第37話 テストは希望と絶望を運んでくる

 教室にはテスト特有の緊張感が漂っていた。普段は賑やかなクラスも、今日はどこか静かで、全員が試験用紙に向き合う準備をしている。それでも、騒がしい人物がいると、空気はやはり変わるものだ。


「やっべぇぇぇぇ……」


 教室の隅から聞こえる優翔の叫び声に、クラスメートたちがちらりと視線を向けた。だが、誰も特に気にせず、自分のテキストやノートに目を戻す。


「優翔、大声出さないで」と昴が軽くたしなめるが、優翔は両手で頭を抱えながらうめき続けている。


「赤点の予感しかしねぇ!てか、なんでテストなんてあるんだよ!俺、もう勉強とか無理!」


 隣で数学の公式集をパラパラとめくっていた千春が、ため息をつきながら顔を上げた。


「それ、勉強してないからでしょ。自業自得じゃない。」


 優翔はピタッと手を止め、千春をじっと見つめた。


「お前、冷たくね?こんな時ぐらい、もうちょっと優しく励ますとかないわけ?」


 千春は半眼で彼を見返し、言い放つ。


「いやいや、優翔君には『優しく励ます』より、『厳しく現実を叩き込む』方が必要でしょ。」


 周囲のクラスメートからもクスクスと笑い声が漏れる。


 そのやり取りを横目に見ていた茉莉亜が、くすりと笑いながら口を挟んだ。


「せっかく勉強会やったのに、何をしてたのよ、優翔君?」


「や、やっただろ!ちゃんと参加してたし!ほら、アレだ、なんだっけ……化学式の……なんか。」


「どれだよ、それ……」と昴が呆れ顔で返す。

 茉莉亜は優翔の言い訳に肩をすくめてから、軽く笑いながら続けた。


「参加してたけど、あなた居眠りしたり休憩ばっかりだったじゃない」


 優翔は言葉に詰まり、しどろもどろになった。「う、うるせぇ!俺だって頑張ったんだよ!たぶん……」


 その言葉に、千春が一層呆れたように声を上げた。


「『たぶん』って何よ……。まったくもう。普通に授業を聞いてたら赤点なんかとらないでしょ」


 優翔はしゅんと肩を落とし、ついには机に突っ伏してしまった。


「だって、俺の頭、勉強向いてないんだもん……。」


 それを聞いた昴が、苦笑しながら声をかける。


「まぁ、一夜漬けでもなんとかなるかもよ。ほら、昨日徹夜でやったんだろ?」


 その言葉に、優翔は一瞬顔を上げて希望の光を見たかのような表情を浮かべた。


「そうだよな!?一夜漬けって意外と効果あるって聞くし!」


 しかし、その直後、茉莉亜が冷静に現実を突きつける。


「徹夜ってケアレスミスが増えたり、デメリットの方が大きいって聞いたことあるわ」


「……。」


「もう終わりね。」と千春が呆れたように言い放つ。


「もうダメだぁぁぁ……」と優翔は再び机に突っ伏した。


 その様子を見て、茉莉亜はくすくすと笑いながら昴に話しかける。


「ねぇ、昴君は大丈夫なの?なんか余裕そうに見えるけど。」


「僕は……まぁ、なんとかなるんじゃないかな。」


 一方、優翔は机に突っ伏したまま、「俺も昴みたいに冷静にテスト受けてみたい人生だった……」とぼやき続けていた。


 やがて、チャイムが鳴り響き、教室に緊張感が戻る。

 先生が答案用紙を配り始める中、優翔は再びうめき声を上げた。


「うわぁぁ、俺の終わりが近づいてる……!」


 その声に千春が軽く頭をはたき、「もう黙って座ってなさい!」と一喝する。

 茉莉亜は笑いをこらえながら、昴に小声で囁く。


「優翔君って、ほんと分かりやすいよね。」


 昴は苦笑いを浮かべながら、試験開始の合図を待つ。


 次の戦場は、答案用紙の上だ――。



 試験開始のチャイムが鳴り響き、教室は一瞬で緊張感に包まれた。


 答案用紙が配られ、先生の「それでは、始めてください」という合図とともに、カリカリと鉛筆の音が教室内を支配する。


 昴は答案用紙をめくりながら、問題文をざっと読み込む。


(これ、勉強会でやったところだ)


