19 新人と肉
焼き肉「北斗」に白河抜きで行くと、平日のまだ午後五時過ぎだというのに席は八割ほど人で埋まっていた。通された席は座敷で、少し畳が傷んでいるものの綺麗に掃除してある。奥からカオル、愛、林原。向かいに七緒と山崎さんが座った。
「みんな何頼む~? 今日はあたしの奢りだからジャンジャン呑み食いしていいよ~」
「えっマジで! さっすが七緒ちゃん~! みんなビールでもいい? 肉はカルビと、ハラミと、それからキムチとカクテキ頼んで~あっすみませーん! 注文いいですか?」
カオルは大声で店員を呼ぶと、周囲の意見も聞かずにどんどんと肉やホルモンを注文していく。さり気なく山崎さんが野菜も追加し、生ビールが届いたところで乾杯した。
「そういえば林原くんってさ、希ちゃんに憧れてこの事務所に来たんでしょ? どこで出会ったの? あたしすごい気になる」
七緒の問いに林原はビールを飲み込んで、ジョッキを置いた。
「就活してたとき新宿を歩いてて、偶然、白河所長を見つけて……その、あんまりにも綺麗な顔と瞳と黒髪に、つい引き留めてしまいました。考えなしに。白河所長が女性だったらこれって一目惚れって言うんですかね?」
あいにくぼくは異性愛者ですが、と林原は開けっぴろげに話す。それに反応したのはカオルだった。
「なんだお前、意外と面食いなんだなぁ~! でも男に一目惚れってのも珍しい話っつーか、惚れるなら私みたいな美人にしろよ!」
けらけらと笑ってカオルが冗談とも本気ともつかぬ発言をする。林原はそれに対してやや困り顔で「はあ」と溜め息のような首肯を返した。
「確かに皆さん美人ですけど、すみません。あんまりピンとは来ません」
下手をしたら失礼とも取れる発言だったが、七緒もカオルも全く気にせず、それどころか声を上げて笑った。
「おまえ面白いなぁ! 気に入った! 肉どんどん食え!」
「はあ、ありがとうございます」
本当に感謝しているのか分からない平坦なトーンで林原は言う。
「それよりもあの、自己紹介みたいなものをしてもらってもいいですか? オレ、ちゃんとこれからお世話になる人達の顔は覚えておきたいので」
林原は生真面目な性格なのか、マイペースなのか、はたまた大胆なのか。控えめに手を上げて言う。それに対しカオルが「またクソ真面目だなぁ!」と爆笑しながらも応えた。
「私はカオル。敬意を込めてカオルさんって呼んでくれてもいからな!」
「はぁ、カオルさん。分かりました。ありがとうございます」
「あたしは七緒。それでこっちの老紳士は山崎さん」
七緒が山崎さんも含めて挨拶する。山崎さんはにっこりと微笑んで「山崎です」と挨拶した。あいかわらずのおっとりとした人である。
林原はぺこりと頭を下げると、
「林原圭佑です。これからよろしくお願いします」
と淡々と挨拶をした。そして最後に愛へと順番が回ってくる。
「北村愛です。こちらこそよろしくお願いします」
そう挨拶すると林原が「北村愛さん」と繰り返した。
それから、じい、と。黒々とした瞳で見詰められた。存在感が薄いと思ったが、こうして相対するとその瞳の黒さに少しだけ、気圧されそうになる。心なしか瞳だけには、林原の強い感情のようなものが含まれている気がしたからだ。
――何だろう、この、林原から向けられる感情は。
黒々とした瞳によく似た、深い泥濘のような色彩の感情。このような感情を向けられたことは初めてだった。だからこそ愛は戸惑ったし、林原の視線から逃げるように目を逸らした。だが林原の方もまた、視線を外して焼き肉へと向かった。その横顔にはもう、あの深淵のように深い感情はなかった。少し、安堵する。他の面々は気付いていないのだろう。いつも通り和気藹々と肉をつついている。
「そういえば白河さんはどこに行ったんですか? 私が入社してから結構、外に出ることが多いですけど……やっぱりあの連続殺人事件の調査、とかですかね?」
疑問を口にすると、ビールを飲んでいたカオルが答える。
「ん? まぁそうなんじゃねぇか? 七緒。お前どう思う?」
