27 奪われた命
「祐子と連絡が取れないんです」
愛が白河にそう告げたのは、十一月に入ってのことだった。
奥の座席で相変わらずお行儀悪く机に脚を乗せた白河は、少しは興味を示したのか。片眉を微かに持ち上げた。
「祐子というのはキミが以前連れてきたストーカー被害に悩む友人のことかい?」
どうやら覚えてはいてくれたらしい。愛は頷く。
「そうです。心配で毎日連絡取ってたんですけど、おとといの土曜日から返信がなくって……」
「一昨日ね」
白河がふむと顎に手をやる。
「キミの友人ならそれはおかしいかもしれないな。キミの友人はおそらくスマートフォン依存症気味といっていいくらいには連絡がまめな方なようだし、ストーカーに恐れているというのなら尚更こまめに連絡を取るだろう。単に病気で連絡が取れないだけかもしれないが、一番近しいキミに連絡していないというのは違和感が残る」
そう言うと白河は立ち上がるとコートを羽織って、ステッキを持った。
まさかと思っていたので愛がぽかんとしていると、白河が訝しげな表情で言う。
「何をボサッとしているんだ、キミは。友人の安否を確かめなくてどうする。それともキミは心配してないのか?」
「い、いえ! そんな訳ないです! 私も行きます」
慌てて愛もコートを羽織り、鞄を持った。白河が他の職員へと呼びかける。
「これからちょっと外に出る。カオルと七緒は引き続き浮気調査を、山崎さんは来客と電話対応を、新人二号は前回捕まえた、増川洋子さんの家のブチくん雑種雄猫七才がまた脱走したらしいので捜索の手伝いをしてきて欲しい。なに、捜索とは建前で増川さんのところのブチくんは賢いのですぐ戻るはずだ。つまりキミにはブチくんの飼い主である増川さんの話し相手になってほしい。以上」
そう言うと、コートを翻し白河は愛と共に白河探偵事務所を後にした。
外は今日も曇天で重苦しい空気を漂わせていた。十一月に入って空気がより一層冷たく、硬質なものになったような気がした。愛は隣を歩く白河をちらりと見上げた。
横顔も少しの隙も無く整っており、すっと通った鼻筋は高く、睫毛は繊細だが長い。琥珀色の瞳は、この鈍色の世界でも綺麗に澄んでおり、艶やかな黒髪は少しだけ癖があるが柔らかそうだ。伸びた襟足は白い首筋にかかっており、男とは思えない艶めかしい雰囲気を醸し出している。中性的なのだ。声と背で辛うじて男だということは分かるが、それでも一緒にいると心臓が早鐘を打ち、いつだって見惚れてしまいそうになる。
「キミ」
急に声をかけられ、愛はどきりとする。
「は、はい。何でしょう」
「ストーカーで悩んでいると言っていた友人は、あれからどうしていたんだ? 警察に再度相談しに行かなかったのか?」
ああそのことか、と愛は少しだけほっとする。
「行ったんですけれど、やっぱり実害がないと警察も動きようがないみたいで……」
「つまり脅迫や犯罪を匂わせる発言はなかった、ということだね」
「はい。一方的に好きだとか会いたいとか言われるだけだったんです。最近は祐子の方も変にその、慣れてきてしまったというか……不安だったと思うんですけど、あんまり気にしないようにしていたみたいで」
でも、と愛は続けた。
「心配だから連絡だけは欠かさないでって約束したんです。まめな性格の子だし約束破るような子じゃないから、だから今回連絡が途切れたのが心配で」
「ならどうしてキミは一人で訪ねていかなかったんだい?」
ぴたりと足を止めた白河を見上げれば、冷ややかな視線が降ってくる。愛はその問いに、心臓が震えた。確かにそれはそうだ。愛は一呼吸置いたあと、答えた。
「……正直言って、一人で行って事実を確認するのが怖くて。それに、一日くらいだったら連絡なくても……気にしすぎかなって思っていたんです。でも、やっぱり今日も連絡がないから誰かについてきてほしくて」
愛は白河の視線に耐えながら言葉を継ぐ。
「すみません。お忙しいのに迷惑をかけてしまって」
「いや」
意外なことに白河はすぐに否定した。
「迷惑ではない。ただ、どういう意図があるのか気になっただけだ」
「意図……ですか?」
「ああ、別にキミが気にすることじゃない。さあ、さっさと案内してくれたまえ。今日の午後の降水確率は三十パーセントと言うが、ここ最近の天気予報はサッパリ当たらない。占い師にでも頼ったほうがいいんじゃないかと思うほどだ」
皮肉っぽい口調で言う白河に急かされる形で、愛は探偵事務所の最寄り駅から中央線で一本のところにある、祐子の自宅アパートへと向かった。
