14 プロファイリング
「それじゃあプロファイリングの話をしよう。丁度いいタイミングだからね、うん」
「プロファイリングって……えっと、犯人を特定するための……」
以前映画で見た捜査官がプロファイリングというものをしていた気がした。その古い記憶をひっくり返しながら愛が言えば、白河は「特定なんかはできないけどね」と前置きしてから言葉を並べていった。
「映画だとそうだな……アンソニー・ホプキンス主演の映画『羊たちの沈黙』かな。あの映画ではプロファイリングが行なわれていたが、あれは勿論フィクションの世界の話で、プロファイリングすれば必ずしも犯人が捕まるという訳じゃない。プロファイリングは犯人検挙の支援とされている……と、ぼくが読んだ本には書いてあったんだが、確かにその通りだ。プロファイリングはぼくがよくやる妄想をこねくり回したものと、そう変わらない。それの上位互換と思ってくれていい」
あっさりと白河は自分の推理を「妄想」と切り捨てると続けた。
「プロファイリングは主に二分され、一つは犯罪者プロファイリング、そしてもう一つは地理的プロファイリングだ。ここに過去の未解決事件と照らし合わせる方法も入る。現在の事件と過去の事件をリンクさせて情報を洗うやり方だね。このあたりは善男。刑事なんだからキミも分かっているんじゃないか?」
話を振られた岩垣は、小難しい表情を浮かべながらも答える。
「あーっと、犯人像プロファイリングってヤツが、そのまんまの意味で犯人像を考えるってヤツだろ。地理的プロファイリングは事件現場と犯人の居場所との関係、それから連続した犯行が行なわれているかであとは……あー、よく覚えてねぇ」
「善男にしては上出来だ。そうだね、あとは強いて言うなら連続犯行がエスカレートする可能性も考える必要がある。言っておくが連続殺人と大量殺人も違うことを頭の中に入れておいて欲しい。日本の事件で例を挙げるならば東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の加害者である宮崎勤が連続殺人鬼で、附属池田小事件の加害者、宅間守が大量殺人鬼といえるね。この内、宮崎が秩序型、宅間が無秩序型に分類されるのかもしれないが、ぼくは──」
「ちょっと待て。秩序型とか無秩序型ってのはなんだ?」
疑問を飛ばす岩垣に、白河がじとりとした目で見遣った。
「善男……キミが警察でどこまで詳しく犯罪心理について勉強しているのかは知らないけれど、秩序型と無秩序型くらい頭に入れておいてくれ。凶悪な連続殺人犯を追い続けた元FBI捜査官ロバート・K・レスラーをキミは知らないのかい?」
呆れ眼で岩垣を見る白河に、岩垣はぶっきらぼうに答える。
「知らねぇな」
「キミに期待したぼくが馬鹿だった。簡単に説明しよう。犯罪者プロファイリングにおいて臨床心理学、精神医学といった立場からアプローチするのが臨床的プロファイリングと言うんだが、秩序型と無秩序型はこれに基づいて1970年代にFBIの行動科学によって産み出された類型だ。秩序型というのは計画的な犯行でかつ被害者や殺し方に好みがあり、無秩序型というのは衝動的で相手も手段も問わない。前者は知性が高く凶器や証拠は残さない。後者は知性が低く、社会的能力を欠いている場合が多いと定義されているね。あくまでそのパターンが多いというだけで、このパターンを外れる場合も勿論あるとぼくは考えている」
さて、と白河の唇が三日月型に歪む。魔性の美しさだ、と愛は思った。
「気になる人は多いにいるだろうが、みんなでここで考えてみようじゃないか。今回、世間を騒がせている連続殺人鬼について。今回、この白河探偵事務所に犯人についての依頼があったのは皆、知っているね? じゃあその犯人像をプロファイリングごっこをしようじゃないか。さて、それじゃあキミ。今回の殺人鬼は秩序型? それとも無秩序型?」
急に指差された愛は迷いなく答えた。
「秩序型ですね。ニュースでも殺害の手口は同一って言われていますし……それに、まだその、捕まっていないですし」
刑事である岩垣を前に言って良いものかと憚られたが正直に答える。白河は深い琥珀色の瞳を猫のようにすっと細めて、ふうん、と鼻を鳴らした。
「そうか。確かにそうだろうね。キミはそう答えると思っていた」
