08 鍵の矛盾
「はあ? 黒髪?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった岩垣をよそに、白河は勝手に喋り続けた。
「いやね、犯人の気持ちになって被害者の共通項を探していたんだ。彼女……ええっと三人目の被害者の、清水ゆかりさん。黒髪だね。今時珍しいとてもきれいな黒髪をしている。黒髪がブームだとか言うのを一時期聞いたことがあるが街を歩けば染髪している若い女性の方が圧倒的に多いように感じる。ほら、この清水さん。メイクもネイルもまぁそれなりにちゃんとしているように見える。ああ善男。これだけじゃ足りないから次合う時はもっと写真を持ってきてくれ。本当は現場を見てみたいんだが……まあそれはそれとして。兎に角、おしゃれにそれなりに気を遣っている若い女性が黒髪というのは珍しいといえば珍しいように思えたんだ。だからぼくの眼をひいた。そして、もうひとつ」
白河は一本指を立てて言葉を継ぐ。
「一人目の被害者の杉本花菜さんも黒髪だった。もちろん彼女は高校生だから校則もあって黒髪なんだろうけれどね。でも黒髪は鍵だよ、鍵」
「黒髪が関係しているとでも言いてえのか? だったら矛盾するだろ。二番目の被害者、小林悠は男だし髪は金髪だ」
「ふうん。そう。それじゃあ警察の見解はどうなの? 聞かせてくれたまえよ」
ビール片手にさあどうぞと促す白河に、岩垣は眉根を寄せて答えた。
「犯罪分析家のご意見も踏まえていうなら犯人はおそらく男性で、年齢は二十から四十才。性的不能により被害者を刺すことで快感を得ている。だからバイセクシャルということになるが、周囲にはそのことは黙っている。争った形跡もなく被害者をどれも自宅で殺していることから、顔見知りの犯行だと――」
「あはははははは! 本気か? 本気でそんなことを言っているのか? だとしたら今すぐその犯罪分析家の首を刎ねたほうがいい! それをおすすめするね。だいたい二十代から四十代って幅が広すぎて絞りきれていないに等しいじゃないか。十代、五十代はなぜ除外されたのか、ぼくには大いに謎だ!」
遮るように言うと、愉快愉快というように煙草をふかした。煙を真っ向から顔面に浴びた岩垣は思い切り噎せ込みながら白河を睨み付けた。
だが、白河はそんなことはお構いなしに喋りだした。
「バイセクシャルというのは不確定事項だ。少なくとも必ずしもこの殺人はバイセクシャルに限ったものじゃない。異性愛者が犯人でも何らおかしくないだろう」
「じゃあ何で二番目の被害者は男だったんだ?」
「人を殺すことに快感を得られるなら、男も女も関係ないだろう? この犯人の場合、殺人だけじゃなく、腹を切り開く行為にも快感を感じているようだし、被害者の条件として今のところ分かるのは『被害者の容姿が人並み以上』ということかな。ああ、あと顔見知りの犯行という線も消せないがおそらく低いだろう。もしも自宅に招き入れられるほどの仲であったら、とうに容疑者は捜査線上に浮かんでいるだろう? けれど善男、キミのその浮かない表情を見る限り容疑者は1人として浮かんでいないように見える。それから性的不能というのも疑わしいね。よくナイフは男根の象徴だと言うと、それなら何故被害者は背中から何度も刺されたあと、切り開かれ、挙げ句の果てにはしっかりと釘で留められたと思う?」
問いかけられても岩垣は困るばかりだ。岩垣は警察であって殺人犯ではない。それでも岩垣は想像力を巡らせて、どうにか答えを捻り出した。
「切り開いて、蝶の翅みたく釘止めするためか?」
「そう、犯人が被害者を背中側から襲って刺したのは身動きを取れなくするためだとぼくも思う。結束バンドで固定し、切り開き、釘打ちすること。それが本命じゃないか?」
それは確かに白河の言う通りだと岩垣も思った。岩垣も性的不能がどうたらと言う部分には違和感のようなものを感じていたからだった。これは現場に実際に立った岩垣の印象からだが、あの場の空気は性的なものとは全く異なるものに感じた。
だがそんな刑事の直感など採用されるわけがない。警察にとって重要なのは犯人と、その犯行を示す確固たる物的証拠なのだ。状況証拠だけでは弱い。
「犯人の目的は確かにてめぇの言う通りなのかもしれないがよ。何でてめーは黒髪が鍵だって言うんだ?」
「直感さ。ぼくは警察じゃあない。直感で動いて何が悪い。それに餌も撒いた」
「餌? 何言ってんだ?」
まるで白河の言うことが理解できない。ふんと白河は鼻で笑った。
「まぁ、こっちの話さ。今の所確率はイーブンってとこかな」
「何してんのか知らねぇが、結局お前は何一つ分かっちゃいないってことじゃねぇか」
