第31話 初めてのおでかけと小さな約束

 朝、昴は鏡の前でシャツの襟をいじりながら、何度も自分の姿を確認していた。千春のアドバイスで買った新しい服に袖を通すのは、少し緊張する。それでも、これまでの「いつもの自分」と違う気がして、少しだけ背筋が伸びる。


(この服、変じゃないよな……店員さんが勧めてくれたんだし、大丈夫なはず……)


 鏡に映る自分にそう言い聞かせるが、どこか落ち着かない。髪型も慣れないスタイリング剤で軽く整えてみたが、これでいいのかと疑問が湧いてくる。

(今日はただの映画だし、そこまで気張らなくてもいいんだけど……)

 そう思いながらも、気合を入れずにはいられなかった。



 映画館の前に到着した昴は、約束の時間より10分ほど早かった。それでも、周りの人が目に入るたびに、なぜかそわそわしてしまう。


(茉莉亜さん、まだかな……)


 時計を確認しつつ、人混みを見渡す。少し冷たい風が吹き、春の空気が頬をかすめた。


 すると、遠くから茉莉亜の姿が見えた。昴は最初、彼女だと気づかず、目を丸くする。


(……あれ、茉莉亜さん?)


 彼女は学校での制服姿とは全く違う、少し大人びた私服を着ていた。ふんわりとしたスカートに、落ち着いた色合いのトップス。髪も軽く巻かれており、自然体ながらもどこか気合を感じさせる装いだった。


 茉莉亜が昴の目の前に来ると、少し恥ずかしそうに小さく笑う。


「待たせちゃった?」


「いや、全然。俺も今来たところだから。」


 慌てて答える昴だが、視線はどうしても彼女の姿に釘付けになってしまう。普段の彼女とは違う雰囲気に、言葉を失いかけた。

(こんな服装、するんだ……なんか、すごく似合ってる……)


「あの、何か変かな?」


 茉莉亜が小首をかしげる。昴は急いで首を横に振り、言葉を絞り出した。


「全然! むしろ、すごく似合ってるっていうか……なんか、今日の茉莉亜さん、すごい。」


「……えっ、そ、そうかな? ありがと。」

 顔を少し赤らめながら、茉莉亜は目を逸らす。その様子に昴も恥ずかしくなり、気まずそうに映画館の看板に目を向けた。


(なんでこんなに緊張してるんだ……ただ友達と映画観るだけなのに。)


 自分の胸が高鳴るのを感じつつも、昴は意識を切り替えようと深呼吸をした。


「じゃあ、中に入ろっか。」


 茉莉亜の一言で、ようやく我に返る昴。頷きながら、彼女と並んで映画館の自動ドアをくぐった。



 映画館のロビーで、昴と茉莉亜は並んで上映中の映画ポスターを見上げていた。


「どれにする?」


 と昴が聞くと、茉莉亜は少し考える素振りを見せた後、


「昴くんは何か気になるのある?」と返してきた。


(……茉莉亜さんが観たいものを選んでもらった方がいいよな。)


 そう思い、「茉莉亜さんが気になるのでいいよ」と言いかけている自分がいた。


(いやいや、それじゃダメだろ。花音と一緒にいる時と同じじゃないか。)


 頭の中で自分を叱咤し、少し考えてから昴は口を開いた。


「このコメディ映画、気になるな。ネットで評判も良いみたいだし、結構面白そうなんだよ。」


 茉莉亜はポスターをじっと見つめて、目を輝かせた。


「それ、いいかも。コメディってあんまり観ないけど、面白そうね。」


 その言葉にほっとした昴は、券売機でその映画を選びながら、「じゃあ、これで決まりだね」と笑顔を見せた。



 映画が始まり、シアター内は徐々に笑い声やクスクスとした反応で満たされていく。

 コメディらしいテンポの良い展開に、昴も思わず何度か笑い声を漏らしていた。だが、それ以上に気になったのは隣に座る茉莉亜のリアクションだった。


 彼女は映画の中で登場人物がドジを踏むたび、小さく肩を震わせて笑ったり、急な展開には驚いて目を見開いたりしている。普段の落ち着いた彼女とは違う、感情が素直に表に出る姿が新鮮だった。


(茉莉亜さんって、こんな風に笑うんだ……)


 ふと気づけば、映画ではなく茉莉亜を見ている自分に気づき、慌てて視線をスクリーンに戻す昴。


(何やってんだよ、僕……!)



 映画が終わり、明るくなった館内を茉莉亜と一緒に出ていく。

 昴が軽く伸びをしながら、「どうだった? 面白かった?」と聞くと、茉莉亜は真剣な表情で頷いた。


「うん、面白かった。でもね、コメディって単に笑わせるだけじゃなくて、最後にはちょっと考えさせられる部分もあるんだなって思った。登場人物たちが、ただドタバタしてるだけじゃなくて、ちゃんと成長していくのが伝わってきたのが良かった。」


 その言葉に、昴は少し驚いた。


(僕は単純に笑えるだけで十分だと思ってたけど、茉莉亜さんはこんな風に考えるんだ。)


