第5話:セティってば、耳まで真っ赤だよ。
「おーい、セティ、何やってるの?ご飯だよ」
隣の部屋からのんびりしたフィドルさんの声が聞こえてくる。
アリシアにスカートの
質素な家だった。
掃除が行き届いていないのか、床には
服や書類や、生活感たっぷりの品物たちが狭い空間を雑然と埋めていた。
朝ごはんは丸い形の固くて酸っぱいパンと、乳くさい牛乳。しょっぱすぎるサラミ数枚だけだった。
正直美味しくない。
隣でアリシアは大人しく食べているけど、これじゃあ育ち盛りの子どもの栄養としては今一つね。
私は心の中で思った。
アリシアには、カップ麺と食パンだけで育った
「セティ、僕はこれから仕事に出掛けるけど、君はまだ身体が充分に癒えてないんだから、この家から外にはぜっっっっったいに、出てはいけないよ。二人で大人しく、お留守番をしてること!」
朝食を食べ終わったアンドリューそっくりのお兄様は、椅子に座った私の傍らに立ち、私の両肩を持つと、長身を
「愛してるよ、セティ。少しの間離ればなれだけど、我慢してね」
ぞわりと鳥肌が立って、心臓が口から飛び出そうになる。
「ち、ちょっとやめてよ、あなたお兄ちゃんでしょ!妹になに気持ち悪いことしちゃってるんですか!?」
フィドルお兄様は優しげな顔をニコニコさせて言う。
「くすくす、セティってば、耳まで真っ赤だよ。セティこそ、妹なのに、なにそんなに意識しちゃってるの?親愛の情で耳もとにキスなんて当たり前のことでしょう?記憶無くしたら、そんなことまで忘れちゃったの……?」
く、くそ……こいつ優しそうな顔をして侮れない。
アンドリューそっくりの顔で、そういうことしないでよ!
こっちの心臓が持たないんだから……!
「おとうしゃま!わたしもわたしも!」
アリシアは手を伸ばしてフィドルさんにおねだりする。
「はいはい、可愛いアリー。何度言ったら分かるんだい?僕はお父さんじゃないんだよ、君の、お母さんのおにいさん。おじさん、と呼ばれるのはちょっとツラいから、フィドルって呼んでくれないかな?」
フィドルさんはアリシアをぎゅっと抱き締めて言った。
「じゃ、言ってくるね!」
フィドルさんはるんるんで家を出ていった。
うーん……あの人、本当に血の繋がった兄なのかしら……?
兄は茶髪茶眼の優しげな容姿、一方で妹は、銀髪に紫眼で、どちらかと言うと冷たそうな印象の美女——二人の外見は、正直まったく似ていない。
まさか、実は妹はどこか、よそのおうちからかもらわれてきた血の繋がらない兄妹で、密かに想い合っていた兄と妹は本当の兄妹ではないという事実を知ったあげくその恋を成就させて、産まれた赤ちゃんがアリシア、なんてことは……ないわよね……?
私はなんだか怖くなってきた。
二人が想い合っていたならまだいいんだけど、兄から義妹への一方的な愛で、無理矢理できちゃった赤ちゃんで、だからこの家を飛び出したとか、そんな話だったら怖すぎるぞ。
アリシアの父が誰か分からない。
自分を痛め付けた相手が誰なのかも分からない。
その人は何気ない顔ですぐそばにいるのかもしれないのだ。
アリシアはあらぬ妄想を繰り広げる母の顔を、不思議そうな顔をして見つめていた。
「ご、ごめんごめん、あなたを目の前にして私はなんちゅう妄想を……」
アリシアとフィドルおじさんの顔も、うーん、似てない。
どちらかと言うと……私は例のペンダントを開けて、鋭い眼光、仏頂面の黒髪イケメンを眺めた。
この人に似てるかな、アリシアは。
小さい肖像画なのでよくわからない。
「アリシアは、お母さん似ね」
「うん、よくいわれるよ」
冷たい印象のセレスタを、思いっきり可愛くしたような顔だ、アリシアは。
髪色や瞳の色も含めて、母によく似ているから、顔立ちで父親を探すのは難しそうだ。
「フィドルさんが出ていっちゃう前に、このペンダントの男を知らないか、聞いとけば良かったな……」
さっきはキスに動揺しすぎて、それどこじゃなかった。フィドルさんが帰ってきたら、ぜひとも聞いてみよう。
「さてと……」
家から出るなと言われたし、取りあえずこの食器を片付けちゃうか……!