電車内ではいやというほど視線を浴びていたが、その張本人である白河は視線なんて全く気にせずぼんやり窓の外に流れる景色を見ていた。その景色を眺める姿すら様になるのだから美人とは恐ろしいものだ。
電車を降りて二十分ほどの距離に祐子の自宅はある。時刻は午後三時。元気なら会社に行っている時間だが、もしそうだとしたら愛のスマートフォンに連絡はあっただろう。閑静な住宅街を歩き、見えてきたアパートを指差して「あれです」と言う。
アパートの外壁は綺麗なブルーとホワイトで塗装されており、広くはないが1LDKに仕切られたこのアパートは築年数も浅く住むには快適だと祐子は言っていた。白河は興味なさそうに「そうかい」と言うと、ステッキをつきながらアパートの前に立った。
「あ、祐子の部屋は一階の奥、一○四号室です」
先導する形で愛が言って、白河を案内する。それから二人ドアの前に立つ。昼間だというのに薄暗く、あたりは静かだった。白河が口を開く。
「ほら、さっさと安否確認したまえよ」
「あっ、はい。すみません」
愛は促される形で祐子の家のインターホンを押す。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、と。三度押してみるが、返ってくるのは静寂ばかりだった。愛は扉を叩く。どんどん、どんどん、と。その度に虚しい音が鳴った。祐子、と試しに外から呼びかけてみるが応答は矢張りなかった。
「不在か……それとも」
そう言った白河が愛を押しのけてドアノブに手をかけた。ドアノブをひねれば、それはガチャリと音を立て扉が開かれた。白河の表情が険しいものへと変わる。
「新人。救急車か警察を呼ぶ準備をしておけ」
そう言うと土足で白河は室内へ足を踏み入れた。慌てて愛もスマートフォンを持ったまま、白河に着いていく。短い廊下を抜け、リビングのドアを開く。
瞬間、濃い血臭が冷たい空気と一緒に流れ出してきた。
薄暗いリビングに仰向けに倒れていたのは――祐子だった。
その身体は一糸纏わぬ姿となり、黒髪を床に広げていた。
手足は結束バンドで拘束され、腹は無残にも切裂かれていた。いや、切裂かれ、べろりとめくられた赤い肉付の皮は釘打ちされており、蝶の形になっている。赤い蝶だった。
その赤さと剥き出しになった内蔵は血に汚れて、白い祐子の肌を汚していた。
奇妙なほどに祐子の顔は穏やかで、眠っているように瞼は閉じられていた。
祐子、と愛は名前を呼ぶ。
勿論、返ってくるのは沈黙だけだった。
白河は目の前の惨状を前に、少しも動じなかった。
「そうか」
それだけ言うと、遺体の傍に座り検分を始めた。
「死斑が濃い。死後十二時間以上は経っているだろう。加えて死後硬直をしているが、この部屋は真冬のように冷たいから、検視マニュアル上では、死後4日から5日が目安となっている。……だが」
そう言ってポケットから手袋を出してはめると、白河は閉じていた祐子の瞼を開いた。そしてあの琥珀色の瞳でじっと見詰める。
「角膜混濁は……中程度、といったところか。ということは死後四日も五日も経っていないな。死後二十四時間以内なのは間違いないな。まあぼくはその道のプロじゃないから間違っている可能性もあるが……さて死因は、と」
言いながら白河は背中側を少しだけ持ち上げて観察する。
「刺した痕がやっぱりあるな。背中を3カ所。倒れた所を結束バンドで結束して、身動きが取れなくなったところを腹を切裂いた……手口は同じ。例の連続殺人犯の仕業だな」
そう言って白河は手袋を外して立ち上がると、ふむ、と顎に手をやった。まるで祐子のことを物のように扱うその冷徹さに、愛はぞくりとする。同時に怒りも沸いた。
「白河さんは、どうして、何で……っ、私の友だちなんですよ!」
拳を握りしめて叫ぶ。けれど白河の表情はうつくしいまま変わらなかった。
「そうかい。だがもうお友達は死んだ。キミが警察を呼ばないならぼくが呼ぶ」
そう言うと白河はスマートフォンを取り出して、淡々と電話をかけはじめた。愛はその背を見て、ぎりと奥歯を噛み締めた。震えが止まらない。どうしてこれを見て、そんな反応ができるのか。信じられない気持ちでいっぱいだった。裏切られたような気分だった。
「さて、新人。ぼくらは第一発見者だ。これから警察から事情聴取されるだろうが」
楽しむがいい、と白河は唇に弧を描いて言った。
その
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