第6話 チーズケーキ

 ダマシヤへの丁重にして屈辱的な土下座を終えてキッチンに赴くと、姉貴が焼き上がったチーズケーキを慎重に切り分けていた。


「あ、ちょうど良かった。これ、持ってってくれる?」


 にこやかな笑顔を見せた姉貴の左右の手には、皿が一枚ずつ。それらの上には、なんとも旨そうなチーズケーキが鎮座していて、そのかたわらには銀色のフォークが仕えている。


「そうだ、飲み物もいるよね。コーヒーと紅茶、どっちがイイかな?」


「あ~、どっちだろ? ちょっと聞いてくる」


 そうして手ぶらのままキッチンから出ると、ダマシヤと遭遇した。なんだか恥ずかしい。つい先程、土下座を献上した相手と遭遇するのは、なんとも気恥ずかしい。とはいえ、彼には言っておかないといけないことがある。


「佐々木さんとは、二人きりになるなよ」


 ダマシヤに対して、『二人きり』という言い方が適切とは思えない。彼は猫なのだから。いや、宇宙猫なのだから。となると数え方は、『一匹』である。とはいえ、他に置き換える単語が思い浮かばないので、今はイイとしよう。


 とにかく、もしもダマシヤと佐々木が二人きりになってしまったら、彼女はまたしても彼にフミフミをさせるかもしれない。そうなったら、佐々木の胸が危ういことになる。ダマシヤにそんなつもりはなくても、万が一の事態が起きるかもしれないのだ。そんなことになってしまったら、俺がダマシヤを許せるかは分からない。たとえ佐々木の方から、そう仕向けたとしてもだ。


「なぁー」


 どうやらダマシヤは理解してくれた様子。なんとなく、そんな気がする。






 自室の前へと辿り着き、扉を開けつつ、俺は言う。


「佐々木さん、チーズケーキが焼け───」


「うっ、ううっ・・・」


 佐々木が泣いている。床で三角座りをして、顔をうずめて泣いている。想像だにしなかったそんな光景を目の当たりにして、俺は大いに慌てる。


「ど、どど、どうしたの!?」


「ううっ・・・、大槻おおつきくん。ダマシヤちゃんのこと・・・、叱ったの?」


「え? な、なんで・・・?」


 叱ったというか、怒鳴ったというか。まぁ、最終的には俺が土下座したんだけど・・・。


「なんか時々、声が聞こえてきてたから」


 ゲッ!? 聞こえてたのか!? これはマズいぞ!


「話の内容までは分からなかったんだけど・・・。でも、大きな声みたいだったから・・・」


 良かった! それなら、なんとかなる!


「あ、いや、違う違う。姉貴と少し喋ってて、それで盛り上がっちゃってさ」


「ホント? ホントに、そうなの?」


「そうそう。だから泣かないでよ」


「うん、それなら良かったんだけど・・・。それで、ダマシヤちゃんは?」


「あ。す、すぐに連れてくるから。それでさ、チーズケーキが焼けたんだけど、コーヒーと紅茶、どっちがイイかな?」


「え? どっちでも大丈夫だよ。用意しやすい方でイイから」


「いやいや、遠慮しないで。好きな方を選んでよ」


「ん~・・・。じゃあ、紅茶にしようかな」


「分かった。すぐ持ってくるから」


「あ、ワタシも手伝うよ」


「イイ、イイ。佐々木さんは、お客さんなんだから」


「でも、チーズケーキと紅茶まで・・・。持ってくるの、大変だよね?」


「そんなことないよ。大丈夫だよ」


「ううん、ダメ。ワタシも手伝うから」


 そんな気遣いを見せてくれた佐々木に対し、俺の心はときめく。あぁ、なんて気の利くコなんだろう───と。更にいえば、彼女はダマシヤのために、猫のために泣いていたのである。その優しさに、俺は感動さえしていた。


 そうして俺たちは、キッチンへと向かった。






 階段をり、キッチンの手前まで来たとき。


「ねぇ、ダマシヤ。さっき、修治しゅうじとなんの話をしてたの?」


 姉貴の声が聞こえてきた。どうやらダマシヤと会話をしているようだ、これはヤバい。佐々木にダマシヤの声を聞かれるのはヤバいし、さっきの話を聞かれるのもヤバい。佐々木の胸についての話をしていたことを聞かれるのは、相当にヤバいのだ。俺が彼女の胸に関心を持っていることを知られるし、俺の恋心までも知られてしまうだろうから。


「あ!! そ、そうだ!! 佐々木さんは、甘い物って、好き?」


「え?」


 唐突にして大きい声。そんな俺の声により、少し驚いた佐々木。しかしこれで、姉貴とダマシヤに危機を知らせることはできた筈である。


「う、うん。好きだけど・・・」


「そっかぁ~!! 良かった、良かった!!」


 もう既に姉貴とダマシヤに緊急事態のしらせは届いているだろうが、念のため、再び大きな声を出した。これで万全の筈だ。


「・・・・・?」


 突如始まった上、なんとも中身の薄い会話に、いまいち理解が追いついていない様子の佐々木。もしかしたら、またしても俺の評価は下がってしまったかもしれない。しかし背に腹は代えられない。ダマシヤが宇宙猫であることを知られるワケにはいかないのだ。


