第42話 雨で縮まる距離
教室に響く終業のベル。授業の疲れが少しずつ引いていく中、昴は鞄を手に取り窓の外に目をやった。そして、すぐに深いため息をつく。
「雨か……しかも結構降ってるな……」
荷物をまとめ終えた昴は、教室の隅に置き忘れていた傘のことを思い出した。しかし、そこにあるべき傘はどこにも見当たらない。ふと思い返せば、朝は快晴で、傘を持っていこうという発想すら浮かばなかった。
「傘忘れた……」と小さく呟く昴。窓の外に降りしきる雨粒を眺めながら、どうやって帰ろうかと考え込む。
そんな彼の姿を見つけた茉莉亜が近づいてくる。
「昴君、傘持ってないの?」と声をかける彼女の声は、明るく透き通っていた。
昴は振り返り、少しばつの悪そうな表情を浮かべる。
「ああ、朝は降ってなかったから油断しちゃってさ……」
茉莉亜は一瞬考え込むように視線を宙に泳がせた後、「じゃあ、私と一緒に帰ろうよ!」と満面の笑顔で提案する。その笑顔は、雨空さえも晴らしてしまいそうなほどに輝いていた。
「えっ、一緒に帰るって……同じ傘に入るの?」と驚きながら聞き返す昴。耳まで赤く染まっているのが茉莉亜にもはっきりとわかる。
「そうだけど、他に選択肢ある?」茉莉亜は悪戯っぽく肩をすくめて言う。
昴はしばらく考え込むように俯くが、茉莉亜がさらに畳み掛けるように続ける。
「それとも、雨の中を走って帰る? 濡れるの覚悟なら止めないけど、風邪ひいたらどうするのよ~?」
その言葉に、昴は観念したように「じゃあ、お願いしようかな……」と小さな声で答える。
茉莉亜は満足そうに頷き、「よし、決まり! じゃあ行こう!」と傘を広げる。彼女の快活な様子に、昴の緊張も少しだけ和らぐ。
校門を出た二人は、一つの傘に収まりながらゆっくりと歩き始める。最初はぎこちない距離感だったが、傘のサイズの都合で自然と肩が触れ合うほどの距離に縮まっていく。
「なんか、恥ずかしいな……」と昴がぽつりと言うと、茉莉亜がくすっと笑い声を漏らす。
「なんで恥ずかしいのよ? 私が変なことしてるみたいじゃない!」
その明るい返答に、昴は「そういうわけじゃないけど……でも、こんなに近いの、慣れてなくて……」とさらに顔を赤らめる。
茉莉亜はそんな昴の様子を見て、からかうように「昴君って、本当に真面目で可愛いところあるよね」と言う。
「か、可愛いって……俺は男だよ?」と慌てる昴に、茉莉亜はさらに笑顔を深める。
「そうそう、その反応が可愛いの!」と軽く冗談めかして言うが、内心では自分の顔も少し熱くなっているのを感じていた。
茉莉亜はふと、雨の音が二人の世界を包み込むように感じられることに気づく。雨音が周囲の喧騒をかき消し、まるで二人だけの特別な時間が流れているようだった。
傘の柄を持つ手が微妙に近く、狭い空間の中で昴は明らかに緊張している様子だった。
「こんな近い距離、なんだか恥ずかしいな……」
昴がぽつりと呟いた。顔はすでに赤く染まり、まるで茉莉亜を直視できないかのように視線を足元に落としている。
茉莉亜はその様子を見て、思わず口元を緩めた。
「なんで恥ずかしいの? 私が変なことしてるみたいじゃない!」と冗談めかして軽く笑う。
「そ、そういう意味じゃなくて……!」
昴は慌てて言い返しながら、さらに顔を赤くしてしまう。その反応があまりにも真っ直ぐで、茉莉亜はつい笑い声を漏らしてしまった。
だが、その笑顔の裏で、茉莉亜の胸も騒がしい鼓動を刻んでいた。
(昴君、こんなに近くで顔を見るの、初めてかも……)
昴の横顔をちらりと見つめる茉莉亜。普段はどこか頼りなく見える彼が、こうして真剣に恥ずかしがっている姿を目の当たりにすると、なんだか守りたくなるような、不思議な気持ちになった。
(こんな距離だと、私の顔も見えちゃうよね……なんか変に思われてたらどうしよう……)
自分の鼓動が昴に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、茉莉亜の胸は高鳴っていた。表面上は平然を装いながらも、内心では完全に動揺している。
しばらく歩いていると、ふとした拍子に二人の肩が触れ合った。
「あっ、ごめん!」
昴が慌てて言い、すぐに体を反らす。
「い、いいよ。大丈夫だから!」