謎めいたその発言に愛は眉根を寄せるが、白河は「そんなに怖い顔をしないでくれ」と愉快そうに笑った。
「確かに秩序型かもしれない。殺害方法はどれも同じだからね。それに余程計画しないと被害者の自宅で殺すことなんてできやしない。頭が悪い犯人だったら、無理矢理にでも部屋に押し入って殺して、証拠だって残したかもしれないだろううしね。じゃあここから犯人像に近づくにはどうしたらいいか? はい、山崎さん」
「計画性があるということは、慎重な性格。衝動的な殺人じゃないということは理性がきちんと働く人間で、確かに知性は人並みかそれ以上ということになりますね。少なくとも感情で動くようなタイプ……例えばそう、失礼ながら良い意味でも悪い意味でもカオルさんのような方には無理な犯行ということです」
「山崎さん~勝手に私を例に出さないでくださいよぉ~。確かにぃー私は考えるとかメンドーなタイプですけどォ~」
べろべろに酔い始めたカオルは気を害した様子もなくけらけらと笑っていた。それでも山崎さんは「すみません」と謝罪し、ペットボトルの水をカオルに渡してあげた。本当によく気配りのできる人である。カオルはそれを手に持って「つめたーい」と言いながらへらへら笑っている。白河はそんなカオルを見てやれやれといったように溜め息を吐くと、気を取り直すように再び喋りはじめた。
「山崎さんの言う通り、計画を立てて実行する、ということをする人間は一定の賢さが必要になってくる。特に殺人という大仕事に於いては、何度も何度も石橋を叩いて渡るような慎重さを持っているともいえるだろう。そしてこの慎重ということは、目立たない人間になろうと努力するということだ。この『目立たない』というのは地味に生きるということだけではなく、それよりも社会に馴染む平均的な人間を装ったり、殺人なんて残酷なことをしそうもないくらい善人だと周囲から認められる存在だ。例えばアメリカの連続殺人鬼、ジョン・ゲイシーはチャリティー活動にも熱心な、地元でも信頼の厚い善人だった。結婚もし、仕事も持ち、チャリティーにも参加する所謂模範的市民だった。だがその裏では少年を言葉巧みにおびき出して強姦し、三十三人も自宅の地下室で殺していた。六年間、そんな血なまぐさいことが行なわれていたというのに、誰も気付かなかった。というより、ゲイシーと少年の失踪がイコールにならなかったんだ。だからこの凄惨たる殺人は六年もの間、続いた。近隣住民も配偶者も警察も誰も疑わない、そもそも捜査線上に持ち上がりもしない人物なんだから仕方ない。既にゲイシーは『この人はそんなことをしない』というラベリングをされていたんだ。同じように連続レイプ殺人鬼として有名なテッド・バンディも、犯罪とは無縁の好青年だっだと言われている。だがそんなバンディも三十人の女性を強姦し殺していた。その被害者全員が、長い髪の女性だった事、そして手口が同じだった事、二つを合わせても彼は秩序型の人間と言えるね」
つまり、と白河は続けた。
「今世間を騒がせている連続殺人犯もまた、人並みか、それ以上の社会的立場にあると考えられる。でもこんなことが分かったとしても、そんな人間そこらじゅうにいるね。模範的市民なんて普通に生きていればどこにでもいる。じゃあどう狭めていくか考えた時、地理的プロファイリングを用いていく。ああ、善男。きみのそばに丁度地図があるから、それをこっちのホワイトボードに貼り付けてくれないか?」
「お前地図なんて持ってたのかよ」
岩垣が渋々地図を手に取ると、白河が形のよい眉をぴくりと跳ね上げさせた。
「キミ、ぼくはこの連続殺人事件の遺族に依頼をされているんだよ。善男。知っての通りぼくは、依頼人からの依頼だけは絶対に守る。わかってるだろう?」
意味深に強調した白河の瞳には真剣さが宿っていた。岩垣は後ろ頭を掻き、のっそりと動き出した。その無骨な手がホワイトボードに一枚の大きな地図を貼り付ける。
「……はいはい、そうだな。おら、ちゃんと貼ったぞ」
「どうも。さて、この地図を見て欲しいんだが、ここが第一の殺害現場」
椅子から立ち上がり白河は赤いマーカーで×印を書いていく。
「それから第二、第三、とマーキングしていくと……こうなる。トライアングルだね」
