第62話 母は娘の恋が気になる ー茉莉亜視点ー
父の書斎を出た茉莉亜が廊下を歩いていると、リビングから母である
「茉莉亜、ちょっと来て。」
瑠那はソファに腰掛けながら、手元の雑誌をパラパラとめくっている。茉莉亜がそっと顔を出すと、瑠那は微笑みながら手招きした。
「どうしたの?」
「ちょっと気になることがあってね。最近、好きな人ができたって本当?」
瑠那の柔らかい問いかけに、茉莉亜は一瞬ぎょっとして立ち尽くした。
「…えっ?」
「隠しても無駄よ。あなたが家に帰ってくるたびに、何か楽しそうな顔をしてるんだから。」
瑠那は満足そうに頷きながら、茉莉亜をじっと見つめる。その目にからかわれているような色はない。むしろ、娘の気持ちを優しく引き出そうとしているようだった。
「そんな、別に…。」
「別に?」
茉莉亜はしばらく俯いたが、瑠那の優しい視線に根負けして、ぽつぽつと話し始めた。
「…同級生の、昴くんっていう男の子がいるの。」
「昴くんね。」
瑠那がその名前を口にするのを聞いて、茉莉亜は頬を少し赤らめながら続けた。
「彼、私を特別扱いしないんだよ。お嬢様だからとか関係なくて、普通に接してくれるのが嬉しいの。」
「そう。」
瑠那は微笑んだまま、静かに耳を傾ける。
「優しいし、周りにすごく気を配れる人。それに、自分を変えようと努力してるところも…すごいと思う。」
「なるほどね。」
茉莉亜の声はだんだん小さくなる。最後にぽつりと、照れたように言葉を継いだ。
「一緒にいると、なんだか普通の女の子になれる気がするの。」
その言葉を聞いた瑠那は、満面の笑みを浮かべながら頷いた。
「素敵じゃない。」
「…そうかな。」
照れくさそうに目をそらす茉莉亜を見て、瑠那は楽しそうに笑った。
瑠那はそんな茉莉亜の姿を、温かい目でじっと見つめていた。
「茉莉亜。」
「なに?」
「それ、初恋ってやつじゃない?」
「っ!」
瑠那の一言に、茉莉亜は思わず顔を覆った。
「な、なに言ってるの!違うから!」
「違わないでしょ。昴くんの話してるときの顔、すっごく嬉しそうだったよ。」
母はくすくすと笑いながら、からかうように言った。
「もう、お母さんこそいい歳して何言ってんのよ…。」
茉莉亜は恥ずかしさを紛らわすように言い返したが、母はそれを軽く受け流した。
「昴くんって子、いい子そうね。じゃあ明日、一緒にそのカフェに行ってみましょうか。」
「えっ!?」
茉莉亜の声が一気に跳ね上がった。
「い、いや、別にいいって!そんなの…!」
「だめよ。娘が惚れた男の子がどんな人か、ちゃんと母さんも見ておかないと。」
「惚れたなんて言ってない!」
瑠那は悪戯っぽく笑いながら、茉莉亜の肩にそっと手を置いた。
「明日、一緒に行こう。お母さんもそのカフェ、気になってきちゃった。」
「ちょっと待って!そんなの勝手に決めないでよ!」
「決まり!朝の準備、忘れないでね。」
母は笑顔で言い切り、茉莉亜の抗議を完全に聞き流した。
「もう、ホントにお母さんって…。」
茉莉亜はため息をつきながら、心の中で昴に軽く謝っていた。
「…ごめんね、昴くん。明日、ちょっとだけ耐えて。」
その夜、瑠那はリビングで夫の
「ねえ、あなた。」
「ん?」
八雲は書類を整理していた手を止め、瑠那に目を向けた。その顔に少し疲れた様子が浮かんでいた。
「茉莉亜、好きな人ができたみたいよ。」
八雲は一瞬、言葉を発することができず、驚いた顔をしたが、次第にその表情に困惑が浮かんできた。
「え?…本当に?」
その声に、瑠那は小さく頷く。八雲の目には、茉莉亜の成長に対する驚きと戸惑いが色濃く表れていた。
「…うすうす気づいてたけど、こうして聞くとショックだな。」
八雲は力なく椅子に腰を下ろし、手元の書類を無意識にいじりながら言った。その姿に瑠那は少しだけ気を引き締めて、静かに続けた。
「茉莉亜ももう高校二年生。恋愛だってするわよ。」
八雲は黙って顔を上げ、ぼんやりと遠くを見るようにしながら呟いた。
「でも、まだまだうち子供じゃない。やっぱり心配だな。好きな人ができたって聞いても、何だか手放せない気がして。」
瑠那は少し驚いたような顔をし、ふっと笑いながら言った。
「あなた、娘離れできてないじゃない。」
八雲は小さくため息をつきながら、まだ茉莉亜が小さい頃の記憶を反芻しているようだった。
「だって、茉莉亜もまだあのころみたいに可愛らしいままでいてほしいって思うんだ。」
瑠那は八雲の言葉を静かに聞きながら、その気持ちがよく分かると感じた。しかし、同時にその心情が少し甘すぎるとも思っていた。
「でもね、茉莉亜はもう自分で考える年齢になったのよ。」
八雲はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「そうだな、分かってる。でも、心のどこかで、まだ娘は僕の手の届くところにいてほしいって思うんだ。」
その言葉に、瑠那は深く頷きながらも、少しだけ冷静に言った。
「でも、茉莉亜も自分で幸せを選びたいはずよ。あなたがいくら心配しても、茉莉亜が自分で決めることだから。」
八雲は目を伏せて少し黙った後、ため息をついた。
「じゃあ、どうすればいいんだろう…」
瑠那は少し微笑みながら言った。
「まずは、その男の子がどんな子かしっかり見てきてあげるから、安心して。」
八雲は再び心配そうに瑠那を見つめ、しばらく考え込んでから、ようやく口を開いた。
「お前が見てきてくれるなら、少しは安心だな。でも、もしあの子がちょっとでも茉莉亜にふさわしくなかったら、遠慮なく言ってくれよ。」
瑠那は少し楽しげに笑いながら答えた。
「もちろん、しっかり見極めてきますよ。心配しないで。」
八雲はようやく少し落ち着いたようで、やれやれと肩をすくめた。
「分かった。頼むな。」
その後、しばらく沈黙が流れたが、瑠那は静かに言った。
「でも、もし本当にいい子だったら、二人を見守るのも親の役目だから。」
八雲はそれを聞いて、ちょっと驚いたような顔をしたが、最後には微笑みを浮かべて頷いた。
「分かったよ…ありがとう。」
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良ければこちらもご覧ください。
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