茉莉亜も焦ったように返し、すっと距離を取ったが、傘の下ではそれ以上離れることもできない。
小さな沈黙が訪れる。雨音が二人の間を埋めるように響く中、昴は小さな声で呟いた。
「……ごめん。俺がもうちょっと端に寄るから……」
「いいってば! これくらい平気だから!」
茉莉亜は少し強めの口調で遮ると、続けて明るい声で言った。
「それに、私が持ってる傘だしね! 昴君が濡れるのは許さないよ!」
彼女の明るい言葉に、昴はようやく少しだけ表情を緩めた。
(茉莉亜さん、本当に優しいな……)
しかし、茉莉亜の明るい振る舞いとは裏腹に、心の中では再び恥ずかしさが湧き上がっていた。
(肩が触れただけなのに、なんでこんなにドキドキしてるんだろう……私まで変な感じになっちゃうよ……)
茉莉亜は心の中で深く息をつき、目の前の雨音に集中しようとした。だが、すぐ隣で照れている昴の様子が目に入ると、その努力も簡単に崩れてしまう。
「……私、変に思われてないよね?」と小声で呟く茉莉亜。だが、その声は雨音にかき消され、昴には届かなかった。
二人は少し距離を空けつつも、相合傘という狭い空間の中で、お互いの存在を意識しすぎるほどに意識し続けていた。雨の音が、そのぎこちないやりとりを静かに包み込んでいた――。
雨が降りしきる音が、二人だけの世界を包み込むように響いている。狭い傘の中、歩幅を揃えて並ぶ昴と茉莉亜。道行く人々は皆傘を差して足早に通り過ぎ、まるで二人だけが時間をゆっくり過ごしているようだった。
しばらく無言のまま歩いていたが、茉莉亜がぽつりと口を開いた。
「ねえ、昴君。」
「え? 何?」
昴は、隣でふいに話しかけられて少し驚いたように振り向く。
茉莉亜は一瞬躊躇った後、柔らかな笑顔で続けた。
「昴君、変わり始めたよね。私たちが出会った頃より、もっともっと素敵になったと思う。」
「え……俺が?」
昴は驚き、目を丸くした。自分がそんな風に評価されることに慣れていないのだろう。
茉莉亜はうなずきながら、少しだけ彼の方に傘を傾ける。
「うん。なんていうか、前より堂々としてるっていうか、優しいところは変わらないけど、もっと自分を出せるようになったんじゃないかなって。」
昴はその言葉を聞いて一瞬目を伏せた。そして、少し照れたように笑いながら答える。
「そう見えるかな……? 昔から、目立つのが苦手でさ。なるべく静かにしてたいタイプなんだ。」
「そんな感じするかもね。でも、最近の昴君はちょっと違うよ。」茉莉亜は優しい声でそう言いながら、昴をじっと見つめる。
昴はしばらく考え込むように口を閉ざしていたが、意を決したように口を開いた。
「……茉莉亜さんがいてくれるから、そう思えるのかもしれない。」
「えっ?」
茉莉亜は少し驚いたように目を見開いた。
「その……茉莉亜さんと話したり、一緒にいるとさ、自分も少しずつ変われるのかなって思うんだよね。なんか、不思議だけど。」
昴の言葉はぎこちなく、しかし真っ直ぐだった。
茉莉亜はその言葉を聞き、思わず心が温かくなるのを感じた。胸の中で小さく湧き上がる幸福感に、少しだけ顔を赤らめながらも、自然に微笑む。
「そっか……でも、昴君のそういう真面目なところ、私好きだよ。」
「えっ……」
昴は茉莉亜の言葉に驚き、足を止めそうになったが、すぐに慌てて歩き続けた。耳まで赤くなっているのが明らかで、雨音に紛れた小さな「ありがとう」という声が聞こえたような気がした。
茉莉亜はそんな昴を横目で見ながら、少し悪戯っぽく微笑んだ。
(やっぱり、昴君って可愛いな。でも、本当に変わってきてる。もっと自信を持てば、もっと素敵になるのに……。)
雨音が二人の間を優しく包む中、昴は茉莉亜の言葉を思い返しながら、少しだけ自分に自信を持てた気がした。そして、茉莉亜が隣にいてくれることへの感謝がじんわりと胸に広がった。
「茉莉亜さんのおかげだよ……本当に。」
小さな声で呟いた昴の言葉は、雨音にかき消されてしまったが、茉莉亜の中には、すでにその気持ちが伝わっていた――。
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良ければこちらもご覧ください。
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