第6話 伊東
その後、安田と赤井は何気ない会話を続けながら、歩きながら時折立ち止まることもあった。街の雰囲気や、仕事のこと、家族のこと、そしてお互いの近況など。話が尽きることはなかったが、やがて赤井が口を開いた。
「そういえば、伊東さん、元気にしてるかな?」
伊東――その名前を聞いた瞬間、安田の胸に一瞬の懐かしさとともに、少しの複雑な気持ちが浮かんだ。伊東は学生時代、安田や赤井とともによく行動していた仲間だった。しかし、卒業後に少し疎遠になり、最後に会ったのはもう何年も前だった。
「伊東か…」安田はしばらく黙って考えた。「元気だと思うけど、どうだろうね。あんまり連絡は取ってないな」
「俺もだ」赤井は少し寂しげに肩をすくめた。「あの頃はよく一緒にいたのにな」
安田はふと思い出す。伊東はとても真面目で、少し控えめな性格だった。学問にも熱心で、仲間内ではその堅実さが頼りにされていた。しかし、いつの間にか連絡が途絶え、再会することはなかった。
「でも、あの頃の伊東って、みんなにとっては大切な存在だったよな」安田が言うと、赤井も頷いた。
「そうだな。伊東がいたから、みんながあんなに充実していた気がするよ」赤井は少し遠くを見るような目をして言った。
その言葉に、安田も改めて伊東のことを思い返していた。あの頃、伊東はいつも何かを教えてくれたような気がする。彼の冷静で賢明な判断が、グループの中でしばしば軸となっていた。どんなに忙しくても、伊東だけは毎日きちんと計画を立て、心を落ち着けて過ごしていた。
「もし、今も彼がここにいたら、きっとまた集まって、あの頃みたいに楽しく過ごせるんじゃないかと思うよ」安田がぽつりとつぶやくと、赤井も同じように感じていたらしく、静かに頷いた。
その時、突然、赤井がスマートフォンを取り出して画面を確認し始めた。「あれ、伊東からメッセージが来てる…」
「え?」安田は驚いた。何年も連絡がなかったのに、今になって急に?赤井が表示されたメッセージを読みながら、顔を上げた。
「久しぶり。実は今、銀座にいるんだけど、偶然にも安田さん、赤井さんが近くにいることを知ったんだ。ちょっと立ち寄ってもいいか?」という内容だった。
「これって…本当に伊東?」安田は思わず言った。
赤井も驚きながら笑った。「まさか、こんなタイミングで!どうする?」
安田は少し躊躇したが、すぐに決心がついた。「じゃあ、行こうか。こんな偶然、滅多にないだろう」
二人はメッセージに返信して、指定されたカフェに向かうことにした。途中、安田は心の中で少しだけ期待していた。何年かぶりに会う伊東が、どんな姿で待っているのか、どんな変化を遂げているのか。そして、あの頃のように、どんな会話ができるのだろうかと。
カフェに到着すると、窓際の席に一人の男性が座っていた。その背中には、あの頃と変わらぬ落ち着きと穏やかさが漂っていた。安田が少し息を呑みながらその姿を見ていると、伊東はゆっくりと振り向き、微笑んだ。
「お待たせしました。やっと再会できましたね」
その微笑みは、何も変わっていないように感じられた。安田は思わず笑顔になり、赤井も肩を叩いてから席に着いた。
再会の瞬間。時間は確かに流れていたが、何か大切なものは変わらず、そこにあった。
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