「そうだね。そうかもしれない。だってぼくは探偵じゃないからね。シャーロック・ホームズや探偵小説、漫画、映画に出てくるような名探偵とは全く違うんだ。トリックなんか使われた日には丸一日かかっても分からないだろうね。ただ唯一言えることは、犯人は被害者の自宅に穏便に入れるくらいには信頼を得られる存在、ということだ。ここでの信頼っていうのは別に顔見知りだとか、そういうレベルじゃない。いやそういう次元の話じゃないと言ったほうが正しいかな」
「どういうことだ?」
何を言いたいのか分からず岩垣が尋ねると、白河はじとりと眼を細める。
「善男。たまには自分の頭でも考えてみろ。そのちっぽけな脳味噌を活性化させるチャンスだ。頭がうまく働かないというのなら酒でも飲みたまえ。岩みたいに固っ苦しい頭を柔らかくしてくれる。それかブドウ糖をとるといい。手近なブドウ糖と言うとお菓子のラムネだろうか。だがここは居酒屋なので、矢張り酒を飲むといい」
「酒を飲んだら普通は思考力が落ちるもんだろ」
岩垣はそう反論して烏龍茶をちびちびと飲む。白河がおかしいのだ。酒をいくら飲んでもちっとも酔わない。それどころかアルコール依存症かと疑うほどにアルコールを日常的に摂取している。いつか肝硬変になっちまうぞ、と岩垣が言ったことがあったが、白河はご心配ありがとうと言うだけだ。
そんな白河は岩垣から答えが出ないことに焦れたのだろう。
「それよりぼくが気になるのは被害者の特徴の方だ。これが全く分からない問題だ」
白河は「難題だ」と繰り返した。
「さっき言ってた被害者の髪の色のことか?」
岩垣が疲れたような声を出す。黒髪、とか言ってたか。けれど黒髪が何だというのだ。岩垣には理解できない。けれど白河は正反対に、何処かご機嫌そうにさえ見えた。
「そうとも。一番目の被害者が黒髪、二番目が金髪、三番目が黒髪……それじゃあ四番目は何が来るか? 四番目の被害者が出るかは分からないが、これで金髪だったら規則性が産まれてくるね。勿論、一番良いのはこれ以上被害者が増える前に、犯人を警察の方々が見つけられることであり、ぼくはそれを祈ってはいるけれど」
「規則性って、つまりあれか? 黒髪の次は金髪、金髪の次は黒髪、っていう」
「そうそう。黒、金、黒、金……そうやって髪の色を交互に変えて殺すという規則性が産まれてくるんだが、それはそれで困ったことになる」
「困ったことになるってどういうことだよ。分かりやすくなったじゃねぇか」
まるでオセロみたいだと岩垣は思う。けれど白河にとってはそうではないらしい。
「逆だ。いいか善男。加害者の気持ちになってみろ。殺人鬼の気持ちだ。黒髪と金髪に拘るから殺すのか。それとも無差別に殺して偶然、金髪と黒髪になったのか。はたまた敢えて黒髪と金髪を狙って殺すことで捜査を攪乱させようとしているのか。どれもあり得るだろう。だが前者の……黒髪と金髪の二つに拘って殺しているという可能性は低いとぼくは思う。何故ならこの犯人は強い拘りを持っている。黒髪と金髪という対照的なものを選択するのか……? だが3人の遺体の状況や容姿から考えても、犯人は敢えてあの3人を選んでいるように思える。容姿は人並み以上ということは、とても大事な鍵だ。だがそうするとやっぱりおかしい。どうして一人だけ金髪なんだ? いや、それを考えると二番目の被害者だけ男だったのも、おかしいのか? 黒髪は明らかな鍵なのに……分からない。意味不明だ」
白河はまるで仲の良い友だちが「何故あのガールフレンドを選んだのか?」を悩むような口ぶりで語る。そんな幼馴染みに思わず溜め息を漏らす。
「さっきから色々言っているが、犯人が黒髪に拘るだとかそういうのは、あくまでお前の意見だろ。ただ単に被害者たちの容姿が良かったから殺した。それだけで殺すには十分だった。それだけかもしれねぇじゃねーか」
「確かにそれもあり得る。だが善男。そんなぼくの何の意味も為さない、妄想にも等しい意見が聞きたくて、キミはこうやって何度もぼくの所に足を運んでいるんだろ? 今までの事件だってそうだったじゃないか。ぼくとキミは謂わば同盟を組んでいるんだから、ぼくのやり方に今更ケチつけるなよ」
同盟。
確かにその通りだった。
岩垣善男と白河希は同盟を組んでいる。
決して正しくない道を共にしている。
だが後悔があるかと言われれば岩垣はノーと答えるだろう。
白河が何を考えているかは分からないが、非道徳的な人物ともいえる白河の中にも、ある種の「信念」があるのには違いない。幼馴染みの心は相変わらず見えないが、それだけは直感していた。
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