18 新人

『ここで速報です。先月九月から都内で続いている連続殺人事件の続報が届きました。警察は現在、三人目の被害者の元同居人、村上信五容疑者・無職・二十七歳を連続殺人事件に関与しているとして事情聴取しているとのことです。また、ホテルで遺体で発見された身元不明の遺体は都内に住む会社員の加原亮一郎さん二十五歳と分かりました。警察は加原さんの殺人も一連の殺人事件の被害者とみて、引き続き捜査を進めている模様です』


 テレビから聞こえてきた夕方のニュース番組に、白河探偵事務所の職員の視線は集中した。厳密に言えばテレビを見ていたのは愛を含む従業員だけで「所長」であるところの白河希はぼんやりと宙を眺めながら、何やら思い耽っていた。その横顔は憂いを帯びて、悲愴感のある美を漂わせている。芸術作品みたいだ、といつも愛は思うし、そう思う度に白河のことが欲しいと浅ましくも思ってしまっていた。けれどまだ勇気はない。時間は大事だ。タイミングも大事。白河について相談したら祐子はそう言っていた。今はせめて馴染まないと、という祐子のアドバイスを思い出しながら愛は白河の机まで近づく。だが、近づいても白河は虚空を眺めるばかりで全くこちらに気をやろうともしない。おそらく、白河にとって新人の愛は路傍の石のようなものなのだろう。


「あの、白河さん」

「…………」


 反応がない。

 愛は訝しげに思ってもう一度名前を呼んだ。


「白河さん? 聞こえてます?」


 するとようやく思案の海から顔を出した白河が、ぶすっとした顔で応えた。


「……なんだい? 今色々と忙しいんだが」


 色々と忙しい。そう言うが全くそう見えない。


「忙しそうには見えなかったんですが……」


 そう主張する愛に対し。


「いや、今も忙しいしこれから忙しくなる。そろそろ時間だ」


 白河が時計を見る。時計は午後四時半を指すところだった。


「そろそろ時間……?」

「キミはいいからテレビでも見ていたまえよ。ほら綺麗な赤だ」


 夕方のニュースはいつの間に凄惨な殺人事件から、紅葉の季節に差し掛かりつつあることを報せていた。殺人という非日常から日常へとスイッチのように簡単に変わるテレビが、愛はあまり好きでは無い。人が死んでいるのだ。死んだあとに、よくもまあ「きれいに色づいていますね」と言えるものだと思う。けれど紅葉が美しいのは間違いではない。赤く染まる様は、確かに綺麗だ。と、思っていたときだった。

 ピンポーン、と扉のチャイムを鳴らす音が来た。来客の印だ。ソファに伸びきっていたカオルは例によって白河に蹴落とされ、化粧直ししていた七緒は慌てて化粧品を片付け、山崎さんだけが冷静にお茶の用意を始めている。白河はステッキをつきながら優雅な足取りで扉を開き、招き入れた。


「やあ! いらっしゃい。林原圭佑くん! さて面接といこうじゃないか」

「あ、はい。今日はどうぞ宜しくお願い致します」


 ぺこりと頭を下げた黒髪の青年は、どう見ても二十歳前後のまだ若い青年で、何もかもが平均的だった。顔立ちも取り分け良くもなければ悪くもなく、兎角、印象が薄い。背丈も白河と殆ど変わらないか少し上か。その程度だった。ちなみに白河は自己申告によると174センチらしいが、170センチの七緒とそこまで違いがあるように見えなかった。

 白河は林原という青年を応接間のソファに座らせると、自らもまた対面のソファへとどかっと座った。そのすらりと長い足を組んで、白河は「それじゃあ始めようか」と微笑む。そうして愛もよく理解できないまま謎の面接が始まった。おそらく採用試験だが。


