第11話 起爆
翌日、安田は歌舞伎の余韻を引きずりながら仕事に向かった。昨日の公演で感じたことが、どこか自分の中で起爆剤のように働いていた。過去の自分を直視し、少しずつでも向き合おうとしている今、その先に何か新しい世界が広がっているような気がしていた。
仕事中、電話が鳴った。伊東からだった。安田は一瞬迷ったが、すぐに受話器を取る。
「安田か?」伊東の声は、少し険しい感じがした。
「うん、どうした?」安田は少し緊張しながら答える。
「実はさ、ちょっと聞いてほしいことがあって…」伊東の声に、いつもとは違う重さが感じられた。安田は少し心配になった。
「どうしたんだ?」安田はその声に反応し、真剣に耳を傾ける。
「赤井のことなんだけど…」伊東は少し言葉を選んだ後、続けた。「実は、俺、あいつに何かをしでかしてしまったんだ」
安田の胸がざわつく。赤井という名前は、彼と伊東の間で過去に何度も語られてきた。あの公園での出来事、そしてそれに続く後悔と怒り。だが、伊東が何かをしでかした?その言葉に安田は耳を疑った。
「何を?」安田は言葉を絞り出す。
「ちょっと…いや、かなり後悔してるんだ」伊東の声がしばらく沈黙した後、ゆっくりと続いた。「俺があいつに対してやったこと、それが今になって、すごく重くのしかかってきてる。歌舞伎を観に行ったとき、あの忠信みたいに、過去の自分を向き合ってみたけど…どうしても許せない」
安田はしばらく黙っていた。伊東が心の中で抱えているものが、今まさに爆発しそうだということを感じ取った。それは、あの歌舞伎での気づきと同じように、過去の膿が今、表面に出ようとしている瞬間なのだろう。
「伊東、どうしたらいいと思う?」
安田は静かに尋ねた。
「俺、どうしたらいいんだろう…。でも、なんかこのままじゃ、俺自身が壊れそうな気がする。あのとき、あいつを傷つけたのは俺だってわかってる」
伊東の声に、限界が近いような響きがあった。
「まずは、向き合うことだろうな」安田は言った。「歌舞伎のあの忠信みたいに、過去を正直に見つめて、向き合う。それができたからこそ、俺は少しずつ前に進めてるんだろう。お前もそれをやってみろ」
伊東はしばらく黙っていたが、やがて深い息をついた。「ありがとう、安田…。少し、気持ちが軽くなった気がする。今度、あいつに会ってみようと思う」
「それがいい。どうせ、逃げても意味ないからな。向き合って初めて、何かが変わるかもしれない」
安田はそう言い、電話を切った。
その日、安田は仕事を終えた後、ふと思った。伊東の中にあった引っかかりが、歌舞伎のようなものを通じて少しずつ動き出したことを、安田自身も感じ取った。そして、同じように自分の中でも何かが動いていることに気づいた。
翌週末、安田と伊東は再び歌舞伎を観る約束をした。その日が、二人にとって新しい一歩を踏み出すきっかけになることを、安田は期待していた。何かを乗り越え、過去を清算することで、心に重くのしかかっていたものが少しずつ軽くなっていく。そして、少しずつではあるが、自分の未来が見えてくる気がした。
その夜、安田は改めて自分の心に向き合った。過去の自分を捨て去ることができるのだろうか。その答えはまだわからないが、少なくとも一歩踏み出す勇気を持っている自分がいることを、感じていた。
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