第三章:カレル・クラマルス宝石店

第11話:取りあえず、職を探したいな。職業安定所とか、ないのかな。

「セティ、アリー。本当に申し訳ないんだけど、今夜は工房の仲間と食事に行くんだ。僕は君たちが心配だから、ことわろうかとも思ったんだけど、僕が来ないと始まらないって、親方にどやされたからさ……ごめんね、二人とも!」


 フィドル・クルールは私たち二人をぎゅっと思い切り抱き締めて言った。

 フィドルお兄さんの身体はお日様みたいな優しい匂いがして、なんとも言えない安心感がある。


「いいかいセティ、よく聞いて。僕が家を空けている間、絶対に家から出てはいけないよ。お昼ごはんの材料も、夜ごはんの材料もちゃんと準備してあるからね!絶対に、家から外には出ないでね。それから、誰かが扉を叩いても、絶対に開けないこと……!いいね?」


 まるで、白雪姫を置いて仕事へ出ていく七人の小人だ。

 セレスタは悪い継母にでも付け狙われているのだろうか。


 妹と姪を家に残し、いつも通り仕事へ出ていくフィドルお兄さんを見送ってしばらく、朝ごはんの食器を洗って片付けたり、いつも通りの家事をこなしていたのだが、やるべきことが一通りが済んだところで、私はアリシアに宣言した。


「よし!決めた!お母さん、出掛ける……!」


「えっお出かけ……!?アリシアも行きたい……っ!」


 ここ一週間近く、アリシアも私も、家に閉じこもってばかりだった。

 アリシアも甲斐甲斐かいがいしくお手伝いをしてはくれるものの、五歳の子どもが家に籠ってばかりではさぞ退屈だろう。


「だけど、おとうしゃまに怒られるよ……!」


「だから、『おとうしゃま』って言うのはやめなさい。おじさまか、フィドルさんにしなさい」


 アリシアは何度訂正しても、フィドルさんのことをおとうしゃまと言う。

 まあ、父親が居なくて寂しいのよね、あえて否定しなくてもいいかな……。


「アリー。アリーは、本当のおとうしゃまに会いたいとは思わない……?」

 私は小さな娘の世にも美しい紫の瞳をのぞき込みながら言った。

 アリシアは母をじっと見詰め返す。


「ほんとうの、おとうしゃま……」

 アリシアは少し悲しげな顔をして、会いたいとも会いたくないとも言わなかった。


 アリシアは父親が誰だか知っているのだろうか。

 父親には可愛がってもらえていなかったのだろうか。


「アリー、私は、会ってみたいの。その人が、どんな人だったとしても」


 養育費を払わせてやる、と息巻いてはいたものの、正直に言うと、私は単純に、その人に会ってみたかった。

 好奇心だ。

 どんなに恐ろしい過去が待っているとしても、私はやっぱり、知りたい。セレスタ・クルールとこの黒髪の美男子の間に何があったのか。


 いや……私は胸の谷間にいつも締まって、肌身離さず持ち歩いている銀細工のペンダントを開けて、その精悍せいかんな瞳を見詰めた。


 正直に言うと、私は、求めているみたい。


 この人に、会いたい。


 本能が、この女の身体に刻まれた本能みたいなものが、この人を求めている。見詰めているだけで、胸をきむしられるような気持ちになるのだ。


 そして同時に、背中に鋭い傷みが蘇ってきて、息が上がる。

会いたい。恋い焦がれるように会いたくて、でも同時に胸を締め付けるような深い悲しみに襲われる。


 死してもなおこの女は、その人のことを求めているのだ。


「アリー、お母さんは、この人のこと、きっととても好きだったのね」

 セレスタが『意識』を失っても、彼女の『身体』が覚えているほどに。


「……うん」

アリシアは悲しそうな顔のまま、そっと頷いた。




 私は伊達眼鏡を付け、今日は長い髪を一本の編み込みにして左の肩に流し、アリシアとおそろいの文学少女スタイルになって、意気揚々と家の外へ繰り出した。


 大きく伸びをして深呼吸する。


 久しぶりに浴びる日差しがまぶしくて、ヨーロッパ風の町並みがキラキラしていた。


 取りあえず、職を探したいな。

 いつまでもお兄さんのすねかじっているのも申し訳ないし。


 でも、そのためには、アリシアを預かってもらえる場所か、アリシア付きでも雇ってもらえる場所を見付けなければならない。

 現代日本なら、保育園とかファミサポさんとかあったけど、この世界はどうなんだろう?

 シッターさんとか、お手伝いさんとか、雇えないのかな?

 職業安定所とか、ないのかな。


 それと、誰かにこの黒髪の超絶イケメンの肖像画を見せて、この人がどこの誰だか聞き込みもしてみたい。

 でも、これを見せても大丈夫なぐらい信頼できそうな相手がいいな。

 高価な代物みたいだから、ほいほい見せたら盗られちゃうかもしれないし。


「ねえ、アリー、どこか、アリーの行ったことのある場所って、ないかな……?」


アリシアはニコニコしながら指差す。


「んとね、あそこ!」


 え……っ?あそこって、あれ?

 バッキンガム宮殿?

 この国の、王様が住んでそうな、素敵なお城よ……?


「あそこ……?」

「うん!あそこ!」


 そう言えば、この間セレスタをののしった男たちは『陛下を裏切った』とか、言っていたな。


 すごく嫌な予感がしてきた。

 『陛下』って言えば、一人しかいないよね。

 セレスタのお相手はまさか、国王陛下だったのかしら……?


 とても簡単な筋書きだ。

 まさかとは思うけど、一国の王様が劇場キャバレーの踊り子に入れ込んで、寵愛ちょうあいされて子どもまでできて、そして、何らかの裏切り行為があり、殺された……?

 

 お城に、行ってみるか?

 この子の父親誰ですかー?って?


 この国の王様と庶民との距離感が、どんなものかは分からないけど、お願いしたら謁見えっけんできるような存在なのかしら。

 門前払いされるだけかな……。


 お城に行ってみるべきか迷いながら、街中をブラブラ歩いていたら、アリシアが突然立ち止まった。


「あ!このお店……!」

「なになに、見覚えある場所なの?」

「うん!おとうしゃまの……じゃなくて、フィーのアクセサリー、売ってるとこだよ!」


 おとうしゃまの、アクセサリー……なるほど。

 フィドル・クルールは宝飾職人だ。

 彼の作る宝飾の、おろし先と言うわけか。


 目の前には、一見したら宝石店とは思えない、地味で目立たない一軒家があった。

 扉に深緑の黒板のような看板が掲示されているだけだ。


『カレル・クラマルス宝石店』


 深緑色の看板に、金色の塗料で書かれた文字だった。

 セレスタは、文字が読める。

 明らかに日本語じゃないし、いまこうして喋っている言語も日本語じゃないんだけど、そこは転生したからか、セレスタの身体が覚えているのか、この国の言語は何不自由なく自由に使えるみたいだった。


 私は意を決して扉を開けた。


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