第3話 誰しもが、なにかしら困惑する
放課後、俺は昇降口の下駄箱の前にいた。下校するには靴を履き替える必要があるので、下駄箱の前にいたところで、それは普通のことだ。しかし普通ではないこともある。靴を履き替えた俺はドキドキと、そしてドギマギとしながら一人で立っているのだ。その状況が普通ではないのだ。靴を履き替えたなら、もう下駄箱には用はない。よって、とっとと下校すればイイ筈である。しかし、そういうワケにはいかない。俺はまだ下駄箱以外のモノに用があるのだ。
幾分かのときを経ても
「お待たせ」
俺の目の前に、一人の女子が現れた。それは、佐々木
ダマシヤがウチの飼い猫であることを知った佐々木は、その直後に訊いてきた。「今日、キミのおウチに行ってもイイかな?」と。俺は二つ返事で答え、自己紹介をした。ついでにダマシヤの名前も告げた。そして佐々木からも自己紹介があった。
俺は佐々木のことを既に知っていたが、佐々木は俺のことなど知りはしないだろう。だから自己紹介の応酬となったワケだが、それにしても初対面の生徒───もっと言えば、初対面の異性の家に押し掛けようとするとは、佐々木はなんという社交性の持ち主なのだろうか。普段から、こういうことをしているのだろうか。よく知りもしない男子の家に、臆面もなく訪問しているのだろうか。
いやいや、それはない。佐々木はそんな女子ではない。まぁ、よくは知らないが・・・。もしかすると、イケメンの家になら、臆面もなく訪問しているのかもしれない。しかしながら、俺はイケメンではない。となると、佐々木は外見を重視するワケではないということか。ルッキズムの権化ではないということか。俺なんかとは違って・・・。
去年、俺は佐々木に一目惚れをした。それはつまり、彼女の外見を好きになったということである。そんな俺は、ルッキズムの権化といえるだろう。しかしながら、『まずは外見から』というのは至って普通のことだと思う。最初に視覚情報を頼りにするのは、人間にとっては普通のことだと思う。
だけどまぁ、存外に佐々木もルッキズムの権化なのかもしれない。彼女も一目惚れをするのだろう。いや、したのだろう。ダマシヤに一目惚れをしたのだろう。だから、よく知りもしない俺の家に押し掛けようと思ったに違いない。
とにかく、こういう経緯の末、今に至るワケである。
ダマシヤさん、ありがとうございます!!
「じゃ、じゃあ、行こうか」
俺が佐々木のことを好きになったのは、およそ一年と一ヶ月前のこと。入学式で彼女の顔を目にした俺は、心を鷲掴みにされてしまった。そう、一目惚れである。
肩に掛かるくらいの落ち着いた茶色の髪。パッチリとした目。
あれから、およそ一年が経った。そのため佐々木の髪は、ミディアムからセミロングへと変貌した。しかし、彼女の可愛らしさに変わりはない。俺にとって、佐々木の代わりになるような女子はいないのだ。
二人きりの時間を少しでも長く過ごすため、比較的ゆっくりと歩き、帰宅した。その道中での会話はうろ覚えだが、別に変なことは口にしていない筈だ。『ダマシヤは宇宙猫だ』とか、『キミのことが好きだ』とか。
玄関の鍵を開けると、またしてもドタドタとした足音が聞こえてくる。そしてまた、独りでに扉が開く。
「い、いらっしゃっせぇ~っ!!」
居酒屋かよ、バイト一日目の居酒屋店員かよ。
なんとも威勢のイイ挨拶と共に俺と佐々木の前に現れたのは、姉貴である。その表情はなんだか
とはいえ、姉貴は予知能力者などではない。ウチには宇宙猫という得体の知れない存在はいるが、エスパーの類いはいない。姉貴は、ごく普通の二十二歳の女性である。いや、そうでもないか。姉貴は普通ではない部分をいくつか持っている。しかしながら、それらは超能力の類いではない。性格や体型が少し普通ではないだけだ。
まぁともかく、おそらくは───いや、間違いなくダマシヤが姉貴に報告をしたのだろう。彼は廊下での俺と佐々木の会話を、窓の外で聞いていた。だから今日、佐々木がウチに来ることを姉貴に知らせたに違いない。
家の中から、なんだか甘い香りが漂ってきている。多分おもてなしをするために、姉貴がクッキーでも焼いているのだろう。
「い、今! チーズケーキを焼いてるから、ゆっくりしていってね!」
おいおい、チーズケーキかよ。気合いを入れすぎだろ・・・。
「あ、えと、ありがとうございます。初めまして、ワタシ、佐々木
「ごご、ご丁寧にどうも!
