13 酒飲みの後は酒飲みが続く
まだ呑み足りないとカオルが言って途中のコンビニで酒やつまみを買ったあと、全員そろって白河探偵事務所に戻ると、明るい事務所内に一人の女性がいた。
愛が見たことのないその、すらりとした長身の女性は白河たちを見るなり、「あー!」と大声を上げた。
「信じらんない! あたしがいない間に焼き肉行ったでしょ!」
愛と同じくらいの年頃だろうか。化粧の所為で大人っぽく見えるだけで、もしかしたら二十歳くらいかもしれない。少々化粧は濃いが、お人形さんみたいに愛らしい顔立ちをして、モデルかと思うほど小顔だ。
女性は腕組みをして不満げに唇を突き出していた。長い茶髪の隙間からきらりと、大量のピアスが空いているのが見えた。愛らしいのに、ピアスの数がえげつない。
白河はそんなご機嫌な斜めな女性に対して、にこやかに答えた。
「ああ、とても美味しかったよ。やっぱり肉とビールは最高だね。さて七緒。ここにいるということは仕事は完遂してきたってことかな?」
白河の問いに七緒と呼ばれた女性は当たり前というように頷いた。
「勿論。ほんっとに疲れた。なかなかいないもんね。都内の美術学校とか、かなり回るハメになったけど、ちゃんと見つけたから安心して」
七緒と呼ばれた女性は、どうやらこの白河探偵事務所の職員らしい。何か仕事を終えてきたようだった。
カオルがぱっと表情を明るくして、七緒に腕を絡ませる。
「七緒ちゃ~ん、ちゃんと七緒ちゃんの分もお酒は買ってきたよ。スパークリングワイン好きでしょう? あとサワーオニオンのポテチも買ってきたよ!」
「やだ~~~さっすがカオルちゃん。ありがとう。ところで其処の子が例の新人の子? あたし
手を差し出してくる七緒に愛も自己紹介して手を差し出す。ぶんぶんと子どものように手を握った七緒は無邪気そのものだった。濃い化粧とピアスと茶髪さえやめれば、もっと可愛くなるのに、と内心思う。特に髪は女性の命だ。そう愛の母親が常々言っていたのを思い出す。そこでふとカオルがどうして黒髪から金髪に染めたのか気になった。動画に出ていた時や面接の時は黒かったのに。
「カオルさんってどうして金髪にしちゃったんですか?」
「もともと黒髪なんてガラじゃないしさ。金髪が一番落ち着くっていうか」
「? なら何で染めたんです?」
「広報活動の為さ。動画とかのね」
白河は言いながらステッキを置いて、コートをハンガーにかけた。軽装になった白河は事務所の片隅に置いてあるワインセラーからワインを選んで、取り出す。他の探偵事務所がどうだかは分からないが、ワインセラーが置いてある探偵事務所はきっとこの白河探偵事務所くらいのものだろう。ワインの他にも事務所の片隅にはウイスキーやウォッカ、ジンの瓶も置かれており、そこだけバーのようになっていた。勿論白河専用のバーだ。時々カオルがそこから白河が居ないすきにくすねているようだが、それについて白河が詰問したり糾弾したりしたことはない。間違いなく気付いてはいるのだろうが、怒らないあたりが白河らしいと思った。そもそも愛は白河が怒ったところを未だに見たことがない。
「新人ちゃんはキレーな黒髪なのね。可愛い顔もしているし、ウチの事務所のインスタとかツイッターに乗せてもいい? 動画だけじゃなく、希ちゃんのオフショット載せたらチョーバズってね。いいねをいっぱいもらえてすごいのよ」
「ああ、それなら私も見ました。白河さん、すごいですよね」
「まぁ性格はアレだけど顔は抜群にいいからね。でも新人ちゃん、黒髪なんて今時ちょっと珍しい感じするけど、染めたことはないの?」
七緒の問いに、愛は笑って答えた。
「ええ、実はないんです。母の影響で黒髪にしているんです」
「お母さんの? 仲いい親子なのね~! うらやましい! 今は一緒に住んでいるの? それとも一人暮らし?」
そう問われ愛の脳裏に在りし日の美しい母が浮かび、それから消えた。ああ、やっぱり少し寂しいと思うのは自分が幼さを捨てきれていないからだろうか。愛は首を振る。
「いえ、私が上京したので今は一人暮らしです」
「じゃあお母さんはお父さんと二人暮らしって感じ?」
父親、と言われてぐにゃりと一瞬視界が歪んだ気がした。父親。死。あまり今、この場では思い出したくないことだったが愛は正直に答えた。
「父は、私が幼い頃に亡くなってしまって」
声が自然と震えてしまいそうになる。だが、愛がそう言うと七緒が「しまった」というような顔をしてのぞきこむようにしてこちらを見た。百六十三センチの愛よりも身長が高い七緒は、百七十センチはありそうだ。七緒は困ったように眉尻を下げていた。
「やだ、あたし詮索しすぎた? 気を悪くしたらごめんね?」
「いえ、気にしないでください」
口では言いつつ、頭の中に浮かび上がってきそうになる昏い光景。父親。そう、愛の父親は、愛が十二歳の時に亡くなったのだ。殺されて亡くなった。それを人には言えない。言うようなものじゃないとちゃんと愛は理解しているからだった。