「まず簡単に自己紹介、よろしく頼むよ」


明らかに緊張して固まっている林原圭佑は、ただ声をかけられただけでびくりとする。こんなので大丈夫なのかと愛が見守っていると、意を決したように林原が口を開いた。


「林原圭佑です。年齢は先月で二十歳になりました。前職は宅配業界で宅配ドライバーをしていました」

「どうしてやめてしまったんだい?」

「情けない話なんですが腰を痛めてしまって」


しょぼくれた犬のように眉尻を下げて、林原は言う。だが白河はそれについて興味がないようで、ふうん、とだけ言って話を促した。


「それで? どうしてこの探偵事務所にキミは来たんだっけ?」

「あっえーっと、その、ですね……正直に言うと白河所長みたいな人になりたくて、応募しました。頑張ります。オレ、目立たないから結構役に立つと思います」


 意味不明だ。というよりこの二人、知り合いだったのだろうか。

 白河は「なるほどなるほど」と言うと、


「最後に二つ質問だが、キミは女性と付き合った経験はあるかい?」


 と不思議な質問をした。

 林原はまた情けない顔をして答えた。


「いえ、ないです」

「それじゃあ童貞?」

「そうですね」

「採用」

「ええっ!」


 思わず愛は声を上げてしまう。今のどこに判断材料があったのか、全く愛にはわからなかったからだ。それなのに他の従業員たちは慣れっこみたいらしく、カオルは「まーた変な基準で採用したよ」とけらけら笑っていた。愛の面接の時はもう少しはまともだった気がする。例えば「前職は何だったか」だとか「自分の性格についてどう思う?」だとか。

 よくある質問のほかに印象的だったのが、「この仕事は危険もあるが大丈夫か」ということだった。もちろん愛は怯むことなくイエスを返し採用に至ったのだが、どうして林原はこんなに早く採用されたのだろう。矢張り、どこかで知り合っていたおかげだろうか。


「それではお茶をどうぞ。面接で緊張されたでしょう」


 ナイスタイミングで山崎さんはそう言って林原にお茶を出してやる。林原は「ありがとうございます」と頭を下げると、ずず、とお茶をすすった。白河は「あとはよろしく」と山崎さんに雇用に関することは丸投げすると、定位置である奥の椅子に座って足を机にのせた。それから昼間の業務時間中だというのにワインをグラスに注いで、呑みながらまた物思いに耽り始めた。本当にこの探偵事務所はこんなのでいいのだろうか。


「あの白河さん」

「なんだい」

「その……今の、林原さんはどういう基準で採用されたんですか」

「顔」

「は?」

「顔で決めた。あと、彼はぼくに一目惚れしたらしい」


 一目惚れ。


「はい?」


 随分と間の抜けた声が出てしまった。

 一目惚れ。喉奥でその単語を反芻する。

 反芻してからようやく、愛は「どういうことですか?」と尋ねてしまった。

 白河は七面倒くさそうな顔をしながらようやく愛のほうを向いた。その、神様につくられたように整った顔はやっぱり何度見ても見慣れない。単純ながら胸が高鳴ってしまう。

 だが白河はそんなことを露ほども気付いていないのか、気にしていないのだろう。


「林原くんを採用したのは正直者だからさ」

「正直者」

「ああ、キミも見ていただろう。いかにも緊張していますと顔面に書いてある顔つきで、ぎくしゃく油の差していないブリキのロボットのように動いて、椅子に言われるがまま座って、ぼくのあけすけとした質問にも、バカみたいにすぐにはっきりと答えた。隠し事はできない愚直なタイプだ。そう言うヤツは単純でいい。駄犬と一緒だ」


 白河は鼻歌を歌い始める。ふんふんと歌っているのは、何故かシューベルトの「魔王」だった。ご機嫌そうに見えるが、愛にはまったく理解ができない。


「あの、一目惚れっていうのは……どういう……?」


 鼻歌を遮るように愛が尋ねる。白河は鼻歌をやめたが機嫌は良さそうだった。


「ああ、街角でいきなりナンパされたんだ。どうやらぼくが女性に一瞬見えてしまったらしい。いきなり腕を掴まれてね。蹴り倒したら土下座して謝罪されたよ」

「蹴り倒す……え、白河さんそんなことできるんですか?」


 とてもこの痩躯からは考えられない。しかも左手は義手で、足だって片足不自由だと言うし、格闘とかそういうものにはからきし向いていないように見える。

 だが、愛にそう思われたのが不満だったのだろう。白河は唇を子どものようにへの字に曲げた。


「こう見えてぼくは弱くはない。人並以上くらいの抵抗はできるさ」

「はあ……そうですか」


 確かにしょっちゅうソファからカオルを蹴り落としているし、足癖は悪いのかもしれない。いずれにせよ愛にとっては少し意外だった。


「でもどうして今、採用試験を?」


 疑問をぶつけると、白河はワインを飲みながら書類に目を通す。


「いい加減、山崎さんの補佐も欲しいしね。それに近い内に忙しくなるからさ。辞める人間も出るかもしれない」


 それは愛にとって予想外のことだった。思わず声を上げる。


「え! そうなんですか! でもどうして?」

「さてね。辞める理由は未知数だ。だが、元々ここは入れ替わりが激しいんだ。キミは知らないかもしれないが、山崎さん、七緒、駄犬の三人が今の所生き残っているけれど、以前はもっと人がいたんだ」

