25 電光石火
「何でこんな単純なことに気付かなかったんだろうか!」
白河は人が変わったかのように叫び散らす。
「自分のことだからこそ憎たらしくてならない! だが、やっぱりぼくが考えていたことは当たっていたし、ぼくたちがやってきたことも正しかった!」
「なっなんだ急に! 何に気付いたんだよ希!」
戸惑う岩垣を尻目に、白河はわなわなと唇を震えさせ顔を覆った。
岩垣はその瞬間、あ、と思った。
これは癇癪が起きる前触れだ。
案の定、白河は突然ウイスキーの入ったグラスを叩き落とした。
がしゃんと砕け散ったガラスの破片とウイスキーの滴が弾ける。
パシャーン、ガシャーン、白河は次々とカップやらウイスキーの瓶やらを割ったかと思えば、ワインセラーからワインを取り出しラッパ飲みし始める。
ぷは、と一息吐いた白河はげらげら笑ったあと──泣いた。
三十も超えた大人が涙を流す姿なんてめったに見れたものではないし、見たいものでもないが、見た目だけは抜群に良い白河が涙する姿は、何かの芸術作品の一部にさえ見えてしまうのが厄介だ。遂には座り込んで「ぼくはバカだ、大馬鹿者だ、いっそ殺せ……!」と言い出す白河に、岩垣は大きな溜め息をついて、しゃがみこんだ。
「おい、泣くのは良いがいい加減、説明しろ。どういうことだ?」
するとぐずぐずと泣いていた白河がきっと眦をつり上げて叫ぶように答えた。
「どうしたもこうしたもあるかッ! ぼくは……まあいい。もういい。忘れよう。そして説明してあげようじゃないか」
そう言うとぐいっとワインを呑み、白河は言った。
「犯人のターゲットは小林悠じゃなかったんだ。姉の、茜の方だったんだ。黒髪。そう、そのためにぼくたちは黒髪にしていたんだが……。まぁ、それはいい」
「ちょっと待て。黒髪にしてたってどういう意味だ?」
「待たない。それよりも重要なのは、どうして本来のターゲットである小林茜ではなく、小林悠を殺したのか、ということだ。秩序型の犯人。被害者像は黒髪の美しい若い男女。けれど金髪の小林悠を同じ手口で殺した……それは何故だ……?」
「単に姉の代わりに殺したっつーか、突発的に殺しちまったんじゃねぇのか?」
「いや……ちょっと待て。確かにそれもあり得る。だが、突発的に殺してしまっては、計画的犯行にならない。計画は遂行すべきだ。そしてぼくが考えるべきことは、犯人がどうして、どんな気持ちで同じ手口で殺したかということだ。けれど――ああ、そうか」
白河の琥珀色の瞳が、満月のように輝く。怖いくらい美しい色彩を帯びていた。そして、完璧な造形をした白河の唇が、呆然と言葉を継いだ。
「進化を試みたのか。実験だ。だから小林悠の殺害については、犯人は性的快感も何も得ていない。計画は遂行しなければならない。けれど小林悠は黒髪ではない。ならば、小林悠を。次の被害者の為の実験体にしようと考えた。ただの予行練習にしたんだ」
最低だ、と吐き捨てるようにして白河は言った。そこには黒い侮蔑と嫌悪があった。
「最低なのは最初から分かってただろ。人を殺して更には腹まで裂いて」
「ああ確かに最低最悪の人間だ。人間のくずだ。ぼくだって人間のくずだという自負はあるが人を実験体のように扱って殺すというのは、何の感情も伴わないということだ。紙切れを裂くのと一緒のことさ。これがいかに残酷で醜悪でたちが悪いかキミには理解できるかい? これからの殺人の予行練習のために小林悠は同じ手口で死に、小林茜はたった一人の家族を失ったんだ。ぼくの大切な依頼人が!」
これだ。
白河希は基本的には冷血人間だが、依頼人にだけはそのベースが崩れる。岩垣が考えるに、これも白河のやり方なのだと思う。白河は被害者にも加害者にもなって、事件を見渡す。そういうやり方を無意識的にしているのだ。だからこそ、この事件の依頼人たちのことだけは、感情的にもなるのだ。
白河はふらりと立ち上がると、一枚一枚、散らばっていた写真や資料を回収しながら、口火を切った。