 内心で安堵のため息をつきながら、ペンを動かし始めた。数式や単語が次々と頭の中から引き出され、迷いなく回答を書き込んでいく。


 隣をチラッと見ると、茉莉亜も淡々とペンを走らせている。

 彼女の横顔には焦りの色はなく、むしろわずかに余裕の表情すら見える。問題文を一瞥し、さらりと答えを書き込むその姿は、テスト慣れしていると言わんばかりだった。


(さすがだな、茉莉亜さん)


 と昴は心の中で感心する。


 一方、前方の席では千春が眉間にしわを寄せ、真剣な表情で答案用紙に向き合っていた。

 彼女は問題文を一つ一つ丁寧に読み込み、慎重に回答を書き進めている。ときどき鉛筆を止め、考え込む様子も見られるが、着実に進んでいるのが分かる。


(千春さんは地道に頑張るタイプだな)


 昴はそんな彼女を横目で見つつ、自分の答案に集中した。


 しかし、問題は――。


(えっ、これ知らねえ……)


 教室の後ろの方から、優翔の絶望的な心の声が漏れてくるような気配がした。

 彼は答案用紙を凝視し、頭を抱えそうな勢いで固まっている。


(これ……勉強会で昴が言ってた気がするけど、なんだっけ!?)


 焦りに駆られ、必死で記憶を掘り起こそうとするが、肝心なところが思い出せない。


 優翔はちらりと前を見る。昴が軽々とペンを動かしているのを見て、さらに絶望感が増した。


(なんであいつ、こんな余裕なんだよ……俺だけ取り残されてる気しかしねえ!)


 隣の千春は真剣そのものの表情。茉莉亜に至っては、余裕すら感じさせる。


(え、俺だけヤバいのか……?)


 優翔は冷や汗をかきながら、とにかく空欄を避けるべく適当に埋め始めた。


(えーっと、確かこんな感じの話してたよな……多分、これで合ってる!)


 答案用紙が埋まるたびに、一瞬だけ安心するが、その後すぐに次の問題で頭を抱える。その繰り返しだった。



「時間です。答案用紙を回収します。」


 先生の声が教室に響くと、全員が鉛筆を止めた。

 茉莉亜は最後の一行を書き終え、ゆっくりとペンを置いた。その表情には焦りの色はなく、むしろ「これで終わりか」という余裕が漂っている。

 千春は答案を一度確認し、納得したように小さくうなずいた。


 一方、優翔は――。


(マジかよ、もう時間切れ!?)


