第43話 小さな先生と大きなハプニング

 放課後の廊下は、いつもより静かだった。昴はふと聞こえてくるひより先生の声に気づいた。


「ええと、これをこっちに置いて……あっ、届かない!」


 声のする方に目を向けると、資料室の中で一人、ひより先生が棚を見上げながら困ったように立ち尽くしている姿が見えた。いつもどこか頼りない先生だが、今日はその小柄な体型が一層不利に働いているようだ。


「先生、どうしたんですか?」昴は近づきながら声をかけた。


「あっ、空野君! ちょうどいいところに来てくれたわ!」と、ひより先生はぱっと顔を明るくした。


「実はね、明日の授業で使う物品が高い棚の上にあるんだけど、どうしても手が届かなくて……。何度か試したんだけど、全然ダメで」


 先生は棚の上の方を指さした。そこには授業で使うらしき箱や資料がいくつか積み重なっているのが見える。確かにひより先生の身長では届きそうになかった。


「そういう時は、誰かに手伝ってもらうのが一番ですよ。僕でよければお手伝いします」


 昴はにこりと笑って言った。


「本当? 助かるわ!」


 ひより先生は、安堵の表情を浮かべた後、少し恥ずかしそうに続けた。


「こんな時、小柄なのも不便ね……私、教室でもよく生徒たちに『先生、ちっちゃい!』って言われちゃうのよね」


「そんなことないですよ、先生。困った時はお互いさまですから」


 そう言って、昴は準備室の中に入り、棚の前に立つ。見上げると、確かに少し背伸びが必要な高さだが、昴ならなんとか届きそうだった。


「どの箱を取ればいいですか?」


「えっと、あの右側の白い箱。それと、その隣の資料が入ったファイルね」


 昴が棚に手を伸ばそうとしたその瞬間、ひより先生が急に「あ、ちょっと待って!」と叫んだ。


「え、どうしました?」


「取る前にホコリがついてないか確認した方がいいと思って。ほら、手で払っておくわ」


 そう言いながら、ひより先生が昴の隣に立って棚に手を伸ばす。だが、彼女の手はやはり棚に届かず、無理に背伸びをした拍子にバランスを崩してしまった。


「あっ、危ない!」


 昴はとっさに手を伸ばし、ひより先生の肩を掴んで支える。だが、二人の体勢は微妙に不安定で、昴が少し前のめりになった拍子に、先生と肩がぶつかる形になった。


「ご、ごめんなさい!」


 ひより先生は慌てて昴から離れ、真っ赤な顔で頭を下げた。


「い、いえ、大丈夫です。先生こそケガとかありませんか?」昴も同じく顔を赤らめながら聞く。


「うん、大丈夫よ。でも、びっくりしちゃった……。なんだか、私の方が生徒に迷惑かけちゃってるわね」


「そんなことないです。先生が頑張ってるのはわかりますから、僕がしっかり手伝いますよ」


 昴のその言葉に、ひより先生は少しホッとした様子で微笑んだ。


「じゃあ、空野君に頼らせてもらっちゃおうかな!」


「もちろんです!」昴は再び棚の方を向き、今度こそスムーズに箱とファイルを取り出す。


「これで大丈夫ですか?」


「うん、完璧! 空野君、本当にありがとう!」


 先生の嬉しそうな笑顔を見て、昴は少し照れたように「いえ、いつでもお手伝いしますから」と応じた。


 荷物を机に並べながら、ひより先生はふと呟くように言った。


「空野君みたいな頼りがいのある生徒がいて、本当に助かるわ……。あ、そうだ! 次は準備室の奥にあるプリントも運んでもらえる?」


「え、まだあるんですか?」


「ふふ、たくさんあるわよ!」


 どこか楽しそうに笑うひより先生に、昴は少しだけ肩を落としながらも、再び準備を手伝い始めるのだった――。



 準備室の中は少し狭く、物があちこちに置かれていた。昴が棚の上の箱を取ってひと段落したと思ったのも束の間、ひより先生は奥の方に積まれたプリントを指さしてこう言った。


「空野君、あのプリントも必要みたい。ごめんね、もうちょっとだけ手伝ってくれる?」


「もちろん、いいですよ。でも、先生も一緒にやった方が早いんじゃないですか?」


「それもそうね! じゃあ、二人で手分けして探しましょう!」


 ひより先生は軽い調子でそう言い、奥の段ボール箱に向かってしゃがみ込む。そして箱の中をガサガサと探し始めた。


「えっと、確かこの辺に入ってるはずなんだけど……あ、もしかして下の方かな?」


 棚の下段に目を向けながら、ひより先生はさらに体を前のめりにして箱の奥を覗き込む。その時だった。


 昴の目の端に、先生のスカートの裾がふわっと揺れるのが見えた。しかもその角度は危険すぎる。


(えっ、ちょ、待って……これ、見えちゃう!?)


 昴は一瞬固まったが、すぐに我に返って顔を真っ赤にしながら視線を逸らした。そして、焦った声で注意する。


「せ、先生! ちょっと、その……危ないです!」


「えっ?」


 ひより先生は振り返りながら、不思議そうな顔をする。


「何が危ないの? 昴君、箱が落ちそうだったとか?」


「いや、そうじゃなくて、その……スカートが!」


 昴の言葉に、ひより先生は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに状況を理解したらしい。彼女の顔が一気に真っ赤に染まり、声にならない悲鳴を上げた。