キャップを元に戻した白河は、またどかっと椅子に腰掛けてワインを手にした。赤いワインが透明な、磨き抜かれたグラスのなかでとぷんと揺れる。
地図には三カ所、×印が描かれ、それが線で結ばれていた。確かに歪ではあるが三角形になっている。こうして見るとそう遠くない距離――電車で移動しても三十分ほどしか距離が離れていない。
「こうやって見た時に二つ、考えられるタイプがある。一つはこの三点が集まる地域の中心や近隣に通勤や通学するタイプ。もう一つはこのトライアングルの中心に居住地を置くタイプ。そして中心というと……」
白河は座ったまま伸縮性の指示棒を伸ばし、かつん、とホワイトボード上の地図を差した。そこには黒猫のシールが貼ってあった。
「ここ、白河探偵事務所も入っているという訳だ」
白河は黒猫シールを差してにやりと笑うと、満足したように指示棒を縮めて机に穂折り投げた。ころころと転がったそれは寸でのところで落下を免れる。
「それじゃあ皆、面倒だろうがどこに住んでいるかシールを貼っていって欲しい。ああ、ちゃんと分かりやすいよう色は変えてくれたまえよ。山崎さん、悪いが皆にシールを配ってくれ。ちなみに猫のシールは駄目だ。人間が使うには勿体なさ過ぎる」
よく分からない論理を振りかざす白河にも、山崎さんはマイペースに「分かりました」と微笑んでこの場にいる全員にシールを配った。各々が席を立って――カオルは七緒の肩を借りて――地図にシールを貼っていく。それを眺めている白河に愛は声をかける。
「あの白河さんは貼らないんですか?」
すると白河はつまらなそうな顔をして、
「ぼくの家はここのようなものだからね。貼る必要はない」
ときっぱりと断ってきた。何だか不平等だ。だが確かに白河がこの事務所から帰るところを今まで見たことがない気がした。三階には風呂もトイレもあるらしいので、おそらく白河は三階を根城にしているのだろう。
全員がシールを貼り終わると、愛は思わず目を瞬かせた。
全員が全員、トライアングルの中に自宅があったからだ。これには七緒も「あらあら」と意外そうな声を上げた。
それを見た白河はというと満足そうに微笑み、口を開いた。
「よろしい、皆シールを貼ったところでひとつ、可能性の話をしようじゃないか。もし今回の殺人鬼が前者の通勤通学タイプならば、このトライアングルの範囲に入っているぼくらも被害者になり得る可能性を持っている。だが、もし後者で殺人鬼がこの近くにいるのだとしたら、ここにいるぼくら全員、加害者像に当てはまる訳だ。いや訂正をしよう。バカなカオルは除いて、だな。カオルはどちらかといえば被害者像に当てはまるタイプだ」
「ちょっと待てよ希」
声を上げたのは岩垣だった。
「お前、ここにいる奴らが被害者か加害者になるって言いてぇのか?」
それは皆、思っていたのだろう。皆の視線が一斉に白河に向かう。白河はそんな視線をそよ風でもなでるように受け流すと、微笑みを湛えたまま告げた。
「可能性としては否定できないだろう? 例えば、ぼく。白河希という人物も加害者の可能性は捨てきれない。職掌柄、情報というものを多く獲得できるし、ぼくは自分の顔面の良さだけは自負している。被害者たちを誘惑し自宅に入れてもらって……というのも十分考えられるだろう? それに善男。キミだって刑事という悪を追う正義のヒーローだがその裏で殺人を犯しているかもしれない。警察の動きに詳しいキミなら捜査の手を掻い潜ることだって簡単だろうし、刑事であるからこそ簡単に相手を信頼させることができる。一般の人々の半数以上が、刑事が来て家に上がらせろと言われたら、ノーとは言えないだろうしね。自宅での殺害ももってこいだ」
「おいッ希! てめぇふざけたこと言ってるんじゃねぇぞ!」
すさまじい剣幕で白河に詰め寄る岩垣に、白河は「いやだなぁ」と相好を崩す。
「善男。ぼくは可能性の話を言っているだけだ。それにだ、さっきも言った通りぼくだって殺人鬼の可能性は十分ある。誰にも今の所は否定できない」
「気分の悪い話だぜ。しかしよくもまぁ、本当にお前は殺人犯のことは詳しいよな」
「あらあら善男ちゃん、それが希ちゃんのイイトコロじゃない!」
そう言った七緒は、いつの間にかスパークリングワインを一本ひとりで空けて、すっかり上機嫌になっていた。岩垣は「ちゃん付けはやめろ」と言うが、七緒は取り付く島もなく「いいじゃない、可愛いんだから」と声を弾ませた。
