第5話 好き者

 俺の部屋の床で仰向けになっている佐々木と、そんな彼女の腹を両の前足で揉んでいるダマシヤ。その、あまりの光景に、両手で持っている盆を思わず落としそうになる。


「おい、コラッ!! なにしてんだよっっ!!」


「あっ! ゴ、ゴメンねっ!」


 我を忘れて大声を張り上げてしまった俺と、慌てて座り直した佐々木。しかし俺が怒鳴った相手はもちろん彼女ではない。


「ち、違う違う! ダマシヤの方だから!」


 なんだか申し訳なさそうに正座をしている佐々木に伝えたあと、急ぎつつも慎重を期し、勉強机へと向かう。そうしてその机の上に、持っていた盆を置く。小さなテーブルの上には薔薇がけてある花瓶が居座っているので、そこに置くのは無理だった。その後、ダマシヤに向き直り、再び怒鳴る。


「ダマシヤ! 変なことをするな!」


 猫に怒鳴るなんて、なんとも大人げない。そんな姿は意中の相手に見せるべきではないだろう。普通に考えれば、冷静に考えれば、そんなことは分かる。しかし、あんな光景を見せつけられてしまったら、冷静になどなってはいられない。よって、怒号を発してしまったワケである。如何いかに佐々木の前であろうとも、怒りを抑えられなかったのである。それに、俺はまだ中学生なので大人げなくても構わない。大人ではないのだから大人ぶる必要などないのだ、と心の中で言い訳をしておこう。


「なぁー」


 別段、悪怯わるびれる様子もなく、ただ鳴いたダマシヤ。すると彼の代わりに、という感じで佐々木が言い訳を用意する。


「ゴメン、ダマシヤちゃんは悪くないの! じゃれ合ってるうちに、あんな感じになっちゃっただけなの!」


 必死に謝罪をする佐々木。なんだか呆れているような表情のダマシヤ。そして、困惑する俺。


 別に俺は、佐々木が猫とじゃれ合ったからといって嫉妬をしたり、ましてや激怒することなどない。しかしそれは、『普通の猫ならば』という条件のもとに成立する話だ。


 ダマシヤは宇宙猫である。よって会話ができるし、相当な知能も持っている。そんなヤツが俺の意中の女子の腹を触るようなことを───、たとえ制服の上からであっても揉むような真似を───、そんな大それた蛮行を───、決して許せる筈がない。ダマシヤは全てを知りながら、やっているのだろうから。俺が佐々木に惚れていることも、女子の腹を触るのがどういうことかも。


 女子の腹は、誰でもが触れるモノではない。女子同士ならば、いざ知らず。とにかく男子にとっては神域に近いモノである。よって、おいそれと触れるモノではないのだ。それなのに、ダマシヤは触っていた。触ってしまっていたのだ。言うまでもなく、ダマシヤはオスである。つまりは男である。それなのに女子の───いや、佐々木の腹に触るなど、俺が許せる筈がない。たとえ制服という、魅惑のベールの上からであっても。


 とはいえ、俺のそんな想いは佐々木が知るところではないし、彼女に伝えるワケにもいかない。いや、伝えられない。更には、このままダマシヤを怒鳴り続けることもできない。もしも怒鳴り続ければ、佐々木を追い詰めることになってしまうからだ。彼女は現在、とても申し訳なさそうな顔をしている。だから俺は、どうしようかと困惑するしかないのだ。するとダマシヤが部屋から出ていこうとする。


「なぁー」


 俺の顔を一瞥してから、部屋を出たダマシヤ。その様子から、俺は察する。どうやら話があるらしい。


「あ、ダマシヤちゃん・・・」


「佐々木さん、ちょっとだけ待ってて」


 物憂ものうげに声を漏らした佐々木に告げ、俺はダマシヤのあとを追う。今回は扉を閉めておかないといけない。俺とダマシヤの会話を聞かれてはマズいことになるのだから。


 いや、俺の声が聞こえるのは、まだイイ。聞かれたところで、『猫に対して、一方的に怒鳴る変人』だと思われるだけだ。いやいや、それはそれで問題だ。意中の女子から変人だなんて思われたくはない。とはいえ、それはもう、少しだけではあるが披露してしまっている。もはや手遅れだろう。とにかく、ダマシヤの声だけは絶対に聞かれてはいけない。それは本当にヤバいことになる。


 よって俺は自室の扉をシッカリと閉め、ダマシヤのあとを追った。






 さて、リビングにて話し合いの始まりだ───とは、いかない。


「テメェ、コラ。マジでぶち殺すぞ」


 既に電気ポットを右手で握っている俺は、とっくに臨戦態勢である。宇宙猫の体がどれくらい丈夫なのかは知らないが、とりあえず俺はボコボコにするつもりでいる。まさか意中の女子を猫に寝取られるとは思ってもみなかった。『寝取られ』は聞いたことがあるが、『ねこられ』を見ることになるとは思ってもみなかった。