なんで言い直した?
空回り気味のやる気をダダ漏れにしている姉貴に、呆れる俺。そんな俺を尻目に、ペコペコと頭を下げる佐々木。その横顔はなんだか戸惑い気味である。それはまぁ、そうだろう。威勢のイイ出迎えの挨拶といい、自家製のチーズケーキでのおもてなしといい、なんだか佐々木のことを待ち伏せしていたような格好になってしまっている。だから彼女は戸惑っているのだろう。これ以上、姉貴の空回りを佐々木に見せるのは、恥ずかしい。よって、佐々木を速やかに俺の部屋へと・・・。
ダメじゃん! それ、ダメじゃん! 全然ダメじゃん! 俺って、ダメダメじゃん!
俺は靴を脱ぎながら、激しく後悔をしつつ、自分を強く責めた。
俺は日々、自堕落な生活を送っている。そして今日、佐々木が俺の家に来るなんてことは完全に想定外の出来事である。よって俺の部屋は片付いているワケがないのだ。ベッドの布団はグチャグチャだし、床には物が散乱しているし、部屋の中の匂いもチェックしていない。そんなところに佐々木を案内できるワケがない。となると、まずはリビングに通すしかないだろう。そこでウェルカムドリンクを提供し、その隙に自室を片付けるしかないだろう。
「さぁさぁ! 上がって、上がって!」
そうやって姉貴に促され、佐々木も靴を脱ぐ。そこで俺は、慌てて佐々木に言う。
「と、とりあえず、リビングでジュース───」
言い終える直前、俺の耳元で姉貴が囁く。
「部屋なら片付けておいたから」
勝手に入るなよ! 思春期男子の部屋に、勝手に入るなよ!
とは思ったが、今に限ってはグッジョブである。
ありがとう、姉貴!
「あ、やっぱり俺の部屋に───」
「ダマシヤちゃん、どこにいるの?」
靴を脱ぎ終えた佐々木は目をキラキラと輝かせ、満面の笑みで俺を見た。あぁ、可愛い。
「ダマシヤなら一度帰ってきて、また出掛けちゃったの。でも安心してね、『
「・・・言ってた?」
姉貴の失言により、佐々木はポカンと口を開けた。ダマシヤは見た目こそ普通の猫であるが、実際には宇宙猫である。よって会話ができる。それらのことは最早ウチでは常識となっているが、佐々木が知る
「あ、えと、その・・・」
姉貴がパニックを起こしている。両目はキョロキョロと泳ぎ、口はアワアワと震えていて、額には冷や汗を掻き、両手はマゴマゴと動いている。絵に描いたような、見事なまでのパニック状態である。
ダマシヤが宇宙猫であるというのはウチの家族しか知らない事実であり、他人に知られてイイようなことではない。だから姉貴はパニックになっているのだ。更にいえば、姉貴はウソをつくのが下手であり、苦手である。つまり、極めて正直者なのである。そのため、つい先程の失言も生み出されてしまったのだろう。
「ゴメン、ゴメン。姉貴はダマシヤの気持ちが分かるんだよ。なんとなく、だけど」
「そうなの!? スゴいです、お姉さん!」
俺の言葉により、姉貴に羨望の眼差しを向けた佐々木。猫と会話がしたい彼女にとって、猫の気持ちを推し量ることができる姉貴は憧れの存在といえるのだろう。
「あ、いえ・・・。わ、分かるのは、ダマシヤの気持ちだけ、なんだけどね・・・」
俺からの助け船により、なんとかパニック状態を脱した姉貴は、しかしながら困惑気味ではある。なぜなら姉貴は、猫の気持ちを推し量るという特技など持ち合わせてはいないからだ。そんなことなど、できるワケがないからだ。よって、予防線を張ることにしたらしい。猫全般の気持ちは推し量れない、と。
その予防線は、決してウソではない。姉貴はダマシヤの気持ちなら知り得るのだ。なぜならダマシヤは会話ができる上に、かなりズケズケとした物言いをするからだ。よって、俺もダマシヤの気持ちを知ることができる。知りたくもない気持ちまでも。
「あ! チーズケーキの焼け具合を確認しなきゃ!」
逃げるようにキッチンへと向かっていった姉貴。そして俺はやはりドキドキとしながら、二階にある自室へと佐々木を連れていく。
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