11 肉回

 赤みを帯びたピンク色のホルモンをトングで摘まみ、網の上に置く。じゅわっと食欲のそそる音が鳴って、炭火で色を変えていく。

 愛は次々焼かれていく肉を前に、どうしたものかと思っていた。

 夕メシに行こうぜ、と提案したのはカオルで、代金は白河持ちで、この白河探偵事務所から徒歩五分の位置にある行きつけの焼き肉屋「北斗」に愛はいた。山崎さんはひたすら焼いたり、オーダーしたり、たまに食べたり。兎に角効率がいいため、愛の出番がない。折角隣には一目惚れした白河がいるというのに、白河はその薄い身体のどこに入るのかどんどん肉を口に放っていくばかりだ。カオルも同じ調子で食べているのだが、カオルもカオルで、あのスタイルの良さをよくキープできるものだと感心してしまう。


「おい、新人。その肉さっさと食べろよ。焦げるぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 カオルに箸で指摘され、愛は慌てて肉を箸で取った。そこでタレではなく塩を取ったところで、白河とカオルが同時に「あ」と声を上げた。何かしてしまっただろうか。愛が二人を交互に見ると、二人の目線は愛の持った塩に注目していた。


「新人……なんでタレじゃねーんだよ」

「え?」

「いいやキミは正しい。肉は塩で食べるほうがいい。タレは悪くはないが、塩がベストだ。キミは肉のことを正しく理解している」


 意味不明なことを白河は言う。どうやら白河は肉は塩で食べる派らしい。だがそれを気に食わないカオルはタレ派なのだろう。ビールジョッキをどんと机に置いて声を飛ばす。


「はあぁぁ? 焼き肉と言えばタレだろ! 焼き肉のタレはご飯に最高に合うんだよ!」

「ぼくは焼き肉はお肉様を尊重して食べるから、ご飯と一緒には食べない主義だ」

「また意味不明なことを言いやがって……新人、お前もご飯は食べない信者なのか?」


 食べない信者というのは謎だが、焼き肉の時にごはんを頼まないのは事実だったので愛が頷くと、信じられないといったようにカオルが声を上げる。


「ゲーッ、お前もかよ新人。山崎さん~まだタレ派のガッキーは来ないんですか~?」


 ガッキー。

 初めて聞いた単語だ。

 おそらく人の渾名なんだろうが、そんな人がこの白河探偵事務所にいただろうか。

 首をひねっていると、ガラガラと焼き肉屋の扉が開く音が聞こえた。そこからぬっと現われたのは、身長二メートル近くはあるんじゃないかと思われる巨躯の男だった。体格が良い、その強面の男の鋭い視線がこちらをとらえた。するとカオルが嬉々として「ガッキー!」と声を上げた。見覚えのある顔のような気がした。

 その「ガッキー」と呼ばれた男はあからさまに嫌そうな顔をしながら、空いた椅子に腰掛けた。丁度白河の真向かいだった。白河は肉を焼きながらガッキーなる男へとにこやかに挨拶した。


「やあ善男。今日も勤務ご苦労。何か成果はあったかい?」

「あったとしてもこんな場所じゃあ言えねぇよ。あとカオル。そのガッキーって言う変な渾名はやめてくれねぇか?」

「えー、だって岩垣善男で思いつく渾名なんてそれくらいしかないし」

「何でお前は俺にだけ渾名つけたがるんだよ」


 ぶつぶつ文句を言いながら岩垣はおしぼりで手を拭くと「それで」と白河を見た。


「お前の隣にいる女の子は誰だ? 新人か?」


 どうやら自分のことを言われているらしいと思い、愛は慌てて自己紹介する。


「はい、新しく入りました。北村愛です」


 すると岩垣はじろりと愛を値踏みするように見てから、白河へと視線を向けた。


「希、てめー……また顔で採用したのか? ろくな事になんねぇぞ」

「あ、やっぱりガッキーもそう思う? ほんと、ウチの所長様は面食いだよねぇ」


 私も含め、とカオルは豪快に笑ってビールをあおった。白河の反応は淡々としていた。


「そりゃ容姿は重要さ。勤勉な不細工と勤勉な美人だったら後者をとるだろう?」

「そりゃあそうだけどよ……」


岩垣は苦い顔をしながら愛を見る。


「でも何でまたこんなきな臭い探偵事務所に入ったんだ? 前職は?」 

「ええっと前職は保険の営業を……ここの探偵事務所のことは動画で見て」

「ああ、あの変な動画チャンネルか。しかし保険営業とは、そりゃあキツいわな。でもこの探偵事務所の仕事もなかなかハードっていうか、しんどいっつーか……」


 ちらりと岩垣が白河を見る。明らかに白河が問題児だと言いたげな視線だった。だが白河自身はそのことに気付いているのかいないのか。


「ぼくの事務所の中傷はやめてくれないかな? キミのところのようなブラック企業じゃあるまいし。ああ、企業っていうのは間違いだったね。けれどブラックなのは間違いないだろう? なあ善男」