「第一の被害者、杉本花菜。身長156センチ。九月九月に殺害される。小柄で若い少女。一番殺しやすい相手だ。小手調べには丁度良い。第二の被害者、小林悠。身長170センチ。だが姉の小林茜は身長162センチ。本来だったら小林茜をステップアップと快楽のために殺すつもりだったが、何らかの手違いが生じた。だがそれによって殺人鬼は、小林悠ほどの身長でも殺せると【学習】した。第三の被害者である清水ゆかりの身長は168センチ。女性にしては身長が高い。それでも第二の被害者である小林悠より少し小さいくらいだ。此処ではきちんと黒髪の人間を殺している。これは犯人の欲望を満たす殺人だ。そして更に犯行は加速し第四の被害者、加原亮一郎へと行き着く。身長180センチ。より大きな身長をターゲットにするという【進化】をしている。もうこの犯人に男女の区別も体格差も問題じゃない。黒髪のうつくしい人間。それだけだ」
さてと、と白河はようやく落ち着きを取り戻して岩垣へと向き合った。
「善男。キミはどうやってこの犯人が自宅に侵入したのか分かるかい? 第四の被害者である加原亮一郎はホテルだから性的な誘いをして連れ出したのは明らかだから、手口としては複雑ではない。だが他の三人の被害者は? なぜ自宅に入れたと思う?」
鋭く問いを向けられ岩垣は眉根を寄せる。顔見知り、という線はとうに消えている。三人の被害者の接点は何もない。白河を見遣れば、白河はにやついていた。あれは、人のことを虚仮にしている時の顔だ。岩垣は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべ首を振る。
「分からねぇ。だがてめぇはもうとっくに分かっているんだろ」
「そうだね」
そう前置きすると白河は集めた資料を机に置き、自らも机の上に座った。置いてあったウイスキーの瓶をそのまま直に呑む。それでも酔っ払わず顔にも出ない。
「犯人は訪問販売や営業、配達、警察、もしくはそれを装って自宅に侵入している。例えば宅配業者、荷物が大きいと嘘を吐けばいれてもらえるし、制服だって盗めば事足りる。警察も刑事だったら偽造した身分証さえ見せれば安心させられるしね。若しくは外回りの営業。バッジやネームプレート、制服があるとより犯行時に円滑に事を進められるのは確かだ。人はそういう『象徴』があると安心しがちだからね。犯人を家に招き込んでしまう確率が一気に上がる。……この事件が始まった時から想像していたことだが、やっぱり当たってしまったか。良かったというべきか、良くないと言うべきか。いつもぼくはこういうとき、どうしていいか分からなくなる。この眼を使うには、犯人の心の断片を知らなければ役に立たない。だから確証が必要なのに……ぼくはどこでラインを踏み越えていいのか。感情のままに動けるのならば、推測だけで好きに動くことができるというのに」
その発言には明らかに何か、隠し事が含まれていた。
岩垣はじっと白河を見詰めた。
「希。てめぇ何を知ってやがる……?」
白河希という人間は、誰よりも物事の真実を捉えるのが早い。だから、最初から既に白河の手の上に自分たちはいるのだと思う。いつだってそうだった。ただ白河が「想像」から「確信」に至るまで口を閉ざすのは岩垣にとって不満だった。
だが今回も白河の方針は変わらないらしい。白河は緩く首を横に振った。
「それはまだ教えられない。だがちゃんといつかは教えるさ。ぼくは依頼人の依頼内容だけは絶対に守る。信じてくれたまえ」
琥珀色の瞳が真っ直ぐに岩垣を捉える。視線が合うと動けなくなる。白河の瞳が満月のように輝いたかのように見えたが、すぐにその視線は外された。呼吸を取り戻し、岩垣は肩で息をする。昔から知ってはいるが、慣れるものではない。
「悪いね」
謝る白河に岩垣はぶっきらぼうに答えた。
「今更謝ることじゃねぇよ」
知っている。何に対して白河が謝っているのか知っている。
そして自分も白河と同じく、罪人だ。
「だがこれではっきりと分かったことがある」
白河の瞳が厳しく細められ、窓辺から差し込んだ光が黒髪を艶やかに照らした。
「次のターゲットも黒髪の、容姿の美しい人間だ」
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