「それに希ちゃんの話、あたしは好きよ。不謹慎だけど連続殺人とか猟奇殺人ってワクワクしちゃう」
「七緒はミステリやスプラッタが好きだからそうなのかもしれないな」
白河がそう言うと「そうなのかなぁ」と可愛らしく七緒は小首を傾げた。明らかに見た目は恋愛映画やお涙ちょうだいの感動ドラマが好きそうなのに、人は見た目によらないものである。かくいう愛も、恋愛映画は苦手だ。退屈で。
「それにしても本当によく知っていますね。白河さんもミステリーとかサスペンスが好きなんですか?」
愛が尋ねると白河は首を横に振って否定した。
「まさか。ぼくが殺人犯について色々調べたり考えたりするのは、それが必要不可欠なことだからだよ。彼等の思考の海に潜ること。それがぼくの役目だ」
正直趣味が悪いけれどね、と。
そう言うと白河は赤ワインを呷った。その薄い唇が薄らと赤く濡れて、長い指先がワイングラスを机に置く。置いたその手は本物の手だ。きれいな手をしている。
白河希というひとは、本当に完璧な造形をしていると愛は思い、小さく感嘆の溜め息を吐き出した。義手も一つの「欠落」の美のように感じてしまう。それこそミロのヴィーナスやサモトラケのニケのように。
一目惚れというものは恐ろしいものだと愛はつくづく思った。ただ見ているだけでもドキドキするのに、こうやって知れば知るほど、胸が締め付けられるような、兎に角言葉にはしがたい、たまらない気持ちになるのだ。見ているだけでは耐えられない。それこそ、この想いが成就すればいいとさえ、貪欲に思うほどに。
こんな気持ちになるのは、初めてのことだった。
「あの、話はすっごく変わっちゃうんですけど」
酔った勢いで愛は口を開く。
「皆さんって恋とかしたことあります?」
「あらあら、突然どうしたの? 何か悩み事?」
七緒が嬉々とした様子で尋ねてくる。愛がこんな話をし始めると思わなかったのだろう。岩垣やカオルもちょっと驚いたような顔をしていた。
「悩みなんですかね。私、人よりずっと恋愛経験が少なくて。だから恋ってどんな感なんだろうなーって思ったんです」
「やだ、まさか今まで恋のひとつもしてこなかったの?」
可愛い~、などと七緒は言うが愛は苦笑しか返せなかった。白河が口を開く。
「恋愛について聞きたいなら善男に聞くといいさ。なぁ、善男」
急に振られた岩垣はぶふぉっと呑んでいた缶ジュースをふきかけて、噎せ込む。げほげほと咳をしながら岩垣はじろりと睨み付けるようにして白河を見た。
「おい、ふざけんなよ希。何で俺なんだよ」
「ん? だってキミ、案外恋多き男じゃないか。最近もふられたし」
「えーッ、善男ちゃん振られちゃったの? かわいそうに……でも元気出して! またいい恋見つかるって!」
七緒の励ましに岩垣は微妙な表情を浮かべた。
「いい恋も何も……まぁ、あれだな。新人。恋っていうのは、四六時中相手のことばかり考えてしまうようなモンだ。でもって七緒と希。もう俺は恋なんてしねぇ」
ふんと鼻を鳴らして宣言する岩垣に愛は首を傾げる。
「え、どうしてですか?」
「新人。失恋というものはどうやら相当な精神的ショックになるらしいよ。まぁぼくには分からない感情だがね」
そう言ったのは白河だった。愛は思わず声を上げる。
「え! 白河さんも恋をしたことないんですか?」
「ないね」
さらりと答えるとワインを飲み干す。意外と言えば意外だが、納得できるといえば納得できるものがあった。ただ博識な白河でも知らないことがあるというのは新鮮だ。思わず愛が、ふふ、と笑ってしまうと白河がじろりと見た。
「なんだい新人。恋愛経験がないから初心だとでも思っているのかい? そこに母性本能のようなものがくすぐられているとでも?」
「う、ご名答です……でもうれしいです。私と同じ人がいるなんて」
それがしかも一目惚れした白河だったなんて、と思うとたまらない気持ちになった。
隣にいる七緒が、
「希ちゃんも新人ちゃんも、みーんな良い恋できるといいね!」
新しいスパークリングワインを空けて快活に笑う七緒に、愛もまた頷いた。
確かに良い恋になればいい。
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