第30話 迷走のショッピング
GWの遊びに向けて、昴は一人ショッピングモールに足を踏み入れた。普段はめったに訪れない場所だ。休日ということもあり、店内は家族連れや若者のグループで賑わっている。キラキラとしたショーウィンドウに飾られた服や、耳に心地よい音楽が流れる空間に、昴は早くも圧倒されていた。
(こんなところ、いつぶりだろう……)
目の前には洋服店が立ち並んでいるが、どこに入ればいいのか見当もつかない。おしゃれなディスプレイを見上げながら、ひとつひとつの店の前で立ち止まり、そのたびに心の中で逡巡する。
(あの店、かっこいい服が多そうだけど……入るの、ちょっと緊張するな。いや、こっちは……派手すぎるか?)
そうこうしているうちに、昴は気づけばモール内をぐるぐる歩き回るばかり。目的の服屋に足を踏み入れる決心がつかず、行ったり来たりする自分が恥ずかしくなってくる。
(こんなことなら、誰か誘えばよかった。いや、でも……一人で買えるようにならないと……)
意を決して、一軒のお店に入ったのは、それから10分以上経ってからだった。爽やかな音楽とともに広がる店内は、カジュアルな服が並んでいて、客層も彼と同じくらいの年齢が多い。これなら手を出しやすそうだと、昴は小さく息をつき、服のラックに近づいた。
だが、問題はそこからだった。
「うわ……どう見ても高そうだな、この服。」
ラックにかかった服の値札をちらりと見て、思わず眉をひそめる。予算を頭の中で計算しながら、次のラックへと移動するが、どの服を選べばいいのかさっぱりわからない。
「この色は……いや、派手すぎるよな。いやでも、地味すぎるのもダメか。……あ、これ?」
手に取った服はグレーのシンプルなTシャツだったが、「無難すぎて、やっぱりダメかも……」と棚に戻してしまう。
周りを見回すと、他の客たちは何の迷いもなく服を手に取り、試着に向かっている様子だ。中には友達同士で楽しげに会話をしながら服を選ぶ姿もある。その光景に、昴はひどく居心地の悪さを覚えた。
(僕、ここにいるの場違いなんじゃないか……?)
棚と棚の間をうろうろしながら、結局何も決まらず時間だけが過ぎていく。鏡の前に立つたび、「これが似合うのか?」と首をかしげて、また戻る。そのたびに心の中で、ため息をつくばかりだった。
(髪型とか服を変えるだけで変わった気分になれる……千春さんがそんなこと言ってたけど、本当にそうなのか?)
少し前、千春に無理やり服を買いに連れられたときのことを思い出す。あのときも、結局自分では何も選べず、全部千春任せだった。
(自分で決めるって、こんなに難しいんだな……)
昴は頭を抱えながら、再び同じ棚の前に戻る。だが、気づけば周りから視線を感じるような気がしてならない。「この男、ずっと迷ってるな」と思われているのではないかと不安になり、いたたまれない気持ちになる。
(これ以上、店内をうろうろするのも恥ずかしいな……)
ふと足を止めた昴は、スマホを取り出してぼんやりと画面を見つめた。そして、ふと千春の顔が頭をよぎる。彼女なら、こんなときどうすればいいのか教えてくれるかもしれない。
「……千春さんに聞いてみるか……」
昴は迷いながらも、ポケットからスマホを取り出した。店内をぐるぐる歩き回り、何も決まらないまま時間だけが過ぎていく状況に、もはや一人では打開できないと観念したのだ。画面を操作して千春の名前をタップし、耳にスマホを当てる。
呼び出し音が数回鳴り、すぐに千春が出た。
「もしもし、昴くん? どうしたの、珍しいわね。電話してくるなんて。」
開口一番、千春の声は少し驚いたようだったが、どこか余裕を感じさせる穏やかな口調だった。昴は少し躊躇しながらも、状況を説明する。
「あのさ……ちょっと、服を買おうと思ってるんだけど……何を選べばいいかわからなくて。」
「えっ?」千春が一瞬、電話越しに息を呑む音が聞こえた。そして次の瞬間、半ば呆れたようなため息混じりの声が返ってきた。「昴君が服を買いに行くなんて……珍しいどころか、奇跡じゃない。服なんか興味ないって言ってたのに。何かあったの?」
