24 感電 

 暗い報せを持っていくのは、いつだって気が滅入るものがある。夜の十一時も過ぎて外はすっかり夜気に包まれ、冷たい雨がしとしとと降っていた。岩垣は明りのついた白河探偵事務所を見上げると、黒い傘を閉じて雨で濡れた肩を軽く手で振り払ってから、探偵事務所の扉を開いた。

 開いてリノリウムの床を歩くとコツコツと音を鳴った。薄暗い廊下を歩いて二階へと繋がる階段を上る。足音だけでここの主は分かるのだろう。扉を開く前に、扉の向こうから「善男かい?」という声が聞こえてきた。


「ああ、そうだよ……って、これまたすごいことになってんな……」


 岩垣は扉を開けて溜め息を吐き出した。案の定、事務所内は書類が散らばっている。性格に言うと、床の上に無造作に並べられていた。無造作、というのは岩垣の視点であって、以前から言っていたようにこの書類の並べ方には白河なりの秩序があるのだろう。

 その白河はというと、柳眉を寄せて難しい表情を浮かべながら、氷の入ったウイスキーのグラスを傾けていた。いつかそのご自慢の脳がアルコールでふやけちまうぞ、と心の中で小言を言いつつ、岩垣はコートを脱いだ。どかっと応接間のソファーに腰掛け、ネクタイを緩める。すると、虚空を眺めていた白河の視線がちらりと岩垣へと向いた。


「どうやらその顔だとまた人が死んだようだね。同じ手口か」

「ああ、そうだ。今度の被害者は榊原麻衣子。年齢二十七歳」


 言いながらもう立ち上がるのも億劫だったが、岩垣は立ち上がって少しだけ大きな身体を伸ばすと捜査資料の写しが入ったファイルを白河の方へ投げるように置いた。それはきちんと白河のデスクに置かれたのだが、横着したその態度が気に食わなかったのだろう。白河が片眉をつり上げる。


「善男。キミにはちゃんと足が二本ついているだろう。きちんとその足を使いたまえ。大体刑事ってものは足が仕事道具のようなものだろう? その立派な足を使わないというのなら、それはただ生えているだけの肉塊のようなものだ」

「その足を酷使しすぎてもう疲れてるんだよ。たまには幼馴染みらしく労ってくれないもんかね」


 小言に小言で返して岩垣はすぐにまたソファへと背を預ける。白河に言ったことに嘘はない。兎角、例の連続殺人事件で昼夜問わず岩垣は働きっぱなしだった。マスコミは警察のことを「無能」だと連日叩き、遺族のプライベートはどんどん踏み荒らされ暴かれていく。全員が全員そういう訳ではないが、報道の過熱化は顕著なものになっていた。

 殺人だぞ、と心の中で岩垣は思う。確かに大事件だ。だが世間を殺人などという、許しがたいものが熱狂の渦の中心になっていると思うと、岩垣はいつだって人間のそういった醜悪な面を憂う。憂い、憤りを抱える。


「善男」


 不意に呼ばれれば視界に影がすっと入る。見上げるとグラスを持った白河が立っていた。テーブルにコトリと置かれたのはウイスキーのグラスだった。琥珀色より深い色の液体が、氷を微かに揺らしている。岩垣が見上げれば、グラスを持った白河と目が合った。岩垣はふうと息を吐き出して、グラスを持つと軽く乾杯しあった。硬質なガラス音が鳴る。


「キミ、相当疲れているみたいだな。鬼のような体格をしていても、やっぱり人間なんだな。今度から少しは配慮して雀の涙ほどの優しさをあげよう」

「何を配慮するのか知らねぇが、お前がオレに気遣ってくれるっていうのは気色悪いから、やめてくれ」


ひらひらと手を振って岩垣が言えば、白河は胡散臭い笑顔で言った。


「じゃあ逆に説教をくれてやろう」

「説教?」


 眉を寄せれば、白河はすっと笑顔を消した。


「善男。キミ、何で加原夫妻にぼくのことを教えたんだい?」


その声は冷ややかなものだった。ああ、その件か。岩垣は居心地の悪さから、頭をがしがしと掻いた。


「あれは確かに悪かったと俺も思っている。だが、ああも縋られちゃあ」


 断れなくてな、と呟くように言ってウイスキーを口にする。口内から喉、胃へと流れていき、熱を灯していく。白河は、ふんと鼻を鳴らして一杯、薄くなったウイスキーを一気に飲み干した。一体いつから呑んでいるのだろう。