 最後の一問を埋めきれず、机に突っ伏してしまった。

「終わった……俺の人生、終わった……」と小声で呟きながら答案用紙を先生に渡す。


「どうだった?」と千春が小声で尋ねると、優翔は涙目で答えた。


「どうだったも何も……白紙よりマシなぐらいだ……。俺もう赤点確定だろ!」


「ほら、だから言ったじゃない。ちゃんと勉強しなきゃダメだって!」と千春が再び叱る。


「うぅ……俺、勉強会で頑張ったはずなのに……」


「あれを頑張ったって言わないから!」と茉莉亜が笑いをこらえながら突っ込む。


 昴はそんなやり取りを横目に、静かにため息をついた。


「優翔、テストは終わったんだし、結果は後で分かるさ。今は切り替えよう。」


「昴、お前には優しさが足りねぇ!」


 優翔の嘆き声を背に、教室に再び平穏が戻る――次なる試練、答案返却に向けて。



 数日後、答案返却の日がやってきた。


 教室の中は少しざわついている。誰もが自分の結果を気にしている様子だ。ひより先生が答案用紙を一枚ずつ配り始め、教室の緊張感が一気に高まった。


「桐谷くん、ちゃんと勉強しないとだめですよ。」


 ひより先生が優翔に答案を手渡す。


「うわぁ……」


 答案を受け取った瞬間、優翔の顔がみるみる青ざめていく。答案用紙の赤い数字が、彼に現実を突きつけた。


「え、これ赤点ギリギリどころか、赤点じゃねえか……」


 震える声で呟きながら、答案用紙を机に置き、項垂れる。


 すかさず千春が彼の横で呆れ顔を見せた。


「ほらね、だから言ったでしょ!ちゃんと勉強しなさいって。」


「勉強会やったじゃん……なんでだよ……」


 優翔は机に突っ伏して小さく呻く。


 茉莉亜にも答案が渡される。彼女は答案用紙をちらりと確認し、特に表情を変えることなく呟いた。


「まぁ、こんなもんかな。」


 茉莉亜の点数は自分の中の合格ラインをしっかり超えており、手応え通りといった様子だ。


 優翔がぼそりと、「なんでそんなに余裕なんだよ……」と呟くが、茉莉亜は軽く笑うだけだった。


 次に昴のところに答案用紙が配られた。彼は手に取ると一瞬だけ緊張の色を見せたが、すぐにその表情は明るくなった。


「やった……!」


 答案用紙の端に赤く書かれた点数は、満点に限りなく近いものだった。


「やっぱり、勉強会の成果だな!頑張ってよかった」


 昴は嬉しそうに言いながら、答案を自分の机に置いた。


「おいおい、マジかよ。昴、天才かよ……」


 優翔は再び項垂れたが、今度は軽い羨望も混じった口調だった。


 その瞬間、茉莉亜がふと視線を昴に向けた。彼女の顔には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいる。昴もその視線に気づき、さりげなく目を合わせた。


 茉莉亜は口を動かさずに、静かに唇を動かして「昴君、よく頑張ったね」と伝える。


 昴は一瞬驚いた表情を見せた後、小さく頷きながら口元に笑みを浮かべ、「ありがとう」と同じく声に出さずに応えた。


 二人の間にだけ交わされたアイコンタクトに、優翔も千春も気づかない。まるで秘密を共有しているようなその様子に、茉莉亜の胸にもほんの少し温かな満足感が広がった。


 再び視線を机に戻した昴の表情には、自信と感謝が混ざった輝きが残っていた。



 優翔はしばらく答案を見つめていたが、急に千春の方を振り返った。


「ちょっとさ、千春!なんで俺にもっと教えてくれなかったんだよ!」


 千春はその抗議に一瞬だけ真顔になった後、ため息をつきながら彼を軽くあしらう。


「だって、教えてもすぐ忘れるでしょ。自分で覚えないと意味ないんだから。」


「俺の心に刺さる言葉を言うな……!」


 優翔は机に突っ伏し、再び小さく呻いた。


 顔をあげた優翔がむくれたような顔をすると、千春はさらに畳み掛けるように言葉を続けた。


「でも、次のテストで本気で赤点を回避したいなら、叩き込んであげてもいいけど?どうする?」


 その言葉に優翔は一瞬だけ驚き、少し疑いの目を向けた。


「叩き込むって……なんか怖いんだけど。」


「大丈夫大丈夫、愛のムチってやつだから。覚悟があるなら、ね?」


 千春はにやりと笑みを浮かべながら、机の上で指を軽くトントンと叩く。


 優翔は数秒間考え込んだ末、力強く頷いた。


「……わ、分かった!千春先生に鍛えてもらいます!これで赤点回避だ!」


「よろしい。」


 千春は満足げに頷きながら、少し嬉しそうに見えた。


 茉莉亜がその様子を見ながら笑いを堪える。


「優翔君、頑張ってね。千春の指導、厳しいわよ?」


 昴も苦笑しながら優翔の肩を軽く叩く。


「次回は僕たちも協力するけど……千春さんの教育についていけるように祈ってるよ。」


「うう……なんか不安になってきた……」


 優翔はまた項垂れそうになりながらも、次こそは挽回してみせると心に誓った。


 答案返却の日は、優翔の再スタートを予感させる形で幕を閉じた。



 ― ― ― ― ―


 良ければこちらもご覧ください。

 ・直さんは冷静な顔で、俺を殺しに来る

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090481722534


 ・ハリネズミ女子飼育日記:僕と彼女の365日間

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090591046846


 今日もお読みいただきありがとうございます。

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