが怪我してる状態で風呂に入ったからさもう怪我は治したし、痛くない筈だよ。ほら、火傷なんかもしないし、逆に体があったまるよ」
それを聞いた美玲は恐る恐る濡れた床に足を踏み出し、浴槽の縁に手をかけてずっと張っている湯を睨みつけていたかと思うと慎重に恐る恐る指先を伸ばす。ちゃぷりと水面を突き、飛び退いて慌てて妾にしがみつく美玲についつい笑みが零れてしまう。
けど、このまま風呂に浸からないままだと風邪をひく。だから何回かそれを繰り返し、お湯になれたところで抱き上げ浴槽に入れた。
最初こそ妾の首に腕を巻き付けて離さなかったが、少し経てば手を繋ぐだけで浸かれるようになった。おそらく1週間もすれば一人で入れるようになるだろう。子供は本当に順応が早い。現にこんなに気持ちよさそうに眠っていて……眠っている…っ!?
「ま、待ちな美玲! 風呂場で寝るのは厳禁だよ!」
妾は美玲の髪や体を高速で洗い、タオルで拭き、敦に買ってこさせた着替えを着せ、布団に寝かせた。妾も疲れたのでそのまま横で眠る。
……母は偉大だ。
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