「そうなんですか? でも何で今は……」


 曖昧に語尾を濁すが、白河は全く気にした様子も無く、


「大半がぼくの所為だね」


 と答えた。成る程。それなりに自分がトリックスター的要素を持っていることを自負しているらしい。先日事務所に来た時、嵐でも遭ったかのように荒れ放題だったこともあったし、白河と付き合うのはそれなりの覚悟がいるのかもしれない。


「あの白河所長」


 話を終えた林原圭佑がすっと音もなく現われ、愛はどきりとした。本当に存在感が薄い。探偵業務のなかでも尾行にはとても向いているように思えた。声をかけられた白河はというと、機嫌良さそうにワイングラスを傾けながら、林原に向き合う。


「なんだい。ああ、キミも一杯どうかな? 年代物のなかなか良いワインだよ」

「いえ、オレ、ワイン苦手なんで。ブドウジュースのほうが好きです」


 その答えに白河は目をぱちくりさせたあと、声を上げて笑った。


「そうかそうか。キミは本当に正直者だ。正直なのはいい。馬鹿と紙一重だがね。それじゃあキミに質問なんだが、最近世間を賑わせている連続殺人事件についてどう思う?」


突拍子もなくそんなことを尋ねる白河にも林原は動じなかった。顎に手をやって「そうですねぇ……」と暫く考えたあと。


「酷い事件だと思います。でもこれだけやって捕まらないということは賢い人間かと思います。日本の警察の検挙率は何だかんだ言って高いですしね」


 その答えに鷹揚に白河は頷いた。


「なるほど。それじゃあキミは犯人についてどんな人間だと思う?」

 問いを重ねてみても林原は動じなかった。今熱愛報道されているアイドルグループのメンバーについて尋ねられたような気軽さで林原は答える。


「犯人ですか。うーん、情報が少ないので何とも言えないですけど、殺し方が一貫しているということは、こだわりが強い性格なんじゃないですかね」

「ほう。それはぼくと同意見だ」


 奇遇だね、と白河は言う。その顔は機嫌が良さそうだった。それがちょっと、悔しいと愛は思う。一ヶ月以上は先に入所して、愛のほうが先輩なのに、白河に気に入られている林原に嫉妬してしまっていた。


「それじゃあそこの新人二人。新人は新人同士で親睦を深めたまえ。ぼくはちょっと外に出る。タイムカードはきちんと押すように」


 そう言うと白河は立ち上がってコートとステッキを持ち、颯爽と事務所を出て行ってしまった。残された愛は林原は目を見合わせてお互い困り顔になった。親睦を深めろと言われても、どうすべきなのか。と、困っている所に七緒が助け船を出してくれた。


「ねえねえ、希ちゃんいないことだし、もう閉めちゃわない? どうせ今日の仕事、もう片付いていることだしさ。……あ、事務処理以外は」


 気まずそうに七緒が山崎さんに視線を送ると、山崎さんはにこやかに、


「もう終わっていますよ」


 と言って書類をファイルに綴じた。いつの間にやっていたのだろう。思えば愛がこの事務所に来てやった事と言えばお茶出しや電話対応、来客対応くらいのもので探偵らしいことは全くやっていない。果たしてこれでいいのだろうか。しかし白河に未だに文句や注意のひとつも受けたことがなければ、他の職員に咎められることもなかった。


「うんうん、それじゃあ皆でまた焼き肉でも行こうか!」


 七緒がそう言って「今日は閉店~!」などと勝手に言う。カオルは肉という単語に反応したのだろう。眠っていたはずなのに勢いよく起き上がって、「肉!」と叫んだ。本当に肉が好きなのだなと愛は苦笑する。林原は、


「こんなんで良いんですねぇ」


 とちょっと呆気にとられていたようだが、肉に反対する気はないらしい。表情が乏しいから分かりにくいが、どことなく嬉しそうに見えた。けれど愛も肉は好きなので、林原の気持ちは十分理解できたのだった。

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