「どう思うってあたしもカオルちゃんたちと一緒。希ちゃん、またひとりでどうにかしようとしているんじゃないかな。冷血人間だけどあたしたちの事はちゃんと思ってくれていると思うし」
「そうかぁ? だったら人のことソファから蹴落としたりしねーよ」
カオルはぶすっとしてそう言うとビールを飲み込んだ。
「白河所長ってどんな方なんですか?」
口を開いたのは林原だった。するとカオルがにやにやとたちの悪い笑みを浮かべた。
「なんだいなんだい、やっぱり一目惚れしちゃったから気になるんかい?」
からかいの色を含んだ問いに林原は少し困ったように頭を掻いた。
「一目惚れはあくまで女性だと思ったからで……今はただ単に、どんな人なのかなって気になったんです」
「ああでも私も白河さんがどんな人なのか、気になります」
林原の言葉に便乗する形で愛も言う。すると七緒とカオル、山崎さんは顔を見合わせて首を傾げた。
「どんな人っかって言われてもねぇ……? ちょっと風変わり?」
「えー超絶変人じゃね? あと冷血人間」
「希さんは確かに少し変わってますけど、良い所長ですよ」
七緒、カオル、山崎さんの順番で答えが返ってくる。
三者三様の答えだが一貫してそこにあったのは「変わっている」ということだった。確かに一ヶ月と少し、この白河探偵事務所で過ごしてきた愛も白河希という所長が少々癖のある人物だと分かっていた。だが、訊きたいのはもっと深い部分なのだ。変人という仮面の下に、どうにも白河希という人は本性を隠しているような――そんな気がした。
「変人以外には何かないんですか?」
林原も気になったらしい。重ねて問えば、んんー、と七緒が唸ったあと答えた。
「猫好き、とか?」
七緒が首を傾げる。それは愛も知っている。
「お喋りかと思えば、急に一人にして欲しいと閉じこもる人ですね」
山崎さんが顎に手をやって言う。それは愛も知っている。
「私を毎回ソファから蹴落とす嫌な野郎」
カオルが不愉快そうに舌打ちする。それは愛も知っている。
「それ以外の事は?」
問いを更に投げかけたのは林原だった。愛も同じことを考えていた。
問われた面々はというと「それ以外のことかぁ……」と各々思い悩んでいる。どうやら白河探偵事務所の他の従業員も、白河希という人をよく理解はしていないらしい。理解はしていないが、信頼はしているのだろうなと愛は感じた。そうでなければとっくに、こんな奇想天外な探偵事務所を辞めているだろう。
「それより林原くんのことを教えてよ。彼女とかできたことないって言ってたけど、恋くらいはしたことあるでしょ?」
七緒が興味津々といったように、長い睫毛を瞬かせて林原を見上げる。林原はもぐもぐと肉を咀嚼すると、
「いやないですね」
はっきりと否定した。その顔は表情が全く変わらず、動揺の一つもしていなかった。だからおそらく本当なのだろう。けれど七緒はそうは思わなかったらしい。
「ウソ~。じゃあさ、好みのタイプは?」
「ああ、そりゃぁ気になるな。希の野郎に一目惚れしかけたっていうし」
「好みのタイプ……それもよく分からないんですが、恋をするなら心のあたたかい人がいいですね」
「え、顔は?」
七緒が素っ頓狂な声を上げる。けれど林原も
「綺麗な人のほうがいいですけど、性格悪いのは嫌です」
「えー、あー、それじゃあ恋をする気はないの?」
粘る七緒に、林原は小さく首を振る。
「ないですね。今は、全く。そういう気分じゃなくて」
その時、出会ってからずっと変わらなかった林原の表情が、微かに変化した。その変化は哀しみとも喜びともつかぬもので、偶然見てしまった愛は内心困惑した。
何だろう。今の表情は。けれど愛が次に瞬きした瞬間には、いつもの林原に戻ってた。それに気付かなかったのか、気付いたのか分からないが、七緒が眉尻を下げる。
「そっかー。そういう気分じゃないってのは仕方ないね。でも寂しくない?」
「いえ、今は恋よりもやりたいことがあるし――何より見つけたかった人を見つけられたので」
それで十分ですと林原は言うと淡々と肉を食べ始めた。