「おいおい、落ち着けよなぁー」


「うるせぇ! 佐々木さんにあんなことをしといて、絶対に許さねぇからな!」


「オイラは猫だぞ? 宇宙猫だぞ? 地球人のメスなんかに欲情するワケがねぇんだなぁー。オマエも知ってんだろ」


「だったら、なんであんな真似を───」


「あの女が誘ってきたんだなぁー」


 ・・・はぁっ!? そんなワケねぇだろうが!! 佐々木はそんな、ふしだらな女子じゃ───。


「自分から横になってよぉ、無理矢理オイラの前足を両方とも掴みやがったんだなぁー。そんで自分の腹をフミフミさせたんだなぁー」


 ・・・フミフミ?


 フミフミとは、子猫が母猫のお乳を飲むときに見せる行動である。そうやって母猫のおっぱいを刺激することにより、お乳の出をよくするらしい。また、その名残として、大人になった猫もタオルや毛布などをフミフミすることが知られている。


「だから仕方なくフミフミしてたんだなぁー。そうしないと、あの女、オイラの前足を離しそうになかったからなぁー」


 なるほど、フミフミか・・・。たしかに猫好きならば、猫好きの佐々木ならば、自分にフミフミをして欲しいと思うんだろうな・・・。


 ダマシヤの言い分に納得しかけ、電気ポットを固く握る右手から力が抜けていく。そのため、徐々に下がる右腕。そうして臨戦態勢は解かれつつあった。しかしそこで、不意に気付く。


 ん? フミフミ・・・だと? いや、おい・・・。待て待て、ちょっと待て・・・。フミフミってのは、本来・・・。


 そう。フミフミとは本来、母猫のおっぱいを刺激する行動である。


「ダマシヤ、テメェ・・・。佐々木さんの胸、揉んだのか?」


 再び電気ポットを固く握り締め、右腕を上げて臨戦態勢を取った俺。ダマシヤの返答次第では、即座に頭をかち割る覚悟だ。


「揉むワケねぇだろ。さっきも言ったけど、オイラは地球人のメスなんかに欲情しねぇんだよ。それにオマエの好きなヤツに、そこまでのことをするつもりなんて、ねぇんだなぁー」


「・・・そ、そうか」


 ダマシヤの言葉を聞き、俺の右腕は完全に下がった。ダマシヤがさかっていなかったことを漸く理解し、下がったのだ。


「それにどうせ揉むなら、文香ふみかの胸にするんだなぁー。その方がデカいからなぁー。ポヨポヨして、面白そうなんだなぁー」


 おい、やめろ! 姉貴と比べるな! それだと相手が悪すぎるだろうが! 佐々木の胸は今から成長するんだよ! ・・・多分。


 佐々木の名誉のために言っておくが、彼女は、ごく標準的な中学二年生の体型である。別に貧乳ではない。


「だけど気を付けないといけねぇなぁー。あの女、そのうち胸をフミフミさせるかもしれねぇからなぁー」


「なっ!? おい、なにを根拠に───」


「さっきだって、オイラが腹をフミフミしてたら自分から体をずらして、胸をフミフミさせようとしてたからなぁー」


 な、なな・・・、なんだってぇ!?


「まぁ、オイラがなんとか前足をずらして、腹だけをフミフミしてたから良かったもんの・・・。あの女、中々の好き者なんだなぁー」


「す、すす、好き者って! さ、さ、佐々木さんは、そんなんじゃ───」


「あれは相当な猫好きだなぁー。母猫になりきってたからなぁー」


 あ、そういうことか・・・。


 俺が納得した瞬間、キッチンから、けたたましい音が聞こえてくる。


 チーン!!


 どうやらチーズケーキが焼けたようだ。さて、姉貴の手伝いでもするか。そう思い立ち、キッチンへと行こうとすると、ダマシヤが呼び止める。


「おい。さっき怒鳴ったこと、謝れよなぁー」


「・・・・・・・」


 足を止めた俺は言葉を発することも、振り返ることもしなかった。すると再び・・・。


「おい、謝れよなぁー。オイラ、なんも悪くねぇんだなぁー。オマエの勘違いなんだなぁー。それどころか、こうして文香ふみかに知らせて、おもてなしを用意させて、あの女の胸からも回避して・・・。感謝されてもイイくらいなんだなぁー」


 たしかに、そのとおりである。俺の部屋がキレイに整えられていたのも、いま甘い香りを漂わしているチーズケーキが焼き上がったのも、ダマシヤのお陰である。いや、そもそも佐々木がウチに来たことからして、ダマシヤのお陰なのである。


「すいませんでしたぁっ!! そして、ありがとうございますぅぅぅっ!!」


 俺は振り返り、即座に土下座を披露していた。



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