第4話

 翌日以降は辰麒もちゃんとした訓練をしてくれるようになった。

 準備体操の後は武器や体術の訓練、他にも座学があり、毎日が忙しなく過ぎていく。

 そんなある日、春河と辰麒は真羅から呼び出された。


「都から半日いった場所で妖魔絡みの事件が起こった。すぐに調べに行ってこい」

「……まさか、こいつと、ですか?」


 辰麒が顔を顰めた。


「当然だ。習うより慣れろだ。百度の訓練より一度の実戦だ。そいつの神器の能力が分かったら報告しろよ。春河。俺だけじゃない。みんな、興味津々なんだからよ」

「わ、分かりました」


 初任務という言葉に棟がどきどきして、緊張してくる。

 春河たちはその日のうちに、都から半日いった場所へ向かう。

 愛用の朱塗りの棍を背中に負い、馬にまたがった。

 一方の辰麒は武器らしい武器はなにも持っていなかった。

 彼の神器はそれだけ強力なものだということか。


「先輩の神器はどんな能力なんですか?」

「お前が知る必要はない。見世物じゃないんだ」

「誰もそんなこと思ってません。ただ神器の持ち主にはその異能が分かるはずなのに、未だに分からないのは、私に問題があるのかなって」

「別にお前が未熟だから分からないって訳じゃねえだろ。今まで一人しか主人と認めてこなかった偏屈な神器だ。これまでの常識が当てはまらないこともあるだろ」

「えっと、慰めてくれてます……?」


 春河はやや驚きながら、恐る恐る聞く。


「落ち込まれて足手まといになったら邪魔なだけだからな」

「嘘でも優しい言葉をかけてくれてもいいんじゃないですか?」

「意味がないことはしない主義なんだよ」


 やがて、野原にある池の畔に到着すると、馬を下りた。


「報告書によると、この池で女の死体が浮いているのが見つかった。遺体はまるで干物みたいにからからに乾いていたらしい」

「妖魔、ですよね」

「そう怯えるな。お前は黙って俺のそばにいろ。下手に動かれると足手まといだしな」

「……先輩、一言多いって言われませんか」


 辰麒は無言で肩をすくめた。

 水は濁り、底が見えない。

 被害者の女性が住んでいた村に立ち寄って話を聞いたところによると、この辺りではたびたび行方不明者が出ているらしい。

 そのため、この辺りの人々は魔除けの松明が必須だったらしい。松明は祈祷を受けた木材に火を灯したもので、中級までの妖魔なら遠ざけられる。

 村の女性も松明を携帯して薬草集めをしていたらしいが、襲われた。


「どうして今回に限って、遺体が見つかったんでしょうか」

「松明のお陰だろう。残飯漁りの妖魔が近寄らなかったんだ」

「……つまり、相手は松明を手にしてても意味が無い……上級の妖魔……?」

「憶測はほどほどにしておけ。あんまり想像力をたくましくしたところで警戒しすぎれば、かえって足元を掬われる。あの森を探ってみるか」

「は、はいっ」


 森の中は昼間だというのに薄暗い。日射しが届いても一部分であり、ささやかな木漏れ日が、余計に周囲の闇を深くしている。

 辰麒はくんくんと臭いを嗅ぐ。


「何をしているんですか」

「臭いを嗅いでる」

「見れば分かりますけど。何か臭いますか?」


 同じように臭いを嗅いでみるが、緑の青臭さくらいしか分からない。


「そりゃ、お前にはな」

「鼻が詰まったりしてませんけど」

「そういうことじゃなくて……くるぞっ。武器を構えろ!」


 辰麒が言った瞬間、春河たちを取り囲むようにいくつもの土まんじゅうが出現し、そこから茶褐色の人型の妖魔が姿を見せる。

 全身の体毛はなく、骨と皮の妖魔。屍鬼だ。

 屍鬼は低級の妖魔。中級以上の妖魔の気に当てられ、その尖兵として使われることがあると座学で学んだ。

 その時、辰麒の首輪が青白い光を浮かべたかと思えば、その姿が黒い虎の姿に変わる。


「先輩!?」

「よそ見をするな。来るぞ!」


 地面から這いだしてきた屍鬼たちが襲いかかってきた。

 目の端で辰麒を見ると、彼はその鋭い爪で、屍鬼をまるで紙のように楽々と引き裂いていった。


(私だって!)


 背負っていた棍を握り、襲いかかってくる屍鬼たちをさばいていく。

 春河にとっても初陣だ。ここで情けない姿をさらせば、また後で辰麒にどれだけ馬鹿にされるか分からない。

 手にしているのは、ただの棍ではない。

 法力をこめてもらっている。

 この棍で突かれた屍鬼の体は粉々に砕け、塵に変わっていく。

 粗方片付けると、さすがに息が上がった。


「へえ、なかなかやるじゃないか」

「う……」

「なんだ?」

「……虎の姿で喋られるとすごく違和感が」

「そうか? 格好いいだろ」


 妙に得意がって、辰麒が胸を張る。


「はあ」

「ばーか。そこは嘘でも頷くんだよ」

「格好いいですっ」

「遅いんだよ」

「それで、妖魔の臭いに気づけたんですね。他の妖魔の気配も分かるんですか?」

「……そのはずなんだが、屍鬼だけだった」

「ということはこの森じゃないってことなんですか?」

「とりあえず探れるだけ探るぞ」


 春河たちが森の奥に向かって進むと、小さな湖が見えてきた。そこは日射しが降り注ぎ、水面がキラキラと輝く。


「神器士が来ることを知って逃げ出したんでしょうか」


 湖の外周を警戒しながら進んでいったその時、春河は湖から伸びた手に右足を掴まれた。


「っ!」


 はっとした時には遅く、水中に引きずり込まれる。

 黒髪をなびかせた美しい女が絡みついてくる。

 爛々と輝く目に青白い肌にはびっしりと鱗が生え、上半身は人間の女、下半身は肴だった。異常に発達した牙を持ち、赤い肌襦袢をまとう。

 水中ということもあり、体の自由が利かない状態で抱きしめられ。首筋に牙を突き立てられた。


「……っ!」


 痛みのあまり口を開ければ、大量の気泡が口から溢れた。

 全身から力が抜けていく。指先一本動かせない。頭がぼんやりして、うまくものを考えられない。

 水の中に飛び込んできた辰麒が近づいてくるが、間に合わない。

 視界が狭まり、鼓動が弱まっていくのが分かる。


(う、そ……わ、たし、こんなところで……――?)


 意識が途絶えかける間際。


『主よ……』


 皇城で導かれた声が脳裏で蘇る。

 次の瞬間、真っ暗だった視界が真っ白な光に塗り潰された。

 春河ははっとして我に返る。

 さっきまで確かに水中にいたはずなのに、陸地にいた。


「おい、どうした」


 突然、あたりをきょろきょろと見回しはじめた春河に、辰麒は繭を顰めた。


「水の中です!」


 さっきと同じように手が湖から伸びてくる。しかし春河は棍を振るい、女の手を突く。 ギャアアッ!

 鋭い声がつんざき、怒り狂った形相の女が湖から飛び出してくる。棍を打ち込んだ右手が爛れていた。

 妖魔は牙を剥いて襲いかかってくるが、春河に触れる前に跳躍した辰麒の爪によって引き裂かれる。

 春河は全身の力が抜け、その場に尻もちをついてしまう。

 辰麒は人間の姿に戻る。


「おい、顔が真っ青だぞ。平気か?」

「あ、は、はい」


 春河はどうにかこうにか返事をした。

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