台所にはきちんと流しがあった。
水道はないみたいだけど…傍らの大きな水がめにたくさん水が溜められている。
これを使うのかな。勝手にやったらフィドルさんに怒られるかな……。
まぁ、優しそうな人だし、こんなに放置されているのも気になるし、やっちゃうか!
私は水がめから盥に水を汲んで、流し台の上に置いた。
それらしき石鹸と、柔らかい素材のタワシみたいなものを見つけ、洗った食器を
死んじゃったおばあちゃんちに行った時に、教えてもらったな。
おばあちゃんも貧しい人だったみたいだけど、水をなるべく節約して洗うには、盥に溜めた水の中で、汚れを落とすのが一番だと。
大人になった今思えば、多少不衛生な気もするんだけど、子どもの頃は、一円でも水道代を節約するために、この方法で食器洗いをしていた。
食器用洗剤も節約したかったから、ほとんどは洗剤も使わず水だけで洗っていた。
どうせ使うのは自分と、たまに帰ってくる母親だけだから、気にならなかった。
悲しいかな、幼い頃から体に刻み込まれた習慣である。
私は母の残した洗い物を、放って置けば臭いが酷いし、次の食事の時に困るので、細かい性格が災いして、いつもいつも洗っていたし、部屋の掃除もしていた。
風呂掃除もトイレ掃除も、お手の物だ。
気付けば、流しにあった食器類をすべて片付け、床や机や椅子の上に散乱していた雑多な品物を整理整頓し、部屋中を精魂込めて掃除していた。
アリシアはそんな母の後を付いて回り、見様見真似でお手伝いしてくれる。
そのたどたどしい姿がなんとも可愛らしかった。
やっぱり、女の子ね。そして、私の子どもね、
この子もきっと綺麗好きなんだ。
(いや、違うか、この子はセレスタ・クルールの子だった……。セレスタも綺麗好きだったと言うことなのかな……?)
「うーん……それにしても、変ね」
この家、本当にフィドルお兄様とその妹セレスタが生まれ育った家なのかしら。
それにしては、女物の小物が少なすぎるような……。
台所と一緒になったダイニングルームと、その隣にタンスやベッドの置いてあるベッドルーム、それに申し訳程度のバスルームとトイレ。
それだけの家だ……って言うことは、アンドリュー、じゃなかった、フィドルさんと妹(私)は、一つの寝室に寝ていたと言うこと……?
い、いろいろ不可解だな……。
この質素なシングルベッドに私は寝かされていたし、床には畳まれた毛布が一つ置いてあるから、フィドルさんは私たちにベッドを譲って、床に寝てくれていたみたいだ。
一つの部屋に、大人の男女が一緒に寝るなんて……。
いや、兄妹だから別に気にしないのか……?
私は母ひとり子ひとりの母子家庭で育って、兄弟姉妹が居なかったから、その辺の
服を着替えて洗濯したかったけど、クローゼットには、フィドルさんの物らしき服しか入っていなかった。
何だか先ほどの妄想が信ぴょう性を帯びてきた。
血の繋がらない兄妹が二人きりで住んでいたのだとしたら、何があったか分からない。
二人が恋愛関係にあったとして、何らかの理由で破局して、義妹が出て行ってしまったから、フィドルさんは失意のあまり彼女のものを全て処分してしまったのだろうか。
それとも、二人が生まれ育ったおうちは、また別の家だったのだろうか。
まあ、たしかお父さんはフィドルさんが十八になる年まで健在だったそうだから、その頃はもっと大きなおうちに暮らしていたのかもしれない。
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