 白河は奥のデスクに戻ると、椅子に腰掛けて長い脚をデスクに置いた。本当に品の良い端正な顔に似合わず、教育がなっていないというか、兎に角足癖が悪いというか。


「善男。キミは確かに面倒見が良いところが長所だが、ノーと言うべきところではノーと言うべきだ。でないと大体の場合、面倒なことになる。主にぼくが」


 冷蔵庫から氷を取り出しグラスに入れる。カランと音が鳴って、とぽぽ、とグラスにウイスキーが注がれていくと、グラスの中で氷が踊るのが見えた。それからようやく白河は、岩垣が持ってきたファイルに手をつけた。ぱらりと黒いファイルを、白河の白い手が開く。そしてそこに記された文字の羅列を追いながら読み上げていった。


「被害者、榊原麻衣子。身長百七十センチ。体重五十六キロ。家族構成。父母、兄が一人。兄が東北で一人暮らし。殺害現場はラブホテル。被害者の性的指向は不明。元恋人は男性だったが、一ヶ月も満たずに別れている。元恋人のストーカー行為で被害届を二回出している。男性は接近禁止令を出されて以来、榊原麻衣子には会っていないと証言している。男性には現在恋人がおり、交際半年を超えている……なるほど」


 ぱらりと、白河の長い指がファイルの紙をめくる。そしてその琥珀色の瞳が、次のページにあったものを注視した。すっと細められ、岩垣は察する。現場写真を見ているのだ。


「……黒髪」


 ぽつりと、白河がその単語を口にする。けれど今度ばかりは岩垣もそれについて非難したり呆れたりすることはできなかった。今度の被害者も、黒髪だったのだ。白河は現場の写真をじっと見詰めている。その沈黙の間、時計の針の音が妙に大きく聞こえた。

 何分しただろうか。おもむろにグラスとファイルと机に置いて白河は立ち上がると、床に散乱している書類のうちから一つ、取り上げた。取り上げた資料は二番目の被害者、唯一の金髪の被害者であった小林悠の資料だった。


「金髪……この被害者だけ金髪。なぜだ。間違って殺したのか? いや、間違って殺すなんて場当たり的なことはしない。何か理由があって殺した。そうでなければ手順を踏まずに刺し殺すだけで終わっていた……」


 岩垣はその間、敢えて何も言わなかった。今、白河は思考の海に潜っている。その海は犯人の心を知るための海だ。それが白河の仕事であり、遺族から委ねられた願いだった。


「小林悠、十七歳。十四歳の頃に交通事故で両親を亡くしてから、バイトをしながら家計を支えて……定時制高校に通っている。金髪、ピアス、姉弟仲は良好。姉の小林茜は働いたお金を弟の将来の為に貯蓄していた。どちらも真面目なタイプだが……見た目は姉の小林茜とはまるでタイプが違う」


 小林茜は、小林悠の遺族であり、岩垣が白河を紹介した女性だ。言われてみれば確かに小林茜と、写真の小林悠は見た目の印象が大分違う。姉の小林茜は真面目そう、悪く言えば地味なタイプだが、小林悠は金髪にピアスと派手なタイプだ。それでも学校に通いながらバイトをし、家計を支えていたというのだから人は見た目にはよらない。


「犯人は何らかの職業を装って小林家に入り、そこで小林悠と出会った。小林悠は警戒心を覚えず、犯人を家の中に迎え入れた。そして背を向けた時、ナイフで複数回刺し、広いリビングまで引きずって行った……そして同じ手口で殺害。だが、金髪だ。なぜここで犯人はこだわりを捨てた? こだわりを捨てたのに同じ手口で殺した?」


 言いながら白河はしゃがみ込み、これまでの現場の写真を順に並べていく。


「第一の被害者、杉本花菜。156センチ。女。黒髪。第二の被害者、小林悠。170センチ、男、金髪。第三の被害者、清水ゆかり、168センチ、黒髪、女。第四の被害者、加原亮一郎。180センチ、男、黒髪。そして第五の被害者、榊原麻衣子。170センチ、女、黒髪……女、男、女、男、女、と来ているがこれに規則性はあるのか? いや、だとしたら髪の色にも規則性を持たせるはずだ。此処だけが違和感が大きい」


 何故だ、と繰り返し小林悠の写真をじっと見詰めた。岩垣はそんな白河のそばに地下より、まだ若いのに気の毒だ、と呟いた。


「そうだね。彼はまだ若かった。けれど残された小林茜も若かった。彼女は……そう、彼女はとても良い目をして、そして黒髪を一つに結って……」


 ぴたりと、その時白河の声と動きが止まった。

 そして奇妙な静けさが広がった後、それは唐突に火を灯した。


「――そうか」


 突然、立ち上がった白河は、ああ!、と奇声のような叫び声を上げた。

 まるで、稲妻にでも打たれたかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る