12 つくりものたち
「へ? え? 拾う? ゴミ捨て場?」
一瞬、周囲の喧騒によって聞き間違えたかと思って愛が繰り返す。
けれど答えは変わらなかった。
「その通り。言葉のままだよ。なあ、そうだろう駄犬」
白河は右手で煙草を唇に咥え、右手でライターの火をつける。
あれ、と愛は疑問に思った。
どうして左手を使わないのだろう。
けれどそんな愛の疑問をよそに話題は進んでいく。
反発するかと思いきや、カオルは白河の言葉に不承不承といったように肯定した。
「……へーへー、そりゃ私は拾われた犬ッコロですよー。ありがとうございますう」
拾われた犬。
そこは否定しないらしい。
否定できないのが悔しそうにカオルは唇を尖らせたが、その鬱憤を晴らすように肉をまた焼き始めた。この人の胃袋はブラックホールなのだろうか。見ていて清々しい食べっぷりである。
だがカオルは納得できても、全く2人の関係を知らない愛は疑問ばかりだ。
「で、でも拾うってどういう……?」
「そのままだよ。私が色々込み入った事情があって、ボッコボコにされてゴミ捨て場に捨てられたんだ。丁度おあつらえ向きに雨の日で……あれ、あれって秋だっけか?」
肉を頬張りながらカオルがまるで遊園地にでも行った時のことを尋ねるかのように言う。すると白河はビールを飲み干して、おかわりを頼んでから、答えた。
「今から四年前の十一月三十日のことだな。十一月だから数字の上では辛うじてまだ秋とは言えるだろうが、流石に下旬とあって気温は冬に近かった。確かあの日の、午後五時四十六分頃にぼくはキミを新宿歌舞伎町のゴミ捨て場で見つけて拾ったんだ。その時、ぼくは鬱陶しい付き合いで新宿に出向いた帰りで、もうキミは右腕は折れているわ、左足の関節は外れているわ肋骨二本は折れて顔も腫れて、下血もしていたし兎に角見るも無惨。ぼくの目から見ても酷い状態だったな。まあその後、心優しいぼくは救急車を呼んであげて更には治療費まで全額出してあげた訳だが、本当によく生きていたものだよ。瀕死ではあったが、女とは思えない強靱な肉体を持っていて良かったな駄犬」
ぺらぺらと喋った白河は最後、馬鹿にするように鼻で笑った。
カオルはそんな白河の、あからさまな嫌味に顔中に嫌悪感をいっぱいに浮かべた。折角の美人が台無しである。
「私は今、猛烈にお前みてーな性格破綻者に拾われたことを後悔している。あのままくたばっていたら今頃天国でハッピーに暮らしていたかもしれないからな」
ビールのジョッキを傾けて言うカオルに、
「キミが天国なんてあり得ないだろう。天国に今頃住んでいる皆さんに謝りたまえ」
白河が眉根をいっぱいに寄せて言った。その右手が煙草をもみ消す。そして新しい煙草を右手で取り出して、また右手だけで咥えて火を付けた。
左手はその間一切動いていない。
やっぱり気になってしまってつい、愛はその手に目がいってしまう。
その視線に白河は気付いたのだろう。
「さっきからぼくの手を見ているが、どうかしたかい?」
どうやら最初から気付かれていたようだった。愛は聞いてもいいものかと迷ったが、もうバレてしまった手前、聞く方が潔いと思い口を開いた。
「あ、いえ。その……左手、怪我しているんですか? 煙草を出すのもライターの火を使うの、右手だけだったのでちょっとだけ気になって」
「ふうん。なるほど」
白河は目を細めてじっと愛を見詰めた。琥珀色の美しい、瞳だ。
「興味深い。やっぱりキミは、興味深い存在だ。聡いのに凡庸。矛盾だ」
興味深い?
聡いのに凡庸?
どうして?
なぜそんなことを言うのか?