「いや、別に大したことじゃないよ。ただ、友達と遊ぶ予定があって……その、少しは見た目を気にしようかなって思って……」
昴の曖昧な言い方に、千春は少しだけ笑ったようだった。「ふーん、なるほどね。でも、そこで私に電話してくるあたり、本当に困ってるんだろうな。」
「……ああ。正直、何がいいのか全然わからなくてさ。助けてほしいんだ。」
その言葉に、千春はしばらく無言になった後、やれやれというような調子で返した。
「もう……仕方ないわね。昴君、あなた服のセンスないんだから、最初から私に相談しなさいよ。」
「ああ、わかってる。でも、今相談してるだろ。」
「はいはい。いい? まず、簡単な方法を教えるから、ちゃんと聞いてね。」
昴は千春のアドバイスを聞くために耳をすませる。千春の声には、まるで手のかかる弟に接する姉のような響きがあった。
「まずね、マネキンが着てる服をそのまま選びなさい。あれなら上下の組み合わせもバッチリだし、間違いがないわ。」
「……マネキンの服?」昴は目の前に並ぶマネキンをちらりと見た。確かにそれはおしゃれな雰囲気を醸し出しているが、自分があれを着こなせるかどうかが不安だった。
「そう。それが一番確実よ。あと、店員さんに『どれが似合いそうですか?』って聞いてみるのも大事。服選びってね、素直に頼ることが重要なのよ。」
「……店員さんにか?」
「そう。プロなんだから、ちゃんとアドバイスしてくれるわよ。それに、自分であれこれ悩むより、ずっと効率的だから。」
昴は言われたことを考えながら、視線を落とした。確かに千春の言う通りだ。自分一人で考えても、結局何も決まらないままだったのだから。
「わかった。やってみるよ。」
「いい子ね。頑張りなさいよ、昴。」
千春はそう言うと、少しだけ柔らかい笑い声を残して電話を切った。
昴はスマホをしまいながら、先ほどまでとは少し違った気持ちで店内を見渡した。千春の言葉を思い返しながら、自分の中にわずかながらも行動への自信が芽生え始めているのを感じた。
「よし……マネキンを見てみるか。」
改めて棚の向こうに並ぶマネキンに目を向け、昴は小さく息を吸い込んだ。
千春の助言を思い出し、昴は店内を歩きながらマネキンをじっと見つめた。どのマネキンも、店の照明を浴びて自信満々に立っているように見える。昴は少し緊張しながらも、一体に近づいてそのコーディネートをじっくり観察した。
「これ……なら大丈夫なのか?」
マネキンが着ているのは、落ち着いたネイビーのシャツにベージュのチノパン。昴は腕を伸ばして、近くに並んでいた同じシャツを手に取った。素材の感触を確かめながら、ふと自分の姿が頭をよぎる。普段の地味な服装に比べると、これが自分に合うのかどうか、まるで想像がつかない。
(いや、待て。千春さんが言ってたじゃないか。マネキンの服なら失敗しないって。)
そう自分に言い聞かせるものの、不安は消えない。昴はちらりと店員を見やった。笑顔で接客をしているその様子に、なんとなく話しかけるのをためらってしまう。
(でも……このままじゃ、また適当な服を買って終わるだけだ。)
意を決した昴は、手に取ったシャツを握りしめながら、深呼吸を一つ。そして、少し震える声で店員に声をかけた。
「あ、あの……すみません。」
若い女性の店員が振り返り、優しい笑顔で答えた。「はい、どうされましたか?」
「えっと……これ、自分に似合うかどうか、わからなくて……」
言葉を詰まらせながらも、何とか自分の意図を伝えると、店員は親切に対応してくれた。
「なるほど、こちらのシャツですね。お客様の雰囲気に合うかどうか、ちょっと他のアイテムと合わせてみましょうか?」
店員はすぐに別のチノパンやジャケットを持ってきて、いくつかの組み合わせを提案してくれた。そのプロらしいスムーズな対応に、昴は少しホッとしながらも緊張は続いている。
