10 ──殺人鬼の独白:2──

 彼女は緩やかに沈黙の海へと流れ出していた。

 長く艶やかな黒髪を床に広げ、その白い四肢は結われている。結束バンドなんて俗っぽいものでしか締め上げられないのが憎い。本当はもっと綺麗なもので結わきたい。ブーケを彩るリボンのようなものが、美しい蝶に羽化する前のサナギに相応しいのだから。

 

 本当はもっともっと、きれいに殺したい。

 

 いや、殺したい、というのだろうか。分からない。

 殺したくて殺しているのか、それとも蝶を作る過程で殺してしまうのか、自分がどちらに対して昂奮を覚えているのか。曖昧なところがある。

 ただ背中を刺す瞬間だけは、少し興ざめする。

 蝶を捕まえようとするために色々と用意しなければならないような、そんなある種の面倒くささがあるのだ。だからただ刺すこと自体には昂奮を覚えないのだと思う。

 刺すのは、蝶を網に捕らえて身動きを取れなくするためで。

 次第に精度は上がっているけれど、やはり傷の少ない遺体のほうが、うつくしい。いや、余計な傷が少ない身体だからこそ、赤い蝶が映えるのだ。標本と一緒だ。どんなに捕まえたものがうつくしくても、捕えた過程でぐちゃぐちゃになってしまえば台無しだ。けれど人を昏倒させる薬物など手にできない自分にとって、方法としてはこれがベストだった。

 これはもう自分を納得させるしかなかった。光と影があるように、表面だけがきれいであればそれでいい。

 もう一度彼女を見る。彼女の喉からは細い、ひゅー、ひゅー、という声が聞こえる。可愛らしい声だと思った。その目と唇は薄らと開いたままで、ひどくそそった。女性らしい肌理の整った白い肌も、まろやかな乳房も、曲線を描くくびれから腰にかけてのラインも、すべてがうつくしかった。その背には深い刺し傷がいくつかあるのだけれど、これは裏面だから気にしないことにする。それよりも彼女のうつくしさは、まだ内側に秘めたままだ。

 これから羽化させなければならない。

 手に馴染んだナイフを持って、傷一つない腹部に刃を入れていく。ああ、と彼女が喘ぎ声のような声を上げて、それがますます自分を興奮させた。けれど人間の脂は刃をすぐ駄目にするので、切っては拭いてを繰り返し、ゆっくりと十字に切裂く。切れ目を入れたといった方がただしいのかもしれない。あとはナイフを手を使って、四方へと思い切り引っ張る。ここで引っ張る力が足りないと、折角浮かした翅が閉じてしまうから気をつけなければならない。かたかたと震えていた彼女の身体は完全に、いつの間にか沈黙してしまっていた。それが少し残念だった。

 以前のあの若い青年は、もっと可愛らしかった。涙を流したあの理由は何だったのだろう。絶望か、怒りか、恐怖か。いずれにせよ苛烈で、けれど静かな涙だった。あんまりにもうつくしい涙だったので、口づけをしたくなったが我慢した。

 それにああ、何て失礼なことをしてしまったのだろう。

 今目の前にいるのは彼女だといいのに、違う男のことを考えるなんて。

 自責しつつ、改めて腹に蝶の翅を開かせた彼女を見て、小さく笑った。はあ、と感嘆の溜め息と共に下半身が熱くなる。

 彼女は中身もやっぱりとてもきれいだった。赤いルビーのような臓腑が詰まっていて、それに触れる想像をするだけで背筋がぞくぞくとし、快楽が波打って襲ってきた。この臓腑にキスができたら、きっと言い知れぬほどのオーガズムを感じるのだろう。

 それをやりたい。

 けれどできない。

 だから、何度やっても何度やっても何度やっても、きっとこれは止められない。

 なにせ戯れの時間はいつも短いのだから。本当は家に持ち帰りたいくらいだけれど、仕方ない。それに今は、別のものが自分にとって興奮の対象になってくれている。それを見つけられたのは幸運だ。

 きっとあの出会いがなかったら、一生気付かないままだったと思う。

 彼女も彼も皆、自分の戦利品だ。家に持ち帰らなくともいい、大切な思い出。

 それをいつだって巻き戻すことができるのだから。

 

 ああ、本当に自分は幸運な星の下に生まれていると思う。

 

 だって、あんなに美しいひとも見つけられたのだから。

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