第3話:本当に良かった、僕の可愛いセティ……!
「セティ……!セティ、やっと目を醒ましたんだね……!もう、意識が戻ることはないものかと……っ!」
素敵な声だった。
少なくとも声だけなら間違いなくイケメン。
私は恐る恐る目を開けた。
目に飛び込んできた男性の顔。
茶色い髪に薄茶色の瞳、いわゆる『イケメン』の部類に入るような洗練された華やかさはないけど、優しげで目尻が下がっていて、黙っているだけで笑っているような柔和な顔……。
「あ、アンドリュー!!?」
私は再び卒倒しそうになった。
目の前の欧米系男性の顔は、スマホの中で何度も見たアンドリューの画像にそっくりだった。
「ああ、セティ……その美しい声、聞きたかったよ、本当に良かった、僕の可愛いセティ……!」
抵抗する暇もなくアンドリューの大きな腕の中に閉じ込められてしまう。
お気に入りのお人形を愛でるような抱擁だった。
しかも極め付けは、アンドリューが上裸だったことだ。
アンドリューが同じ部屋に寝ていて、上裸で……しかも娘ちゃんがいてって……ほんとに、どんな状況なのよ……っ!
「いやだやめて……っ!離して……!あなたのせいで私はどれだけ惨めな思いをさせられたことか……!あなたは、私を人生のどん底に追い込んで、死に至らしめたんでしょう!?」
私の頭の中は否応なく与えられる情報に激しく混乱していたが、とにかく彼の身体から離れたい一心で、大声を上げて全力で拒絶していた。
アンドリューはぱっと身体を離し、深く傷付いたような、途方に暮れたような顔をした。
「僕が、君を、死に至らしめた……」
沈黙が下りる。
「たしかに、そうかもしれない……」
「そうよ、全部あなたのせい。しかもよりによってなんで上裸なの……」
他にも言うことはあったと思うのだが、私はどうにも居たたまれない気持ちでそう言った。
「ご、ごめん、僕、寝る時はいつもこの格好で……」
アンドリューはしょげた子どものような顔をしている。
「まさかとは思うけど、私の夫は、そして、この女の子のお父さんは、あなたなの?アンドリュー……?」
「アンドリュー?さっきからいったい、何の話をしてるんだい。僕の名前はフィドルだよ。フィドル・クルール。君の夫でも、アリシアのお父さんでもない」
「夫でも、この子のお父さんでもない……?じゃあ、あなたはいったい何者なの……?私の名前は『セティ』と言うの?」
夫じゃないとしたら何なのだ。
同じ部屋で上半身裸で寝ていたくせに。
「そうか……やっぱり、僕たちの記憶はないんだね……。無理もない。本当に酷い目に遭ったようだから」
やっぱり……?
私は若干の違和感を覚えながら聞き返す。
「ええと……、私、本当に何も覚えていないんです。私は、どこの誰なのですか?この子は、本当に私がお腹を痛めて産んだ娘なの……?」
話の流れ的に、まさか現代日本から転生してきましたとは言い出せなくて、私は記憶喪失だと言うことにして、相手に話を合わせることにした。
「この子はアリシア。アリシアの目の前でこんな話をするのもなんだけど、君がお腹を痛めて産んだ子には違いないと思う。君の名前はセレスタ・クルール。僕は、フィドル・クルール。僕は君のお兄さんだよ。幼い頃にお母さんが死んでしまって、僕たちは父親に育てられたんだけどね、その父親も僕が十八歳の時に他界。以来十年間、僕が君を養ってきたんだ。幸い僕を宝飾職人として雇ってくれた親方さんがいい人で、面倒を見てくれているから、今日までなんとかやってこられたんだけどね……」
「えっと、そうするとあなたはいま二十八歳。私は……?」
「四歳下の、二十四歳のはずだよ」
二十四歳のはず……?
妹だと言うのにずいぶん
ともあれ、どうやらセレスタと私は同い年のようだ。私も死ぬ前、二十四歳の日本人女性だった。
二十四歳の誕生日に、アンドリューは薔薇の花束を送ってくれたのだ。
「それで、この子は何歳なのかしら?」
私は傍らでつまらなそうに私たちの会話を聞いている銀髪紫眼の超絶美少女を見ながら言った。
「五さい、だよ」
少女はにこにこしながら言う。
か、かわいい……。
「と、言うことは私(というかこの女)、十九歳の時にこの子を産んでるのっ?」
いろいろ衝撃だった。
十九と言ったら、私が高卒で働き始めた頃ではないか。
この中世ヨーロッパ風のアニメみたいな世界では普通のことなのかもしれないけど、二〇〇〇年代の現代日本で男性との触れ合いもほとんどなく育ってきた私には、少々刺激が強すぎる。
「この子の父親が誰なのか、申し訳ないけど僕も知らないんだ……」
彼は衝撃的な話を更に続けた。
「父親が死んでしまってからは僕も君を育てるために仕事ばかりしていて、あまり可愛がってあげられなかったせいなのか、君はある日突然、ふらりと家を出て行ってしまって……。何せ君はその通り、三歩歩けば男に声を掛けられるような魅力的な女の子だったからね。誰も君を止めることはできなかった。情けないことに、セティが十六の時にこの家を出てから、君がどこで何をしてたか、僕も把握できていなんだ……。だから、本当に驚いたんだ。ある日セティが――あっ、ごめんね、僕は君のことをセティと呼んでいたんだけど……セティがこんなに大きな女の子を連れて、僕の家の前に倒れていた時は……。君は意識不明だった。身体中に酷い怪我をしていて、なんとか命からがらこの家の前まで辿り着いた、と言った様子だったよ……」
身体中に怪我をしていて、命からがら……?