愛が多くの疑問符を浮かべている間に、愛の疑問を白河の代わりにカオルが答えてしまう。
「あー、希のヤツの左手、気付いていなかったのか。まあよく出来ているから、気付かないヤツの方が多いかもしれねーけど」
「よく出来ているって?」
愛の問いに対しカオルは肉をかきこみながら答えた。
「義手。義手なんだよ、左手。いんや、左腕半分から下って言った方が正しいか」
「え?」
思わず愛は声を上げて白河を見遣る。白河は気にした様子もなくまた煙草を吸い始めていた。この人、かなりのヘビースモーカーだ。しかも大酒飲み。
「そうなんですか? 本当に?」
信じられなくて見遣る。だが白河は否定しなかった。否定せずに煙草を吸う。
「駄犬は嘘は吐かないから本当だよ。ぼくの左腕は義手だ。なに、昔ちょっとした事故みたいなものに遭ってね。けれど昨今の義手の技術は素晴らしいとしか言いようがない。オーダーメイドでそれなりに値は張ったけれど、右手とそっくりだ。信頼のおける、腕の良い義肢装具士に頼んだ甲斐があったよ」
そう言うと白河は左手を持ち上げた。確かに、それは見事なものだった。愛が想像していた義手というと、もっと無機質的なもので違和感を覚えるものだったからだ。だが、白河の言う通り義手の技術は愛の知らないところで高くなっていたらしい。
事実、白河の左手は動かないという一点を覗けば、近くで見ても完璧な左手だった。実にうつくしい、申し分のない左手だった。
白河は作り物だが完璧な左手を下ろす。そして再び煙草をふかしながら言葉を紡いだ。
「こういった所謂『作り物』としては義手だけじゃなく、今の特殊メイクも随分すごいものだよ。うちの従業員でも得意な奴がいる。一昔前の映画やB級映画なんて見れたもんじゃないくらいのメイクだからね。色々なものがリアリティからかけ離れて、笑いすら起こるものがある。だが最近ゾンビ映画を見たんだが、死体になった女優の遺体メイクなんて最高の出来だとぼくは思ったね。きちんと『こう殺されたらこうなる』というのを考慮して特殊メイクされている。例えばそうだな……これは違う映画でミステリだったんだが、遺体の司法解剖のシーンできちんと死斑の違いが表現されていたことなんだ。その遺体の死因は青酸カリによる毒死だったんだが、死斑の色がきちんと濃いピンク色になっていてね。ああ、一応新人氏は知らないかもしれないから説明しておくと、死斑は死後一時間から十時間……この差異は死亡原因や遺棄環境によるんだが、兎に角死んだらできる斑点とさえ覚えてくれていたらいい」
言いながら白河はピンク色の肉を焼く。それは次第に褐色へと変わっていく。
「皮膚の表面に血液が溜まることによってできる死斑は通常、褐色をしているんだが、さっき言った通り青酸カリを使った場合は濃いピンク色になる。この色の違いが出るのは血液中のヘモグロビンと関係している。ヘモグロビンは何かと結合しているときはピンク色になり、結合していないときは褐色になる。つまり人が死ぬと通常は、体内の血中酸素が消費されてしまってヘモグロビンが何とも結合できず、褐色になる訳だ。もちろん、死斑が濃いピンクになる例は、青酸カリによる毒殺に限ったものじゃない。一酸化中毒や凍死なんかも死斑が濃いピンク色になることがあるね」
白河は焼いた肉を口に運び、頬張った。てらりと、その肉の脂が白河の形の良い唇を濡らす。よくもまあ死体の話なんかをしながら肉を食べられるものだ。けれど白河探偵事務所の面々はこんなことは日常茶飯事だというように、各々食事を続けながら白河の話に耳を傾けていた。かくいう愛も食欲を失うことはなかったが、先程カオルに盛られた大量の肉が胃にきていた。小食というわけじゃないが、それにしたって山崎さんを除く三人は食べ過ぎなくらいに食べている。大柄な岩垣はこれくらい食べても違和感はないが、細身の白河とカオルの胃袋は一体どうなっているのか。大層不思議で興味深いと愛は思った。だがそれより興味を引いたのは、白河の話のほうだった。
「さっきの話なんですが、白河さん。どうしてそんなに詳しいんですか? やっぱり、死体を見たことがあるんですか?」
まさかと思ったが愛は思い切って尋ねてみた。
白河はあっさり答えた。
「うん、あるね」
もぐもぐ、再び白河は肉を咀嚼する。
不思議と、ああそうなのか、と愛は納得してしまった。どうにも白河希というこの人間は、色々な意味での「死」を識っているような気がしたからだった。この奇妙な予感の根源は一体どこから来るのだろう。そう思って愛は問いを続けた。
「その死体を見たことがあるっていうのは、この仕事をしていてですか?」
口にしてから、あまりこういう場でするべき話題でないことに気付く。ここは「日常」だ。平穏な日常。しかも一目惚れした白河に対して印象が悪いんじゃないか。そんな危惧が一瞬胸に過ったが、すぐにそれは杞憂と分かった。
白河は端正な顔に微笑を浮かべると、
「そうだね。でも安心したまえ。例の殺人鬼の犠牲者にはさせないから」
ぼくの従業員にはね、と。そう白河は言うと、それまでの凄惨な話が嘘のようにどこかへと散っていった。
まるで魔法みたいだ、と愛は思った。白河の言うことや、白河の琥珀色の瞳や、並外れた容姿はどこか力がある。それこそ人の眼には見えない不思議な力があるんじゃないかと、一瞬でも信じそうになってしまうのだ。
白河は煙草を吸っては紫煙を吐き出して、煙の流れを目で追っている。その横顔は、神様に創られたもののように、うつくしい。どこもかしこも精緻に創られていて、天使みたいな容姿なのに、中身は悪魔だ――と言っていたのは誰だったか。
確かカオルがそんなことをぼやいていた気がした。中身は悪魔? 愛はよくそれが理解できなかった。
しかし奇妙な探偵事務所である。愛はチューハイを飲み干して事務所の面々を見てから最後に白河に視点をとめた。
そう、この白河希。この所長が兎角、変わっている。
変人とかの類いではなく、人の皮を被った「何か」のように思える瞬間があるのだ。
そう思ってしまうのは、あまりにも白河希という人間が美しいからだろうか。それともあの日本人離れした琥珀色の深い瞳が、そう思わせるのか。
いずれにせよ愛は、もっとこの白河希について知りたいと、思った。この誰かを「知りたい」と思う感情の強さは、今までに経験したことがないものだった。
一目見た瞬間からこのひとだと思うのは、少なくとも運命じゃないか――なんて。
そんなロマンチックなことを思ってしまうくらいには、愛も酔っていた。
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