03 白河探偵事務所


「何度も言うが、ぼくは探偵じゃあない」


 今日も白河探偵事務所はその常套句で始まった。


「キミの海馬は死んでいるのか、駄犬。キミの求めるようなシャーロック・ホームズや名探偵ポワロなんていう人々のロマンかき立てる存在は、もうこのコンクリートジャングルからは追い出されちまって、空想の世界の中にしか存在しないんだ。現存する探偵といえば、せいぜい浮気調査から猫探しなんていったもので、有り体に言えば小間使いのようなものだよ。かといって、ぼくはそんな現代的探偵でもないがね」


 キッパリと。

 白河探偵事務所の所長である、白河希しらかわのぞみはそう言い放った。

 希という名は些か女性的だが、白河は非常に見目麗しい男なので不思議と似合っている。――と、白河探偵事務所の従業員である北村愛は思っている。


 柔らかな黒髪は少し癖があるが、きれいに整えられている。鼻梁はすっと通っていて、唇の形も良く、長い睫毛に縁取られた瞳はアーモンド型の良い形をしている。なにより特徴的なのが瞳の色で、白河の瞳の色は琥珀色の、日本人とは思えない不思議な色合いをしている。その瞳は角度によっては時折、強い黄金のように輝くのだが、そんな瞳でじっと見詰められると、時々美しさを通り越して何か怖しささえ感じるほどだった。とは言いつつも、あんな美青年に――いや青年とはいっても既に三十路を過ぎている男性――に見つめられ微笑まれたら、大半の女性はイチコロだろう。


 だがたった今、白河に駄犬呼ばわりされた「カオル」という女性には、白河の美貌など露ほども効果が無いようだった。むしろ猛犬のように犬歯を剥き出しにしてカオルは白河に食ってかかった。


「お前はいっつも探偵じゃあねぇって言うが、じゃあ一体何なんだっていうんだよ? そもそもこのビルにぶら下げてる看板ちゃんと見えてるか? 【白河探偵事務所】なんてリッパなもんがぶら下がっているじゃねぇか」

「駄犬。探偵事務所と書かれているからといって、所長であるぼくが探偵であるなんて、ぼくは一言も明言していない」


 確かに白河は一度も自分が探偵であると云ったことはなかった。

 白河は部屋の奥にある重厚なデスクで優雅に紅茶をすする。カオルは言い返せないのか、ぐるる、と唸るように白河を睨み付けた。そのままかみ殺しそうな勢いだが、カオルは何だかんだ白河に逆らえないのだ。それが不思議で以前その理由を白河に尋ねてみたところ、


「あれは駄犬だが忠犬でね」


 とのことだった。意味不明だったが追求するのはやめておいた。

 そんな駄犬であり、忠犬ともいえるカオル。言葉遣いは荒く態度は粗暴ともいえる問題児だが、顔立ちはとてつもなく整った、魅力的なおんなだった。美女、というより美女と美少女の狭間をいくような何処か危うい美しさをもっていた。年齢的には二十四、五ほどなのだが、見た目だけで言うと二十歳前にも見える。兎角、美人なのだ。

 ただし口と態度が相当、悪い。

 そしてその「飼い主」である美青年の白河も相当、性格が悪い。


 二人揃って黙っていれば大変人目を引く美男美女なのに性格破綻者ときている。そこが残念なポイントである。ポジティブに言えば個性豊かと言うべきだろうか。

 兎に角これが白河探偵事務所におおよそ一ヶ月程前から仕事に就いた、北村愛の白河探偵事務所に対する印象だった。ほぼ毎日繰り返される、カオルの罵詈雑言はこの白河探偵事務所のほぼBGMと化している。だがベテラン職員である老紳士の「山崎さん」は全く気にしないで仕事をしている。正直この探偵事務所の看板が落っこちないのは、ひとえに素晴らしき勤労者である山崎さんのおかげだと愛は思っていた。


 思っていたのだが――実際のところ、それだけではないらしい。


 なぜなら今まさに大金が絡んだ大仕事が、この白河探偵事務所に舞い込んできていたからだった。


 事の発端は愛が入社して二週間ほど経ったころ。今月十月十日のことだった。

 ひとりの女性がこの白河探偵事務所の扉を叩いた。女の名は小林茜(こばやし・あかね)と言い、連続殺人事件の第二の被害者、小林悠の姉だった。


「犯人のことが知りたいのです」


 静かにそう切り出した小林茜には感情が一切なかった。感情というものを全て削ぎ落とされたような表情と、対して鋭利に研がれた刃のような眼差しが印象的だった。

 白河はそれから、不思議な問答をした。


「キミはどこからここに?」

「岩垣さんからここに」


 岩垣、という名前に愛は聞き覚えがなかったが、被害者と白河を繋ぐ関係者なのだろう。少なくとも白河は承知したように、足を組んで鷹揚に頷いた。


「なるほど。では、キミは全てを承知で知りたいと願うんだね?」

「ええ」


 小林茜は迷いなく頷いた。


「だってそのための事務所でしょう? ……いえ、そのために、あなたにこうして会いに来たんですから」

「なるほど。確かにその通りだ」


 それに、と白河はじっと、あの琥珀色の瞳で小林茜を見詰めた。


「キミは覚悟ができている。そういう眼をしている」


 白河はそう言うと、


「報酬は百万になるけれど、それでも構わないかい?」


 とんでもない料金をふっかけた。

 いや、ふっかけたというより白河は冗談のかけらもなく本気だったし、それを聞き届けた小林茜も本気だった。顔色一つ変えることなく本気で、その白河の要求に応えた。


「はい。不安なら前金として八割お支払いします」

「いやそれには及ばない。キミはあらゆる覚悟をして、ここに来ている人間だから」


 白河はじいっと、もう一度琥珀色の瞳で小林茜を見たあとそう言った。小林茜は決してその間、目を逸らさなかった。

 いくばくかした後、白河は「ふむ」と納得したように視線を逸らした。

 それから山崎さんの淹れた紅茶を一口、口にすると、


「よろしい。キミの依頼、承ろうじゃないか」


 と鷹揚に頷いたわけである。

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