「こういう落ち着いた色味は、どんな場面でも使いやすいですよ。それと、こちらのパンツを合わせると、少しカジュアルで動きやすい印象になりますね。」
「そ、そうなんですか……」
昴は店員の説明に耳を傾けながら、もう一度自分が手に取ったシャツを見る。最初は自信がなかったが、店員の言葉に背中を押されるように思えた。
「じゃあ……これと、このパンツを試着してみます。」
試着室に入り、言われた通りの組み合わせを身に着ける。鏡の前に立つと、いつもの自分とは少し違う雰囲気に戸惑った。これが本当に自分なのか、と。
(なんだこれ……ちょっと、変わった気がする。)
そう思いながらも、千春の言葉と店員のアドバイスを思い出し、改めて鏡の中の自分を見つめた。
「……これなら、まあ、大丈夫か。」
昴は試着室から出てきて、店員に確認の一言をもらうと、緊張しつつも購入を決意した。店員からの「とてもお似合いですよ」という言葉を受け取りながら、昴はようやく少しだけ自信を持つことができた。
「ありがとうございました。」と店員にお礼を伝え、レジで会計を済ませた昴の心には、どこか達成感と安堵が広がっていた。
(よし……これで、一歩前進だ。)
夕焼けが差し込む帰り道、昴は袋を片手にスマホを取り出した。迷った末に千春の番号をタップする。電話がつながると、千春の穏やかな声が聞こえた。
「もしもし? どうしたの?」
「あ、俺だけど……。その、服、なんとか買えたよ。」
千春は少し驚いた様子で、「へえ、そうなの?」と返す。
「ちゃんとアドバイス通りに、マネキンの服を選んで、それから……店員さんにも聞いてみたんだ。」
「へえ、昴君が店員さんに声をかけるなんて、ちょっと意外ね。で、どんなの買ったの?」
昴は袋をちらりと見ながら、「ネイビーのシャツと、ベージュのパンツ。それと、店員さんが勧めてくれたジャケットも……」と答えた。
千春は電話越しに小さく笑う。「ふーん、まあ悪くないわね。ちゃんと私のアドバイス通りにしたみたいだし、それなら安心できるわ。」
昴は千春の言葉にホッとしたものの、次に冗談交じりの一言が返ってきた。
「昴君、少しは自分で考えられるようになったじゃない。偉い偉い。」
「……からかわないでくれよ。」
苦笑しながら返す昴だったが、心の中ではどこか嬉しい気持ちが広がっていた。
「まあ、頑張ったのは認めてあげるわ。それで、その服着て、ちゃんと楽しんでくるのよ?」
「……わかってるって。ありがとうね、千春さん。」
「はいはい。それじゃ、またね。」千春は最後に少し柔らかい声で締めくくると、電話が切れた。
昴はスマホをポケットに戻しながら、大きく息をついた。
家に戻った昴は、買ってきた服の入った袋を机の上に置き、そっと中を覗いた。シャツの色合いや素材の感触を確認しながら、試着室で鏡を見た自分を思い出す。
(……まあ、これでいいよな。)
服を選ぶのにこんなに悩んだのは初めてだった。けれど、千春や店員の助けを借りながらも、自分で行動し、買う決断をした。それがなんだか少しだけ誇らしく感じられた。
(自分から動かないと、何も始まらないんだな。)
これまでの自分がどれだけ人任せだったかを思い知らされた気がする。だけど、今日は小さな一歩を踏み出すことができた。
「よし……次の予定も、ちゃんと楽しめるように頑張ろう。」
昴はそう呟いて、袋をそっとクローゼットの中にしまった。その胸には、これからの自分が少しずつ変わっていく期待が、静かに広がっていた。
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良ければこちらもご覧ください。
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今日もお読みいただきありがとうございます。
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