「ブラックじゃねぇ。むしろやってることはホワイトだと俺は信じている」

「何のお仕事をされているんですか?」


 チューハイを片手に愛が尋ねると、岩垣は後ろ頭をがしがしと掻いて言いにくそうに顔をしかめていた。代わりに白河がさらりと「警察だよ」と答える。

 その答えに「ああ」と愛は納得がいった。

 岩垣善男。警察。名を十分に表した職業だ。


「かっこいいですね。でも警察官って大変なんじゃないですか? こう、危ない目に遭ったりだとか……」

「まあ、大変だな」


 岩垣は否定することなく、頼んでいた烏龍茶を片手に答えた。やはり大変なのかと愛は思った。白河は肉を焼きながら、大変だってさ、と小馬鹿にするように笑う。岩垣は眉根をぐっと寄せて、いっそ悪人面という顔つきになって、白河の焼いた肉をかっさらっていった。あ、と白河が間抜けな声を出したが殆ど気にしていないようだった。


「希、てめーのところみたいなチャランポランな探偵事務所とは違って、俺たち警察官たちは日夜問わず駆け回ってんだよ。正義のためにな」


 ふんと鼻を鳴らした岩垣に、白河は形の良い眉をつり上げた。


「キミ、ちゃらんぽらんとは失礼だな。特に真面目に働く山崎さんに失礼だ。謝りたまえ。山崎さんがいなくちゃウチの事務所は回らないんだ。山崎さんは優秀だぞ。このぼくが、彼こそが現代の名探偵だと認めているんだから。ちなみにここで言う探偵は、何度も言う通り殺人事件を解決するような探偵じゃない。現代的な探偵という職業において、この人畜無害そうな老紳士の山崎さんは向いているどころじゃない。天職だ。本当にいつも山崎さんがウチの探偵事務所にきてくれたことを感謝しているよ」


 静かにお茶漬けを食べていた山崎さんは、白河の熱弁に対し、少し照れたように「そんなことありませんよ」と言う。本当に山崎さんは温厚な初老紳士だ。岩垣はそんな謙虚で実直な山崎さんにはどうやら弱いらしい。う、と声を上げた。


「す、すみません。山崎さん。決して希の奴がちゃらんぼらんなだけで、山崎さんは素晴らしい従業員さんだと俺は思っています。探偵事務所がチャランポランというより、希がチャランポランなんです。分かってください」

「いえいえお気になさらずに。それに希くんも随分と働き者ですよ、岩垣さん」

「はあ……希、お前は山崎さんみてぇな人を雇えて本当に幸せ者だな」


 じろりと岩垣が言うと、白河は「そうだね」と力強く頷いた。


「それより善男。折角来たんだ。肉なんて悠長に食べてないで、例の事件について何か喋ってくれたまえよ。何のために今日ここに呼んだと思っているんだ」


 その白河の発言に、岩垣は眼を一杯に見開いた。


「はあ!? お前、こんな場所で捜査状況を話せる訳ないだろっ!」


 一際大きな声を上げて言う岩垣に白河が呆れた眼差しを送る。


「善男、声がでかい」


 店はガヤガヤとうるさく、幸いちょっと見られるだけで済んだが岩垣は居心地悪そうに、


「う、うるせぇな」


 と言って烏龍茶をちびちびと飲んだ。


「大体、お前ら一般人に捜査状況を教えられるかよ」


 岩垣はこそこそ話をするように、大きな身体を少し屈めて言う。確かに個室でもないオープンな焼き肉屋なので、遮るものと言えば酔っ払い客達の笑い声や話し声しかない。それなのに白河は全く気にした様子もなく続けた。


「捜査状況なんてどうでもいい。そんなカサカサのパンみたいな話は焼き肉の場に相応しくないだろう? ぼくは警察ではなくいち個人としてのキミが、今世間を騒がせている連続殺人鬼についてどう思うか聞いてみたいんだよ。いいかい、キミ自身の考えだ」


 仕事の仮面は捨てたまえ、と。

 白河は細長い指で煙草を挟んで、ふう、と煙を吐き出す。

 愛は嫌煙家ではないし、かといって愛煙家でもないが、惚れた相手が煙草を吸うのはなかなか様になっていて良いなと思った。ただ、こんなにも綺麗な人だから、肺が汚くなっていないといいが。


「俺個人? 俺個人っていわれてもな……そうだな、ぶっとばしてやりてぇってことくらいしか言いようがねぇな」


 岩垣の答えに白河は興ざめというように溜め息を吐いて、冷ややかな視線を送った。


「まあそう言うと思ったよ。気持ちは勿論分かるがね。だが善男。これじゃあキミと駄犬はほとんど同じレベルじゃないか」

「誰が駄犬だ、希ィッ!」


 肉を食うことに夢中になっていた筈のカオルだが、ちゃんとその耳には届いていたらしい。けれど白河は冷ややかに「駄犬は駄犬だ」と言う。愛はそんな白河に言う。


「あの……白河さん。カオルさんみたいな、あんなにきれいな女性に駄犬って言い方はちょっと言い方が悪いというか、酷すぎるというか……」

「おっ新人! いいこと言うじゃんか! ほらほら肉食べな」


 気をよくしたカオルがトングで肉をどんどん愛の皿に盛っていく。ありがとうございます、と言いながらも愛はこれ以上は乗せられまいとさり気なく皿をよけた。


「キミ」


 白河の凜とした声が隣から響き、愛は慌てて反応する。


「あ、はい。何でしょう」

「この女は確かに見た目はいいが、中身は犬以下だ。言葉遣いも性格も難ありだし、何よりぼくがこの駄犬を拾ったんだ。──汚いゴミ捨て場でね」


 汚いゴミ捨て場。

 そこでカオルを拾った、と。

 そう、にっこりと白河は笑って言った。


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