 程なくしてキッチンに辿り着くと、案の定、姉貴は気まずそうにしている。俺の注意喚起を受け、自分の軽率さを反省しているのだろう。とはいえ、俺も人のことは言えない。ダマシヤへの怒声を佐々木に聞かれてしまったのだから。ちなみにダマシヤは、至って平然としている。彼は相当に図太い神経の持ち主なので、慌てることなど、そうそうはない。


「姉貴、紅茶でお願い」


「え? あ・・・、う、うん・・・」


 そそくさと紅茶を淹れる準備に取り掛かった姉貴。その傍には、ダマシヤがいる。彼の姿を見つけて、佐々木が歓喜の声を上げる。


「ダマシヤちゃん!」


 両手を広げてダマシヤを迎えようとしている佐々木。自分から追いかけ回すようなことはせず、ジッと、その場に留まっている。しかしダマシヤも動かない。いや、足こそ動かなかったが、頭は動いた。俺の顔を見たのだ。まるで、許可を求めているかのように。


「ダマシヤ、佐々木さんが呼んでるぞ」


 俺の言葉を聞き、佐々木の元にトテトテと歩いていくダマシヤ。すると程なくして、彼は佐々木に抱きかかえられる。


「ダマシヤちゃ~ん、おかえり~」


 ダマシヤの顔に頬擦りをしている佐々木。なんとも羨ましい光景である。できることならダマシヤと入れ替わりたい。そんな叶わぬ願望を募らせていると姉貴から声が掛かる。


「はい。紅茶、入ったわよ」


「ありがとうございます。・・・あ、ここで食べたらダメですか?」


「え? ここで?」


 佐々木からの思わぬ要望に戸惑いつつ、俺の顔を見た姉貴。ダマシヤに続き、姉貴も俺の許可を得ようとしているようだ。いや、少し違うな。おそらくは、二人きりの邪魔をするのは悪いと考えているに違いない。だから、どういう風に断ればイイのかを尋ねてきているのだろう。なんなら、俺が佐々木を制止することを望んでいるのだろう。しかしながら、その望みを叶えるつもりは俺にはない。


「イイんじゃないかな。俺の部屋だと、テーブルが小さいし」


 そう、俺の部屋に置いてあるテーブルは小さい。来客のことなど想定していないからだ。あのテーブルは、あくまでも俺が独占することを想定して置いた物である。よって、二人で使用するには少々手狭てぜまなのだ。更にいえば、そんなテーブルの上には、既に先客がいる。薔薇がけてある洒落た花瓶だ。まぁ、それは退かせばイイだけなのだが。


 しかしながら、問題は他にもある。姉貴の気合いは凄まじいモノだったらしく、切り分けたチーズケーキは相当な大きさである。だから当然のこと、その皿も大きい。そんなモノが二つと、ティーカップも二セットとなると、テーブルの容量を超えてしまうかもしれない。となれば、ここでみんなで食べればイイだろう。ウチのキッチンは、いわゆるダイニングキッチンである。よって、それなりに広い。ここなら三人でも充分な快適さを確保できる。俺の部屋で二人で食べるよりも、明らかに快適な筈だ。


 ・・・なんていうのは、単なる言い訳だ。実のところ、密室で佐々木と二人きりになるのは、俺にはまだ早いのである。ドキドキしすぎて、死にそうになるのである。


「そ、そう? だったら、まぁ・・・」


 渋々といった感じで納得した姉貴。そんなに俺と佐々木を二人きりにしたいのだろうか。俺たちは、まだそんな関係ではないのに・・・。そのことは、ダマシヤから聞いていないのだろうか。


 俺と佐々木は今日初めて会話をした仲である。そう考えると彼女がウチに来ていること自体、奇跡のような展開である。よって、これ以上を望んだらバチが当たるかもしれない。


「姉貴も食べるんだろ? じゃあ、みんなで食べようよ」


「・・・うん」


 返事をした姉貴は残念そうな顔で食器棚へと向かい、そこから二枚の皿を手に取る。その様子を見ていた俺は、急いで姉貴の傍に寄る。そして、その耳元で囁く。


「ダマシヤの分は、今はダメだぞ」


「あ。そ、そうよね・・・」


 危うくダマシヤ用の皿まで出し掛けていた姉貴は自分用の皿だけを持ち、移動する。そうして三人でのティータイムが始まりつつある。そんな様子をダマシヤは恨めしそうに見ている。


 怒るなよ、仕方がないだろ。オマエの分はちゃんと取っとくから。


 

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