そのとき、
「父親はどうして死んだ?」
白河の声だった。見遣れば優雅にワインを飲みながら、酷薄な笑みを浮かべている。それでも尚、下品なところは一切ない。きれいなままだった。愛は答えようか迷った。だが七緒がすぐに庇うようにして声を上げる。
「ちょっと希ちゃん! デリケートな話にズカズカ入っていくのはナンセンス! すぐにそうやって分析しようとする癖、ちょっと抑えたほうがいいわよ? ただでさえ友だちが少ないのに、もっと少なくなっちゃう!」
七緒の言葉に、白河は声を上げて笑った。
「友人! これはまぁ愉快だ! 七緒、確かにそうかもしれないね。新人、無礼を許してくれたまえ」
相変わらずの上から目線で白河は物を言う。愛は「はぁ」と溜め息のような肯定しか返せなかった。白河は煙草に火をつけてふかす。
「しかし父親が逝去して母親が独居ね。上京して一人暮らしとは大変だ」
「確かにそうですが、一人暮らしって自由気ままで私には合ってます」
「ふうん。ぼくだったら耐えられないね。家に帰っても誰も出迎えてくれる存在がいないなんて寂しいことじゃないか」
その発言は大いに意外で「え!」と愛は思わず大声を上げてしまった。
「白河さん、誰かと同居しているんですか!?」
「うん」
うっとりと眼を細めて白河は言う。
「ぼくの可愛い猫たちと同居しているよ」
猫。
一瞬、それが隠喩なのかと思ったが、続く白河の言葉でそうではないと察した。
「一番大きな子がノルウェージャンフォレストキャットのジョゼくんで、二番目が三毛猫のタマキ、三番目がスコティッシュフォールドのダンゴで四番目が、」
「ちょ、ちょっとまってください。一体何匹飼っているんですか?」
やや遮るように言うと白河は「飼っているんじゃない。一緒に暮らしているんだ」と訂正を入れて続けた。
「四番目が黒猫のアンコ、五番目がブリティッシュフォールドのブリトニー。ブリトニーだけは名前が長いから、ブリ、と呼んでいる。どの子も可愛い子でね。ぼくは人間はそれほど好きじゃないが、猫は心から愛しているんだ。あの猫の可愛さはどんな名画家でも名作家でも、表現しきれないだろう。写真を上回るあの可愛さには、何か魔力か何かがあるとしか思えない。ねぇ、山崎さん?」
白河がそう同意を求めながら、山崎さんにも呑むかと尋ねる。山崎さんは「いただきましょうかねぇ」と相変わらずマイペースな調子で言ってワイングラスを受け取った。白河は煙草を咥えたまま革張りの椅子にどかっと腰掛け、両足をデスクの上に載せると優雅にワインを飲み始めた。どう見たってお行儀がいいとは言えないのに、白河がやると何でも様になる。うつくしいひとだな、と。白河を見る度に愛はどきどきとしてしまう。
けれど白河はそんなこと気付いていないのか――若しくは気付いていても無視しているだけなのか。窓辺で外を睨み付けるように立っていた岩垣に声をかけた。
「善男。キミもいい加減呑みたまえよ。むっつり黙り込んでるけど、どうせ解決も進展もしない事件のことばっかり考えているんだろう? キミのその頭の中でくるくる考えていることは、考えても仕方ないことだ。少なくともキミや駄犬のような脳味噌じゃあね」
「希ィ……てめぇは本当に人をおちょくる天才だな」
岩垣の顔が益々凶悪なものになる。普通の状態でも強面だというのに、こうして少ししかめ面をしただけで、人を殺しそうな形相だ。
けれど白河はそんなことは慣れっこなのだろう。飄々と岩垣に尋ねる。
「それで? 一体何をその小さな宇宙空間で考えていたんだい?」
「考えても仕方ねぇことを言って何になるって言うんだよ」
「考えても仕方ないけれど、キミの考えに興味がないとはぼくは一言も言っていない。さあ酒の肴になるような話をしてくれ。それともキミができないようであれば、ぼくが特別に今この場で講義のようなもの……ま、ただの蘊蓄でも喋ろうか?」
「蘊蓄だと?」
「あー、ガッキー。やめとけやめとけ。どうせまたクソ長い話が始まるだけなんだから」
そう言うカオルはソファーに腰掛けて対面に座った七緒と乾杯する。愛も買ってきた酒の中から缶チューハイを取り出すと、空いていた七緒の隣に座った。
「駄犬。お前は寝ていればいい。ぼくは今、善男と喋っているんだ」
「あーはいはい。わかりましたわかりました。どーぞ勝手に始めてください~」
カオルはひらひらと手を振って、勝手にしてくれとビールを呷っていた。七緒はというと意外にも興味津々といった感じで白河を見ている。山崎さんも岩垣も聞く体勢に入っていた。赤ワインを一口、口にした白河は「さてと」と薄く笑んだ。
「それじゃあプロファイリングの話をしよう。丁度いいタイミングだからね、うん」
こうして白河によるプロファイリング講座が、唐突に幕を開けた。
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