「それって希ちゃんのこと?」
「どう取って頂いても構いません」
七緒がからかうように言うも、どこ吹く風といったように林原は肉を食う。愛はそんな林原に苦笑しつつ、トングで肉をつまみ網の上に置く。じゅわりと、赤い肉が焼ける音がする。ジワジワとジワジワと外側から浸食されていく。炙られて肉汁がじわりと浮き立っていく。人が焼ける時もこんな感じなのだろうか、なんて不謹慎なことを考えていると、
「北村さん」
隣の林原に呼ばれ、愛はびくりと身体を震わせた。思えばこの事務所に来てから、同僚という存在に初めてちゃんと名前で呼ばれたような気がした。殆どが「新人」呼びだったからだ。それと、何となくだが自分は林原に嫌われているような気がする、と思ったからだった。愛はできるだけその内心を隠して、笑顔で応じる。
「はい、なんですか?」
「肉。食べないんですか? もう焼けてますよ」
なんだそんなことか。内心拍子抜けした。
「ああ……そうですね。でも私、肉はレア気味の方が好きなんですよ」
だからあげます、と綺麗に焼けた肉を林原の皿に盛った。すると林原は不思議そうな顔をして、愛を見詰めた。まるで愛がこんなことをするのが意外だというように。
「……どうも」
少しの沈黙を挟んで林原が頭を下げ、肉を口に運ぶ。美味しそうに食べないひとだ。というより、ただものを咀嚼して嚥下しているだけの「行為」にしか見えない。
「お肉、あんまり好きじゃないんですか? それだったらすみません」
念のため愛がそう尋ねてみると、ぴたりと林原は動きを止めてこちらを見遣った。見詰めた瞳は髪の色と同様に黒々としていて、空虚な洞のようにも見える。ぞくり、と一瞬震えが走ったが、愛には理由が分からなかった。林原は幅広の口で答える。
「肉は嫌いじゃないんですが……そうですね。最近はあんまり、食べること自体にも興味がないというか」
「ええっ、食欲ないってことかよ!」
そう声を上げて会話に入ってきたのはカオルだった。林原は「はあ」と溜め息とも肯定ともつかぬ息を漏らした。するとカオルの前にいた七緒や山崎さんも心配そうな顔をする。
「あたしとしたことが食欲がないのにつれてきちゃうなんて~ごめんね、林原くん」
「林原くん。無理して食べることはないんですよ。お酒よりもソフトドリンクが良いですか?」
七緒の気遣いと山崎さんの問いかけに、林原は小さく首を横に振った。
「いや、大丈夫です。無用な心配をかけてすみません。ただ何と言ったらいいのか難しいんですが、食欲がないわけじゃないんです。ちゃんとお腹も空きますし、ごはんも食べます。ただ、オレのなかでルーチンみたいなものになっていて」
「つまり食に楽しみを見いだせないってこと?」
七緒が尋ねる。林原は「それに近いかもしれません」と頷いた。
「どうして? 元々そうなの?」
「元々じゃありませんね。色々あって、こうなりました」
「前職がブラック企業だったからとかか~?」
カオルが「ここもブラック企業みたいなもんだけどな」と付け足して笑う。
「まあ、それもあると思います」
「ふうん。そーかそーか、お前も色々あったんだなぁ~」
いつの間にかすっかり酔っ払ったカオルが、林原の黒髪をくしゃくしゃと撫でる。林原はそれを複雑そうな表情で受け入れつつ、淡々と肉をまた食べ始めた。その光景がおかしかったのか、七緒が笑いながら写真を撮って、山崎さんはマイペースに野菜を食べていた。
その明るい光景を見ながら愛は思う。皆、こうして見ると「良い人」ばかりだ。けれどそれは愛の眼が見た外面だけのもので、内面は分からない。人の心は見えないのだ。
だからこそ、だろうか。白河希という奇っ怪な人物の元に集ったここにいる全員が、深い「何か」を抱えているように愛には思えたのだ。
そして愛自身も、――いや誰しもそうなのかもしれない。
人には見られたくないものを、心に抱えている。
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