「う……っ、痛い……」
痛い。フィドルさんの話を聞いていたら忘れていた鋭い背中の痛みが甦ってきた。
焼けるような傷み。
背中を、激しく
身に覚えのない傷みと恐怖に支配され、身体が勝手にガタガタと震え始める。
私は、この女——セレスタ・クルールの記憶を一切持っていないけど、死ぬほど痛い目に遭った恐怖の記憶だけは、身体に刻み込まれているらしい。
「セティ……?」
「おかあしゃま……!?」
二人が心配してくれる。
「セティ、もう、大丈夫だよ。大丈夫だから。君は、安全な場所に居る、もう、怖いことは何もないよ……だから、安心して。君の怪我は綺麗に治してもらったから。もう何の心配もない」
アンドリューそっくりの顔を持つ男は、大きな身体で私を全力で抱き締め、優しく頭を撫でてくれた。
彼がアンドリューではないことが分かったら(それどころか兄だと言うことが分かったからか)、その抱擁が嫌なものではなくなっていた。
彼の上半身の、すべすべとした温かな素肌が私の頬に触れる。
気付いたら、涙が
私いま、アンドリューに抱き締めてもらっている。
私、この人にこうやって、抱き締めてもらいたかったんだ。
この人に、スマホの中だけじゃなくて、リアルの世界で実際に会って、お話して、ハグしてもらいたかったんだった……。
そのために、節約して節約して貯めてきた貯金も全部貢いで、カードローンにまで手を出したのだった。
そして、最後は身も心もボロボロにされたんだけど……私がこの人のことを、一時でも、白馬の王子様だと思っていたのは、紛れもない事実だ。
「ううっ……お兄さん……?フィドルお兄さん……?」
どうしてお兄さんなのよ……!
せっかく転生したのに。アンドリューがお兄さんだなんて。
こんなに素敵で優しそうな男性なのに、「お兄さん」だなんて……。
それに、お兄さんの知らない間に、たった十九歳で子どもまで作ってくるような女に転生するだなんて……。
そんなの、まるで『私の母親』じゃない……っ。
私の父親だってどこの誰だか私は知らない。
私は、戸籍謄本を取り寄せても父親の欄に名前のない非嫡出の子どもだ。
あの女は、大量のカップ麺だけを残して私のことを家に捨て置いて、男の尻ばかり追いかけ回してた。
大して顔も良くないクセに、厚化粧して、ヴィトンやピンヒールで着飾っていた女、あんな女みたいには絶対にならないって、心に決めてたのに……。
なんで寄りにもよって私が、そんな女に転生しなきゃならないんだ。
「おかあしゃま、アリーが、アリーがついてるからねっ!」
私ははっとして顔を上げた。
涙に濡れる母親を、心配そうに見上げている。
銀髪紫眼の美少女は、よく見ると本当にみすぼらしい服を着ていた。
もともとは貴族の令嬢が着るようなドレスだったのかもしれないが、着古されて色がくすんでいた。
身体もどちらかと言うと痩せ気味だ。
私と、同じだ……。
この子ももしかしたら、遊び歩く母親に、放置されていたのかもしれない。
ご飯もまともに食べさせてもらえていなかったのかもしれない。
母親と一緒にランチをしたり、誕生日にプレゼントを買ってもらったり、そういう体験をしたことのない子どもなのかもしれない。
私、今、決めた。
せっかく転生したんだもの。
この女がどんな物語を紡ぎ、どんな女だったのかは知らないけど、私、今世こそは幸せになってみせる、いえ、この、紫色のつぶらな瞳で自分を心配そうに見詰めてくれる可愛い娘ちゃんを、必ず幸せにする。
私の母親みたいに、娘を不幸にはしない。
この子に、美味しいご飯をお腹いっぱい食べさせて、可愛いものを好きなだけ与えて、幸せな人生を歩ませてあげる。
それが、私の新たな人生の目標だ……っ!
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