「ひゃあっ!」


 慌ててスカートの裾を掴み、必死で直すひより先生。その仕草があまりに慌てていて、逆にドキドキさせられるような妙な可愛さがあった。


「ご、ごめんなさい! 全然気づいてなかったわ!」


 昴はというと、真っ赤な顔で必死に視線を宙に泳がせている。


「い、いや、全然大丈夫です! あの、見てないんで、ホントに!」


「ホントに見てない!? 嘘じゃないよね!?」


 ひより先生は真剣な顔で昴に詰め寄る。その迫力に、昴は慌てて手を振りながら否定する。


「ホントです! ちゃんと目を逸らしましたから!」


「……そ、そう。ならいいけど……でも、恥ずかしい……」


 ひより先生は顔を赤らめながら、何度もスカートの裾を押さえている。その様子を見て、昴は一瞬心臓が跳ねるような感覚を覚えた。


(先生って、こういう時、意外と可愛い……)


 そんなことを思いながらも、昴は慌てて頭を振って雑念を追い払う。


「す、すみません。僕ももっと早く気づいて注意すればよかったですね」


「い、いやいや、昴君は悪くないわよ! 私がうっかりしてただけで……ほんと、もう、穴があったら入りたい……」


 ひより先生は恥ずかしそうに顔を両手で覆い、しゃがみ込んでしまった。その姿に、昴は困ったように苦笑いを浮かべる。


「先生、大丈夫ですよ。これから気をつければいいだけですし」


「そ、そうね……そうよね。ありがとう、空野君……」


 少し落ち着きを取り戻したひより先生は、スカートを気にしながら改めて立ち上がる。そして、小さな声でポツリと呟いた。


「空野君、紳士で助かった……他の生徒だったら、どうなってたことか……」


 昴はその言葉に苦笑しながら、「いえいえ、当然のことをしただけですよ」と答える。


 結局、二人は少しぎこちない空気のまま、残りのプリントを探し続けることになった。狭い準備室の中、微妙な距離感を保ちながらも、昴はどこか楽しげなひより先生の笑顔に、つられて少しだけリラックスすることができたのだった――。


「これで準備も最後ね。昴君、今まで色々手伝ってくれてありがとう。」


 ひより先生はニコッと笑いながら言った。


「本当に助かったわ。でも、最後くらいは私が頑張らないとね。これ以上迷惑かけたら申し訳ないし!」


 そう言うと、ひより先生は意気込んで小型のステップ台を持ち出してきた。


「え、先生、それ使って大丈夫ですか? 狭いし、危ないですよ。」


 昴は不安そうに声をかけるが、ひより先生は首を振りながら微笑んだ。


「平気、平気! これぐらいは慣れてるから。見ててね!」


 そう言うと、ひより先生はスカートの裾を気にしながら、慎重にステップ台に上がる。そして、棚の上にある最後の資料に向かって手を伸ばした。


「えっと、これをもうちょっと……届きそう……!」


 背伸びをしながら指先で資料を引き寄せるひより先生。昴は下からその様子を見守りつつ、心配そうに声をかける。


「先生、無理しないでくださいね! 本当に危な――」


 その時だった。


 ひより先生の指先がようやく資料を掴んだ瞬間、ステップ台がガタッと揺れた。


「わっ!」


 バランスを崩したひより先生が、倒れそうになる。


「先生! 危ない!」


 昴はとっさに駆け寄り、ひより先生を支えようと手を伸ばした。しかし、慌てていた昴の行動はどこかぎこちなく、二人の体勢はさらに不安定に。


「きゃあっ!」


 ひより先生の体がぐらっと傾き、昴もその勢いに巻き込まれる形で一緒に倒れ込んでしまった。そして――


 昴の手が、ふとした拍子でひより先生の胸に触れてしまった。


「えっ……」


 一瞬の沈黙。


 倒れた衝撃で目を閉じていた昴が、ゆっくりと目を開けると、そこには赤くなった顔で固まるひより先生の姿があった。


「え、あの、先生、僕、今のは……!」


 慌てて手を引っ込めようとする昴。しかし、その言い訳が言葉になる前に、ひより先生が両手で胸を押さえながら叫んだ。


「空野君! な、何触ってるのよーっ!」


「す、すみません! わざとじゃなくて、本当に! 支えようとしただけで……!」


 昴は必死に釈明するが、赤面したひより先生はそれどころではない様子で、肩をぷるぷると震わせながら顔を逸らしている。


「そ、そんなのわかってるけど……でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだから!」


 ひより先生の声は少し震えていて、それが逆に昴の心臓をさらにバクバクと高鳴らせる。


「本当に、すみません……」


「……べ、別に、謝らなくていいわよ……昴君だって助けようとしてくれたんだし……」


 そう言いながらも、ひより先生は顔を赤くしながら胸元を両手で押さえ続けている。その様子に、昴もまた居心地悪そうに目線を彷徨わせるしかなかった。


(なんでこんなことに……でも、先生、すごく柔らかかった――って違うだろ! 俺、何考えてるんだ!)


 昴は自分の考えが不謹慎すぎることに気づき、慌てて首を振った。


「えっと、もう一回、本当にごめんなさい! 次から気をつけますから!」


 昴の真剣な謝罪に、ひより先生は小さくため息をつきながら言った。


「もういいわよ……でも、ほんと、こういうこと二度としないでね……って、私も気をつけるから……」


「は、はい……!」


 微妙に気まずい空気が流れる中、ひより先生はふいに視線を逸らしながら呟いた。


「でも……その……空野君、助けようとしてくれてありがとう。ちょっとびっくりしたけど、優しいところはちゃんとわかってるから……」


 その一言に、昴の顔がさらに赤くなる。


(先生……なんか、可愛いな……)


 二人の間に漂う妙な空気感。結局、その日の準備はどこかぎこちないまま終わることとなった――。



 ― ― ― ― ―


 良ければこちらもご覧ください。

 ・直さんは冷静な顔で、俺を殺しに来る

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090481722534


 ・ハリネズミ女子飼育日記:僕と彼女の365日間

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090591046846


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