「茉莉亜さんって、こういうところあるんだな。」思わずそう言いかけて、昴は少し恥ずかしくなり、照れ隠しのように笑った。


「そっか、僕はそこまで考えてなかったかも。笑いすぎてそれどころじゃなかったよ。」


 茉莉亜もつられて笑いながら、


「でも、楽しかったのは間違いないわね。この映画を勧めてくれてありがとう。」


 と軽く頭を下げる。


「いやいや、僕も楽しかったから。」


 そう言いつつ、昴の胸の中には彼女の新たな一面を知れたことへの小さな嬉しさが残っていた。



「じゃあ、次はカフェだな。茉莉亜さん、甘いのとか大丈夫?」


「もちろん。映画の後って、甘いもの食べたくならない?」


「それならちょうどいいかもね。」


 映画館を後にし、二人はカフェへと歩き出した。街の雑踏の中、いつもより近い距離を感じる昴だった。



 映画館から歩いてすぐのカフェに二人は入った。

 落ち着いた音楽が流れる店内は、木のぬくもりを感じさせるインテリアで、外の喧騒を忘れさせてくれるような雰囲気だった。


 席についてメニューを開くと、茉莉亜が少し悩んだ末に、ベリーソースのかかったチーズケーキとカフェラテを注文した。

 そのチーズケーキが運ばれてくると、茉莉亜は思わず目を輝かせる。「これ、写真撮りたくなるくらい綺麗ね。」

 彼女のそんな無邪気な姿を見て、昴は思わず笑みを漏らした。


「チーズケーキって好きなの?」


「うん。こういう甘すぎないスイーツ、たまらなく好きなの。」


 スプーンをそっと手に取る茉莉亜を眺めながら、昴はふと、自分とはまた違った彼女の一面を感じ取っていた。


 少し会話が弾み始めたころ、茉莉亜がふとカップを持ち上げながら、昴に目を向けた。


「ねえ、昴くんって、普段どんなことを考えてるの?」


突然の質問に、昴は一瞬戸惑った。


「え、普段?」


「うん。例えば、休日とか、仕事してる時とか……最近何か新しいことを始めたりしてるのかなって。」


真っ直ぐな瞳で問いかける茉莉亜に、昴は少し焦りながらも、考えを巡らせる。


(普段……か。こんな風に俺に興味を持ってくれるなんて、正直、慣れてない……。)


「えっと、最近は……少しでも自分を変えようって考えることが多いかな。」


そう言いながら、昴は目の前のカップを少し揺らし、言葉を続けた。


「例えば、筋トレとかランニングとか……時間がある時にやるようにしてるんだ。まだ始めたばかりだけど。」


茉莉亜の目がぱっと輝いた。


「え、すごい!筋トレとランニングって、なかなか継続するのが難しいって聞くけど、それを始めたのは本当に偉いと思う。」


「いや、偉いっていうほどじゃないよ。」


昴は照れくさそうに笑った。


「でも、やらないといつまでも変わらない気がして……少しずつでもいいから、自分を変えたいって思うんだ。」


茉莉亜は感心した様子で頷きながらも、優しい笑顔を見せた。


「その気持ちが大事だよ。でも、始めるのは簡単でも、続けるのが一番難しいんだよね。」


「……だよな。」


昴は肩をすくめて苦笑した。


「最初は張り切ってやるんだけど、だんだん面倒になって……続けるのが自分でも心配だ。」


茉莉亜はカップを置き、少し微笑みながら言った。

「安心して、昴くん。ちゃんと続けられたら……ご褒美をあげるから。」


その言葉に、昴は思わず目を丸くした。


「ご褒美?」


「うん。」


茉莉亜はいたずらっぽく笑いながら、スプーンでケーキを一口すくう。


「何か面白いこと考えてあげる。だから、筋トレもランニングも諦めずに続けてみてね。」


昴は少し照れながらも、「いやいや、俺が続けるかどうかって、ご褒美で釣るような話じゃないだろ。」と軽く反論する。

それでも茉莉亜は、「じゃあ続けられる自信ないの?」と挑発するような目を向けてきた。


「そ、それは……!」昴は言葉に詰まりながらも、何とか返そうとする。

「いや、やるよ。もちろんやるって。続けてみせる。」


茉莉亜はその様子を見て満足そうに頷く。


「ふふ、そうそう。その意気だよ。でも、ちゃんと結果を見せてくれないとね。」


「結果って……例えば何?」昴は少し不安げに聞いた。


「そうだね、具体的には腕の筋肉がちょっとついたとか、ランニングが毎週続いてるとか……そういうのかな。」


茉莉亜は真剣に考える仕草を見せながら、再び微笑んだ。


「まあ、結果はどうあれ、頑張ってる姿を見せてくれれば、それでいいよ。」


「そっか……なんかプレッシャーが増えた気もするけど。」


昴は苦笑しながら頭を掻いた。しかし、その表情には少しやる気が感じられる。


「大丈夫、昴くんならきっとできるよ。」


茉莉亜のその言葉に、昴は心の中で静かに決意を固めるのだった。



カフェを後にし、夕暮れ時の街を二人は並んで歩いていた。

ふと、隣を歩く茉莉亜が小さく呟いた。


「今日は、楽しかった。」


その声は本当に小さくて、昴が反応しなければ気づかないほどだった。

「え?」と聞き返すと、茉莉亜は少しだけ顔を赤らめ、わずかにうつむきながら笑った。


「なんでもない。」


その言葉に、昴は自然と頬が緩むのを感じた。


(楽しかったって思ってくれたなら……それでいいよな。)


その一言に安心しながら、次はどこに行こうかと考え始める昴。

「……今度はどこがいいかな。」と、ぼそっと呟いた声は茉莉亜には聞こえなかったようだが、その表情はどこか晴れやかだった。



― ― ― ― ―


 良ければこちらもご覧ください。

 ・直さんは冷静な顔で、俺を殺しに来る

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090481722534


 ・ハリネズミ女子飼育日記:僕と彼女の365日間

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090591046846


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